扉が開いた。
カストルは、バスローブにガウンを羽織った姿だ。
「おまえが願い事とは珍しいな」
彼は相好を崩した。
エルサの背を室内へ促し、扉を閉める。
「廊下は寒いだろう、中に早く入りなさい。
すぐに温かい飲み物を持って来させて――そのカエルはなんだ?」
カストルの視線はエルサの胸元に注がれている。
怪訝そうな顔だ。
エルサは説明した。
「カストル兄様、お願いとはこちらのカエルさんのことなの。
カエルさんは、見知らぬ女の子から変身魔法をかけられてしまったそうよ。
元の姿に戻れなくて困っていらっしゃるの。
だから、お兄様の魔法で元に――」
「貴様、そのようなふざけた姿で一体なにをしている!」
カストルが唐突に声を荒げた。
エルサはびっくりする。
「お兄様、どうして怒っていらっしゃるの?」
「ああすまない、エルサに言ったわけではないよ。
この醜いヒキガエルにだ。
おい貴様、なんなんだその姿は」
カストルの詰問に、涼しい声でカエルは答える。
「ご覧のとおりだよ、筆頭殿。
悪い魔女に魔法をかけられてしまったんだ。
自分ではどうにも戻れないから、きみに解除をぜひお願いしたい」
「なんと情けない。
変身魔法ひとつ、自ら解除できないとは」
「男の恥だと俺も自覚しているから、あまりいじめないでくれないか」
「まずは妹の体から離れてもらおう」
カエルを片手でつかみ、カストルはソファの上に放った。
エルサは慌てる。
「お兄様、乱暴に扱わないであげて」
「ありがとう、お嬢さん。
きみは心の優しい子だね」
座面に無事に着地して、カエルは丸い目玉をくるりと回す。
「こちらの短気な独裁者殿には、人への気遣いについて妹御から多くを学んでいただきたいものだ」
「そもそも、なぜ貴様はエルサにまず声を掛けたんだ?
そのようなことをせずとも、僕のところに直接来ればいいだろう」
カストルの問いに答えたのはエルサだ。
「カエルさんは、わたしの部屋に迷い込んでいたの」
「おまえの部屋……!?」
「ええ、わたしのベッドの中よ。
きっと寒かったのだわ。
カエルにとっていまは冬眠の季節だもの。
ね、アレスさん」
「ベッドの中!?」
カストルが愕然とした。
カエルとのあいだの空気がピリッと帯電する。
カエルはのんびりと言った。
「勝手口から侵入させてもらったんだが、この広い城塞の中で、いちばんいい香りのする部屋に誘い込まれてね。
寒かった上に、なにしろ疲れ果てていたものだから、暖かい布団に安堵して、つい寝入ってしまったんだ。
レディの部屋だったとはつゆしらず、失礼をしたよ。
お許しあれ、エルサ嬢」
「貴様、確信犯だろう!」
「あの、お兄様。
お話はあとにして、先にアレスさんを元の姿に戻して差し上げてください」
エルサが提言した。
カストルは口をつぐみ、ため息をつく。
「ああ、おまえの言うとおりだな。
無駄なやりとりを延々と続けていたら、エルサの睡眠時間がどんどん削られてしまう。
来い、カエル」
「知ってのとおり、俺にはアレスという名があるんだが」
カストルは片手でカエルをつかみ上げた。
解除魔法をかけるかと思いきや、窓を開けてカエルを放り投げてしまう。
ここは三階だ。
エルサは慌てて窓枠から下を見下ろした。
「アレスさん、大丈夫ですか!?」
「ああ――なんとかね」
間延びした声が地面から返ったが、さすがに余裕はなさそうだった。
運動能力は高いようなので無事に着地できたかもしれないが、とにかく寒いのだろう。
夜の闇が濃いせいで、手燭をかざしてもカエルの姿は見つからない。
エルサはカストルを振り向いた。
「カストル兄様、ひどいわ」
「いいかエルサ、奴とはもう関わるな。
僕らが手を出さずとも、元の姿に戻れる手立てなど奴はいくらでも持っている。
あいつはそういう立場の人間なんだ。
にも関わらず、この城塞に侵入し、エルサの部屋に入ったのは、別の目的があるからに違いない」
しかしエルサは、兄の言い分よりも、寒空の下に放り出されたカエルが心配で仕方がなかった。
「アレスさんは、お兄様のお知り合いなのね。
お知り合いを寒空の下に放るなんて、いけないことよ。
すぐに助けに行きます」
「僕の言うことを聞け、エルサ」
高圧的な言葉に、エルサはくちびるを噛んだ。
「こんなに寒いのに外に出されたら、凍えて死んでしまうかもしれないわ」
エルサの声が震えたからか、カストルはハッとした表情になった。
「お兄様のお言葉に、エルサは常に従います。
でも、危険に晒されている人を見て見ぬ振りはできません」
言って、エルサは部屋を飛び出した。
追う声はなかった。
05 思惑
