ロキが口を開いた。
「それで、エルサへの疑惑は晴れたのかい?」
「あの子を疑った俺が愚かだったよ。
彼女は人を突然攻撃するような人間ではない」
アレスは短く付け加える。
「そして、魔力を持たないゆえ魔女でもない」
「妹はこの城塞で静かに暮らしている。
あの子に関する話題はこれで終わりにしてもらいたい」
カストルは硬い声で言った。アレスは目を眇める。
「いくら兄だからといって、一人の少女の自由を奪う権利は持たないはずだ。
俺の王国にそのような法はない。
それとも、『結び目の城塞』の王は自分であると、強権を行使するつもりか」
つい、辛辣な物言いをしてしまった。
カストルはアレスを睨みつけた。
「これは家族の問題だ。
立ち入るな」
握りしめたカストルの拳に、黄金の稲妻が細か生じるのを見て取り、アレスは口をつぐんだ。
彼とは物心つく前からの付き合いだから、これ以上彼を刺激するのは得策ではないということを経験則で知っている。
カストル・セーレは、天雷の加護を受けた魔術師だ。
変身魔術を得手とするロキと、巧緻な結界を編み上げるルイスも稀有な魔術師だが、カストルの魔力は弟たちより頭一つ抜きん出ている。
特筆すべきは、彼が攻撃特化型であるという点だ。
こういった先鋭な魔力は、感情の高ぶりに合わせて魔力が体外に漏出する傾向にある。
厄介だが、彼の魔力の強さは国防に欠かすことのできない資質だ。
兄弟三人が協力して『守護の天幕』を支えているのだが、弟のどちらか一人が倒れても、カストルさえいればなんとか維持はできるだろう。
エルサについての話をアレスは切り上げたが、彼女をここに縛り続けることを良しとしたわけではない。
議題を森の魔女に戻し、アレスはカストルに見解を尋ねた。
カストルは、アレスから視線を外して考え込む。
「……森の魔女の正体に、心当たりがないわけではない」
「出し惜しみせずに話せ。
あの魔女が民に危害を加えてからでは遅いんだぞ」
カストルはアレスに視線を戻した。
「国王であれば知っているだろう。
『棺の魔女』という存在についてだ」
「知識だけはな」
アレスは慎重に答える。
「セーレ家の歴史に伝わる伝説だろう?
五百年前、魔力を持たない女児がセーレに生まれた。
その女児を『棺の魔女』と呼んだ。
けれど、その女児は身の奥底に強大な魔力を封じていただけだった。
とある事態がきっかけでその魔力が発現し、暴走し、何千もの雷(いかづち)を都に落とし、人々を害した。
そのため、セーレの魔術師たちに彼女は封印されたのだと」
お伽話や伝説の域を出ない話なので、いまとなっては誰も信じていない話だ。
セーレ一族の魔力の強大さを人々に知らしめるために作られたものだという見方が一般的である。
実際、セーレの直系に生まれる女児は全員が稀有な魔力に恵まれ、王国の防衛と繁栄のために大いに力を奮っている。
そう、エルサというただ一人の例外を除いて――。
「ああ、それだ。魔力が暴走した魔女を、僕たちは『嘆きの魔女』と呼ぶ。
暴走のきっかけが、肉体的もしくは精神的苦痛によるものだからだ。
ただの苦痛ではない。
身を引き裂かれるような、甚大な辛苦だ」
「ちょっと待ってくれ。
この話は伝説ではないのか?」
「歴史的事実だ。
伝説となったのはセーレの意向が働いたからだ。
国民に多数の死者が出たため、セーレ一族にとって重大な過失となったからな。
事実だと認識されたくなかったんだろう」
アレスは眉間に皺を刻んだ。
「そういうことは、もっと早く俺に伝えておいてほしかったんだが」
「だからいま話したじゃないか」
憮然とするカストルに、アレスは嘆息した。
「まあいい、セーレの秘密主義はいまに始まったことでもないからな。
要するにおまえは、森の魔女が『嘆きの魔女』であると言いたのか。
飛躍しすぎだろう。
そもそも、セーレの直系で女はエルサ一人だけだのはずだ。
それとも、そういった素因が傍系に出るということも考えられるのか?」
「僕が把握している傍系に、『棺』もしくは『嘆きの魔女』はいない。
しかし、僕が知り得ないほど遠く離れた血筋が、先祖返りを起こしたとも考えられる。
そもそも、詠唱なしで変身魔術を発動し、王族の血統であるおまえをヒキガエルに変え、完全に無力化した。
このような技をなしえる魔女は、僕の知る限り、『嘆きの魔女』以外考えられない」
カストルは断言する。
アレスは頭の中を整理した。
