11 アイリス

 ルイスは彼女の隣に座り、自己紹介をした。
 『黄金の魔術師』だということは伏せた。

 そして、彼女について質問した。彼女はアイリスと名乗り、姓はわからないと言った。
 歳は十七だと言った。

 ルイスは内心びっくりした。
 痩せこけて小さな外見と、幼げな言葉遣いから、十三〜十五歳くらいだと思っていたのだ。

「お姉ちゃんたちにいじめられてたの。
 いつも、いつも、わたしのことを醜いって言って、汚いって言って、役立たずって言って、叩いたり、蹴ったりする」

 ひどいことをする。
 ルイスの胸が痛んだ。

 アイリスが栄養失調気味で、精神的にも幼い印象を与えるのは、姉妹からの虐待のせいか。

「ママは優しかった。
 ママは、お姉ちゃんたちを叱ってくれた。
 けど、ママが死んでしまったの。
 ママはたくさん働いて、疲れて、目が覚めなくなってしまった。
 そうしたらお姉ちゃんたちが出て行けって、箒で叩いてきた。
 わたしは怖くなって、逃げたの」

「……。
 それはいつ頃の話だい?」

「わからない。
 そんなに前じゃない。
 ママが死んだのは、雨の日の朝だった。
 すごく寒かった」

 だとしたらこの冬だ。
 雨天だったということは、ここ二週間以内の出来事だと思われる。
 自分と会ったのが十日前だから、アイリスは約五日間、一人で過ごしていた計算だ。

「家を飛び出して、それからずっと森にいたの?」

 アイリスは首を振った。

「違う」

「じゃあどこに?」

「違う、知らない」

 アイリスの声が震え出した。
 ルイスは彼女をそっと覗き込む。

「僕と会うまで、どうやって暮らしていたの?」

「知らない!」

 アイリスは癇癪を起こした。
 ベッドに突っ伏し、背中を丸めてルイスを拒絶する。

 迷ったのち、ルイスは彼女の白い髪を撫でた。
 痩せた肩がびくりと震えた。
 ルイスが与えたワンピースは、深緑色をしている。

「……触られるのは、嫌い」

 掠れた声で訴える。

 けれどアイリスは、ルイスの手を払おうとしなかった。

「ひとつだけ教えて、アイリス」

「…………」

「この髪が白くなったのは、家を飛び出した後?」

 しばらくの沈黙ののち、アイリスは小さくうなずいた。

 であれば、家を飛び出してからルイスに会うまでの空白の時間に、アイリスは甚大な辛苦を受けて『嘆きの魔女』に変貌したと考えられる。

 その辛苦とは、いったいなんだったのか。

 聞き出すには、アイリスからの信頼をもっと得なければならない。
 無理に聞き出すことを、ルイスはしたくなかった。

(カストル兄さんに報告するのは、それがわかったあとにしよう)

 ルイスはアイリスの隣に寝転んだ。アイリスの背中がビクつくのがわかった。
 十七歳の少女にしては華奢すぎる体が悲しかった。

 白い髪を撫で、ひと房手に取る。
 まっすぐ伸びた、細い髪だ。

「……アイリス」

 返事は返ってこない。

「体が元気になっても、この小屋から外に出てはだめだよ」

「……。どうして?」

「きみにとって、外は危険なんだ。
 出るときは僕が一緒のときでないといけないよ」

「ルイスがいるとき?」

 アイリスの声で初めて名を呼ばれた。
 ルイスの胸が打ち震える。

「そうだよ、アイリス。僕がきみを外に連れて行く。
 だからアイリスは、僕から決して離れないように約束してくれ」

 手に取ったひと房に、ルイスはそっと口づけた。
 それに気づかないアイリスは、小さくうなずいた。

 胸が熱くざわめいて、彼女の細い体を抱きしめたい衝動にかられた。
 ルイスはその衝動を抑え込んだ。

 この日から三日目の晩――つまり今夜、アイリスは国王をヒキガエルに変身させた。

 ルイスとの約束を破り、一人で湖畔を訪れ、亡き母を恋しく思い泣いていたのだと、アイリスは言う。

「小屋にずっといるとつまらないし、今日はルイスが来るのがいつもより遅かったし……」

 ルイスの腕の中で、アイリスは不安げに言い訳を繰り返している。

 雷玉の金色の光に、エメラルドのような左目が光っている。

「そうだね、アイリスの気持ちはわかるよ。
 でもこれからは気をつけて」

 アイリスは、非難めいたまなざしをルイスに送ってきた。

「ルイス、怒ってる」

「怒ってないよ」

 彼女の片頬をてのひらで包みながら、ルイスは言った。

 本当は、狩小屋にアイリスの姿がないと気づいた時点で、ルイスは心配で頭がおかしくなりそうな状態に陥っていた。
 森に展開している結界では、『嘆きの魔女』の気配を捉えることができないのだ。

 森の中を探し回って――そうしていたら、城塞に強大な気配が突如生じたのを察知した。
 アイリスかもしれないと思い慌てて帰った。

 その気配が国王のもので、森の魔女が国王をヒキガエルにしたと聞き、ルイスは血の気が引いた。

 アイリスは、やっと聞き取れるかどうかというほどの声で、謝罪を口にする。

「約束を破ってごめんなさい、ルイス」

「アイリスが無事だったなら、それでいいんだ」

 頬に添えた手の親指で、薄いくちびるを辿る。
 荒れた肌触りだが、出会ったときよりも血色が良くなってきている。

 変身魔術は、対象の力を奪うという点から攻撃魔術に類される。
 よって、アイリスは国王を攻撃してしまったことになる。

 国王アレス・ヴィネアは彼女を保護すると発言したが、王族への傷害罪は極刑だ。

 アイリスが殺されてしまったらと思うと、ルイスは胸が張り裂けんばかりだ。

 動揺のあまり、先ほどはアレスや兄たちの前で不自然な態度を示してしまった。
 今後は気をつけなければならない。