いまにも爆発せんとするカストルの怒気に、国王は怯んだようだった。
しかし、会場中の目が自分たちに注がれているのを察したのか、すぐに虚勢を取り戻した。
「現当主がいかに優秀であろうとも、お荷物を引きずっていてはその力の半分も出せまい。
そんなことで、国防の役目が果たせるのか?」
エルサは、刃に胸を突き刺されたかのような痛みを覚えた。
カストルが、噛み締めた歯のあいだから唸るような声を絞り出す。
「いかに陛下であろうとも、それ以上の暴言は――」
「それに加えて、カストル。
おまえたち三兄弟は、全員が黒髪で琥珀色の目をしているな」
国王の目は血走っており、右手に持ったグラスの中の赤ワインがぐらぐらと揺れていた。
「それなのに末娘だけが銀の髪に紫の目をしている。
しかも、彼女にだけ魔力がないときている。
前公爵夫妻は、夫が黒髪に琥珀色の目、妻が茶色の髪に鳶色の目だったな。
銀髪と紫の目は、いったいどこから来たのかな?」
ふいに、後ろから手を取られた。
ルイスだ。彼はそっと耳打ちする。
「エルサ。
ここを出よう」
「ルイス兄様――」
ロキが駆け寄ってきて、「兄さん」と声を掛けつつカストルの肩に手を置いた。
カストルはそれを振り払った。
国王は告げる。
「前当主夫妻は本当に評判どおりの紳士淑女だったのか?
兄たちとは似ても似つかぬ末娘は、妾の腹から生まれたか、もしくは情夫の種からできた子なのではないか?
我々を謀り、裏の顔で色に耽り、不義の子を為して世間に隠そうとしたが、この娘では周囲を騙し切れぬ。
それでも騙し通そうとした不道徳を天は許さず、夫妻は早死にの憂き目に合ったのではないか?
なにしろ夫人は末娘を産んで一週間も経たぬうちに亡くなり、夫はその一ヶ月後に他界したのだからな!」
直後、黄金の稲妻が凄まじい轟音を立てて会場の屋根を突き破り、国王の足元を穿った。
王冠にヒビが入り、髪が焦げて、最高品質の布で織られたタキシードが縦にまっすぐ裂けた。
国王自身に傷はひとつもなかったが、彼は腰を抜かしてへたり込んだ。
「呪われるがいい、愚かな王よ」
カストルの両眼が黄金色に変貌する。
激烈な怒りが雷電となり、彼の周囲に嵐を起こした。
人々は悲鳴を上げ、中心から遠ざかる。
近衛兵が国王を守ろうと駆けつけてくる。
「セーレが王家に膝を折ることは二度とない」
テールコートに包まれた右腕を持ち上げ、カストルは告げた。
着ていたものがローブであれば、カストル自身の発する雷に耐えうるのだが、これは通常の布地だったので、ひどく傷つきボロボロになりつつある。
電撃を纏うカストルの右手から、近衛兵たちが必死で国王を逃がそうとする。
国王は顔面蒼白となり、腰を抜かして立ち上がれない。
ルイスがエルサを横抱きにした。ロキがさらに強くカストルの肩をつかみ、後ろへ引く。
同時に口元で呪文を放ち、カストルを攻撃しようとしていた衛兵らを揚羽蝶に変えた。
蝶たちは、優雅な紋様の羽を細かくはためかせ、雷風に乱されて散り散りに舞う。
ロキの手を、今度はカストルは払わなかった。
出口に向けて下がりながら告げる。
「それでも僕らは、ヴィネアの地に住むの民のために『守護の天幕』を維持し続けよう。
王家のためではない。王家に追従する愚者どものためではない。
無辜の民と、セーレの誇りのためだ。
父母の尊厳を守り、妹をも守るためだ」
雷風が吹き付ける。
ルイスの腕の中にいながら、エルサはその言葉を聞いていた。
いつからか、とめどない涙が頬を濡らしていた。
――この髪色は、六代前の当主のもの。
――この目の色は、五代前の夫人のもの。
魔力を持たないのは、三百年前に現れた、セーレの『嘆きの魔女』の特徴に同じ。
エルサ、僕らの可愛い妹、敬愛する父母の忘れ形見。
母の腕を知らないおまえのために、僕らがおまえを抱きしめよう。
父の言葉を知らないおまえのために、僕らがおまえにいろんなことを教えよう。
父上と母上はおまえを深く愛していたけれど、おまえはそれを知らないだろう。
その分まで僕らがおまえをたくさん愛そう。
暴言に傷つくということは、国王に屈するのと同じだった。
自分一人に向けての攻撃であったなら、耐えられたのかもしれない。
カストルは、王家との絶縁を宣言したのち、城塞の門を固く閉ざした。
国王の失言を後で聞き知った王子たちが、すぐさま馬を駆り、謝罪の念を示して面会を申し入れた。
