05 思惑

 扉が開いた。
 カストルは、バスローブにガウンを羽織った姿だ。

「おまえが願い事とは珍しいな」

 彼は相好を崩した。
 エルサの背を室内へ促し、扉を閉める。

「廊下は寒いだろう、中に早く入りなさい。
 すぐに温かい飲み物を持って来させて――そのカエルはなんだ?」

 カストルの視線はエルサの胸元に注がれている。
 怪訝そうな顔だ。
 エルサは説明した。

「カストル兄様、お願いとはこちらのカエルさんのことなの。
 カエルさんは、見知らぬ女の子から変身魔法をかけられてしまったそうよ。
 元の姿に戻れなくて困っていらっしゃるの。
 だから、お兄様の魔法で元に――」

「貴様、そのようなふざけた姿で一体なにをしている!」

 カストルが唐突に声を荒げた。
 エルサはびっくりする。

「お兄様、どうして怒っていらっしゃるの?」

「ああすまない、エルサに言ったわけではないよ。
 この醜いヒキガエルにだ。
 おい貴様、なんなんだその姿は」

 カストルの詰問に、涼しい声でカエルは答える。

「ご覧のとおりだよ、筆頭殿。
 悪い魔女に魔法をかけられてしまったんだ。
 自分ではどうにも戻れないから、きみに解除をぜひお願いしたい」

「なんと情けない。
 変身魔法ひとつ、自ら解除できないとは」

「男の恥だと俺も自覚しているから、あまりいじめないでくれないか」

「まずは妹の体から離れてもらおう」

 カエルを片手でつかみ、カストルはソファの上に放った。
 エルサは慌てる。

「お兄様、乱暴に扱わないであげて」

「ありがとう、お嬢さん。
 きみは心の優しい子だね」

 座面に無事に着地して、カエルは丸い目玉をくるりと回す。

「こちらの短気な独裁者殿には、人への気遣いについて妹御から多くを学んでいただきたいものだ」

「そもそも、なぜ貴様はエルサにまず声を掛けたんだ?
 そのようなことをせずとも、僕のところに直接来ればいいだろう」

 カストルの問いに答えたのはエルサだ。

「カエルさんは、わたしの部屋に迷い込んでいたの」

「おまえの部屋……!?」

「ええ、わたしのベッドの中よ。
 きっと寒かったのだわ。
 カエルにとっていまは冬眠の季節だもの。
 ね、アレスさん」

「ベッドの中!?」

 カストルが愕然とした。

 カエルとのあいだの空気がピリッと帯電する。
 カエルはのんびりと言った。

「勝手口から侵入させてもらったんだが、この広い城塞の中で、いちばんいい香りのする部屋に誘い込まれてね。
 寒かった上に、なにしろ疲れ果てていたものだから、暖かい布団に安堵して、つい寝入ってしまったんだ。
 レディの部屋だったとはつゆしらず、失礼をしたよ。
 お許しあれ、エルサ嬢」

「貴様、確信犯だろう!」

「あの、お兄様。
 お話はあとにして、先にアレスさんを元の姿に戻して差し上げてください」

 エルサが提言した。
 カストルは口をつぐみ、ため息をつく。

「ああ、おまえの言うとおりだな。
 無駄なやりとりを延々と続けていたら、エルサの睡眠時間がどんどん削られてしまう。
 来い、カエル」

「知ってのとおり、俺にはアレスという名があるんだが」

 カストルは片手でカエルをつかみ上げた。
 解除魔法をかけるかと思いきや、窓を開けてカエルを放り投げてしまう。

 ここは三階だ。
 エルサは慌てて窓枠から下を見下ろした。

「アレスさん、大丈夫ですか!?」

「ああ――なんとかね」

 間延びした声が地面から返ったが、さすがに余裕はなさそうだった。

 運動能力は高いようなので無事に着地できたかもしれないが、とにかく寒いのだろう。
 夜の闇が濃いせいで、手燭をかざしてもカエルの姿は見つからない。

 エルサはカストルを振り向いた。

「カストル兄様、ひどいわ」

「いいかエルサ、奴とはもう関わるな。
 僕らが手を出さずとも、元の姿に戻れる手立てなど奴はいくらでも持っている。
 あいつはそういう立場の人間なんだ。
 にも関わらず、この城塞に侵入し、エルサの部屋に入ったのは、別の目的があるからに違いない」

 しかしエルサは、兄の言い分よりも、寒空の下に放り出されたカエルが心配で仕方がなかった。

「アレスさんは、お兄様のお知り合いなのね。
 お知り合いを寒空の下に放るなんて、いけないことよ。
 すぐに助けに行きます」

「僕の言うことを聞け、エルサ」

 高圧的な言葉に、エルサはくちびるを噛んだ。

「こんなに寒いのに外に出されたら、凍えて死んでしまうかもしれないわ」

 エルサの声が震えたからか、カストルはハッとした表情になった。

「お兄様のお言葉に、エルサは常に従います。
 でも、危険に晒されている人を見て見ぬ振りはできません」

 言って、エルサは部屋を飛び出した。
 追う声はなかった。