一見魔力を持たないが、実は強大な魔力を隠し持っているセーレの女を『棺の魔女』と呼ぶ。
その魔女が甚大な辛苦に見舞われたとき、魔力が発現、暴走し、『嘆きの魔女』に変貌する。
『嘆きの魔女』は、民に害をもたらす。
森の魔女は、『嘆きの魔女』の可能性が高い。
アレスはゆっくりと口を開いた。
「少女の容姿をどうこう言うのは無粋だと思って言うのを控えておいたのだが、森の魔女は右の目が潰れていた」
カストルが息を飲み、ロキは表情を翳らせた。
ルイスは顔色を失っている。
「もうひとつ特徴がある。彼女は白髪(はくはつ)だった。
生まれながらにしてその髪色というのは滅多にないだろう。
重大なストレスがかかって白に変じたということが、可能性として考えられる」
「やはり、森の魔女は『嘆きの魔女』であることを前提に対処していったほうが良さそうだな」
カストルは、思考を巡らすように言葉を切った。
それからふたたび口を開く。
「『嘆きの魔女』の魔術は、自然の理(ことわり)の外にある。
加えて尋常ならざるほど魔力が強い。
僕ら兄弟でさえも、太刀打ちできるかどうか疑わしい。
対応策としては、僕たち兄弟のいずれかが彼女を『眠らせる』方法がいちばん手っ取り早いが、一度眠ると寿命が来るまでそのままだ。
実質的な処刑と変わりない」
「であれば、彼女を保護するべきだな」
アレスは短く結論を出した。
「十代も半ばほどの少女だ。
いまのところ、誰かの血を流したというわけでもない。
大ごとにはしたくない。
俺の子飼いの精鋭を森に放つ。見つけ次第無力化し、保護をする」
「無力化は難しい。
返り討ちに合うぞ」
「戦術に長けた者を入れて、多人数で結界の網を張る。
一見してわかったことだが、あの少女は正規の兵練を受けていない。
できるはずだ。
できなかったら、そのときにまた別の方策を考える」
カストルは物憂げにうなずいた。
「……そうだな。
それならば可能かもしれない」
「どうした、カストル。
気にかかることがあるなら言え」
アレスは腕を組んでカストルを見つめた。
カストルはしばらくの沈黙の後、重々しく口を開く。
「国王であり、エルサと関わりを持った貴様には伝えておこう。
ただし、決して口外はするな」
「なんだ?」
「エルサは『棺の魔女』だ。
精神的もしくは肉体的な辛苦を受けたとき、『嘆きの魔女』に変貌する可能性がある」
アレスは息を飲んだ。
『嘆きの魔女』の説明を聞いたとき、エルサのことが脳裏をよぎったが、まさかと打ち消していた。
しかし、危惧は当たっていたのだ。
「あの子は、過去に一度『嘆きの魔女』になりかけたことがある。
『嘆きの魔女』は理性の箍が外れやすい傾向にあるという。
激しい辛苦に嘆き続けているせいで、精神が非常に不安定な状態にあるからだ。
理外(りがい)にある魔術は、いずれ誰かを傷つけることになる。
そうなれば、僕たちはエルサを眠らせるしかない。
あの子の寿命が来るまで、眠らせて閉じ込め続けるしかない」
「――『嘆きの魔女』になりかけたことがあると言ったな。
その状態から、エルサをどうやって元に戻したんだ?」
心の中でひどく動揺しながらも、アレスは努めて冷静に聞いた。
まずは対処法を聞くべきだと思ったからだ。
カストルの表情に痛みが滲んだ。
アレスは、その答えがなんなのかを先に悟った。
「エルサを城塞に閉じ込めた。
さらに、城塞外の人間と口をきくのを禁じた」
カストルが彼女の自由を奪う理由は、これだったのだ。
「外部からの刺激を一切断ち、心の安定に努めさせた。
それが功を奏し、あの子は平常を取り戻した」
「……だからエルサは、ここから出られないのだと?」
アレスは、鉛を飲んだように全身が重くなるのを感じた。
「エルサを外に連れて行くな、アレス」
強く命じるような、それでいて懇願するような口調でカストルは言った。
二人の弟たちは、沈痛に押し黙っている。
「あの子にとって外界は悪意に満ちた世界だ。
いつ『嘆きの魔女』に変じてもおかしくない。
『嘆きの魔女』を眠らせる魔術は、セーレにしか使えない。
僕らの手で妹を永遠に眠らせるようなことを、させないでくれ」
アレスは言葉を失った。
是とも否とも返せなかった。
ひりつくような沈黙ののち、最初に口を開いたのは、意外なことに次男のルイスだった。
これまで一言も喋らなかった彼は、絞り出すような声で告げた。
「……国王陛下。
森の魔女のことは、僕に一任していただけませんか」