しかし、カストルは門を決して開けなかった。
『嘆きの魔女』になりかけたエルサは、胸中を食い荒らすような辛苦と、皮膚を突き破って奔流しそうになっている魔力とに苛まれた。
高熱が続き、うめきながら荒い呼吸を繰り返すエルサを、兄たちは寝る間も惜しんで看病した。
緊張が張り詰めるエルサの寝室とは打って変わり、そこ以外の城塞の内部はひどく静かだった。
月夜のように、清浄だった。
エルサにこれ以上の刺激を与えないよう、カストルたちが細心の注意を払っていた。
それが功を奏し、エルサの嘆きと混乱は少しずつ収まっていった。
「あのころおまえは十歳で、まだ子供だった」
硝子の片翼から指を離して、カストルは言う。
「子供だった。でも、いまは違う」
エルサは胸に疼痛を覚えた。
けれど、兄のほうがより切なげな顔をしていた。
「この片翼は、万が一おまえが『嘆きの魔女』になって眠りについたとき、目覚めへの道筋を示してくれると言われている。
そんなことがあってはならないが、万が一に備えていつも身に付けていてくれ」
「はい、わかりましたお兄様」
エルサは指先で片翼にふれた。
カストルの体温がほのかに残っていて、温かかった。
同時時刻、アレスは王城の自室にいた。
山のように積み重なった執務を終え、バルコニーに出て冬の空気を味わっていた。
物心つく前から炎はアレスと共にあった。身の内に熱源があるため、冬の寒さとは無縁の人生を送ってきた。
だからこそいまも、シャツとトラウザーズといった軽装にもかかわらず、アレスは寒さを感じない。
しかし、いま感じている熱は、慣れ親しんだ魔力の炎とは別の種類のもののような気がしていた。
熱源がなにであるのか、アレスには朧げにわかってきている。
今日の朝、自分は正直者だと彼女に告げた。
けれど、それは正しくない。
アレスは、エルサとは昨日が初対面だという風を装っていた。
だが昨日より以前に、アレスはエルサを見かけたことがあった。
七年前、父が暴言を吐いてセーレに断絶を言い渡されたあの夜だ。
舞踏会に、アレスたち兄弟王子は出席していなかった。
だから、一連の騒動についてを耳にしたのは深夜の時間帯だった。
国防の分野でセーレの協力を得られなくなれば、国が一気に傾くのは明らかだ。
これまで経済や福祉に向けていた財政を、少なくとも三分の一は、国防政策に回さなくてはならなくなるからである。
それに、カストルとは昔から面識があり、彼が妹をどれほど大切にしているかをアレスは知っていた。
だから、父の暴言に良心が痛んだ。
アレスは兄弟と共に馬を走らせ、『結び目の城塞』へ急いだ。
しかし、門扉は固く閉ざされて、謝罪を受け入れてはもらえなかった。
しばらく粘ったのちに王城へ戻ろうとしたとき、アレスはふと、城塞内の尖塔に目をやった。
上から三番目の窓に、少女の姿が見えた。
遠目だったし窓越しだったから、顔の造作ははっきりと見えなかった。
けれど、月光を浴びる白磁の肌、銀色の髪と可憐な菫色の瞳、そして窓にふれる細い指が、アレスの目を釘付けにした。
少女は夜空を見ていた。
三日月がかかっていた。
アレスは、このまま少女が月光に溶け消えてしまうのではないかと恐れた。
それほどに少女は儚く、虚ろだった。
誰かに呼ばれたらしく、少女は背後を振り返った。
そして、窓から離れて姿を消した。
時間にして十秒ほどの出来事だったが、アレスには永遠にも感じられた。
帰城したのちもその余韻は長く尾を引き、彼女をずっと忘れられなかった。
夜間、小うるさい従者を撒いて、森の湖畔に足を運び休息する習慣が、アレスにはある。
静かな場所で羽を伸ばすという目的もあるが、あの夜に見た少女の空気感を感じたいという動機もあった。
夜の湖は――こと三日月の夜は、彼女のことを強く思い出すのだ。
そんなことを続けていたら、ヒキガエルにされてしまった。そして、怪我の功名とでも言おうか、エルサとふたたび会うことができた。
七年ぶりに見た彼女は、いっそう美しく成長していた。
容姿だけでなく、心も美しかった。
声も、くちびるも、指先も、仕草さえも可憐で目が離せず、そして始終甘い香りがした。
また会いたい。
気づけば星と雪が雲に消え、雪がちらつき始めていた。
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