15 七年前の出会い

 いまにも爆発せんとするカストルの怒気に、国王は怯んだようだった。
 しかし、会場中の目が自分たちに注がれているのを察したのか、すぐに虚勢を取り戻した。

「現当主がいかに優秀であろうとも、お荷物を引きずっていてはその力の半分も出せまい。
 そんなことで、国防の役目が果たせるのか?」

 エルサは、刃に胸を突き刺されたかのような痛みを覚えた。

 カストルが、噛み締めた歯のあいだから唸るような声を絞り出す。

「いかに陛下であろうとも、それ以上の暴言は――」

「それに加えて、カストル。
 おまえたち三兄弟は、全員が黒髪で琥珀色の目をしているな」

 国王の目は血走っており、右手に持ったグラスの中の赤ワインがぐらぐらと揺れていた。

「それなのに末娘だけが銀の髪に紫の目をしている。
 しかも、彼女にだけ魔力がないときている。
 前公爵夫妻は、夫が黒髪に琥珀色の目、妻が茶色の髪に鳶色の目だったな。
 銀髪と紫の目は、いったいどこから来たのかな?」

 ふいに、後ろから手を取られた。
 ルイスだ。彼はそっと耳打ちする。

「エルサ。
 ここを出よう」
「ルイス兄様――」

 ロキが駆け寄ってきて、「兄さん」と声を掛けつつカストルの肩に手を置いた。
 カストルはそれを振り払った。

 国王は告げる。

「前当主夫妻は本当に評判どおりの紳士淑女だったのか?
 兄たちとは似ても似つかぬ末娘は、妾の腹から生まれたか、もしくは情夫の種からできた子なのではないか?
 我々を謀り、裏の顔で色に耽り、不義の子を為して世間に隠そうとしたが、この娘では周囲を騙し切れぬ。
 それでも騙し通そうとした不道徳を天は許さず、夫妻は早死にの憂き目に合ったのではないか?
 なにしろ夫人は末娘を産んで一週間も経たぬうちに亡くなり、夫はその一ヶ月後に他界したのだからな!」

 直後、黄金の稲妻が凄まじい轟音を立てて会場の屋根を突き破り、国王の足元を穿った。

 王冠にヒビが入り、髪が焦げて、最高品質の布で織られたタキシードが縦にまっすぐ裂けた。
 国王自身に傷はひとつもなかったが、彼は腰を抜かしてへたり込んだ。

「呪われるがいい、愚かな王よ」

 カストルの両眼が黄金色に変貌する。

 激烈な怒りが雷電となり、彼の周囲に嵐を起こした。

 人々は悲鳴を上げ、中心から遠ざかる。
 近衛兵が国王を守ろうと駆けつけてくる。

「セーレが王家に膝を折ることは二度とない」

 テールコートに包まれた右腕を持ち上げ、カストルは告げた。
 着ていたものがローブであれば、カストル自身の発する雷に耐えうるのだが、これは通常の布地だったので、ひどく傷つきボロボロになりつつある。

 電撃を纏うカストルの右手から、近衛兵たちが必死で国王を逃がそうとする。
 国王は顔面蒼白となり、腰を抜かして立ち上がれない。

 ルイスがエルサを横抱きにした。ロキがさらに強くカストルの肩をつかみ、後ろへ引く。
 同時に口元で呪文を放ち、カストルを攻撃しようとしていた衛兵らを揚羽蝶に変えた。

 蝶たちは、優雅な紋様の羽を細かくはためかせ、雷風に乱されて散り散りに舞う。

 ロキの手を、今度はカストルは払わなかった。
 出口に向けて下がりながら告げる。

「それでも僕らは、ヴィネアの地に住むの民のために『守護の天幕』を維持し続けよう。
 王家のためではない。王家に追従する愚者どものためではない。
 無辜の民と、セーレの誇りのためだ。
 父母の尊厳を守り、妹をも守るためだ」

 雷風が吹き付ける。
 ルイスの腕の中にいながら、エルサはその言葉を聞いていた。
 いつからか、とめどない涙が頬を濡らしていた。

 ――この髪色は、六代前の当主のもの。

 ――この目の色は、五代前の夫人のもの。

 魔力を持たないのは、三百年前に現れた、セーレの『嘆きの魔女』の特徴に同じ。

 エルサ、僕らの可愛い妹、敬愛する父母の忘れ形見。

 母の腕を知らないおまえのために、僕らがおまえを抱きしめよう。

 父の言葉を知らないおまえのために、僕らがおまえにいろんなことを教えよう。

 父上と母上はおまえを深く愛していたけれど、おまえはそれを知らないだろう。

 その分まで僕らがおまえをたくさん愛そう。

 暴言に傷つくということは、国王に屈するのと同じだった。

 自分一人に向けての攻撃であったなら、耐えられたのかもしれない。

 カストルは、王家との絶縁を宣言したのち、城塞の門を固く閉ざした。

 国王の失言を後で聞き知った王子たちが、すぐさま馬を駆り、謝罪の念を示して面会を申し入れた。
 しかし、カストルは門を決して開けなかった。

『嘆きの魔女』になりかけたエルサは、胸中を食い荒らすような辛苦と、皮膚を突き破って奔流しそうになっている魔力とに苛まれた。

 高熱が続き、うめきながら荒い呼吸を繰り返すエルサを、兄たちは寝る間も惜しんで看病した。

 緊張が張り詰めるエルサの寝室とは打って変わり、そこ以外の城塞の内部はひどく静かだった。

 月夜のように、清浄だった。

 エルサにこれ以上の刺激を与えないよう、カストルたちが細心の注意を払っていた。

 それが功を奏し、エルサの嘆きと混乱は少しずつ収まっていった。

「あのころおまえは十歳で、まだ子供だった」

 硝子の片翼から指を離して、カストルは言う。

「子供だった。でも、いまは違う」

 エルサは胸に疼痛を覚えた。

 けれど、兄のほうがより切なげな顔をしていた。

「この片翼は、万が一おまえが『嘆きの魔女』になって眠りについたとき、目覚めへの道筋を示してくれると言われている。
 そんなことがあってはならないが、万が一に備えていつも身に付けていてくれ」

「はい、わかりましたお兄様」

 エルサは指先で片翼にふれた。

 カストルの体温がほのかに残っていて、温かかった。

 同時時刻、アレスは王城の自室にいた。

 山のように積み重なった執務を終え、バルコニーに出て冬の空気を味わっていた。

 物心つく前から炎はアレスと共にあった。身の内に熱源があるため、冬の寒さとは無縁の人生を送ってきた。

 だからこそいまも、シャツとトラウザーズといった軽装にもかかわらず、アレスは寒さを感じない。

 しかし、いま感じている熱は、慣れ親しんだ魔力の炎とは別の種類のもののような気がしていた。

 熱源がなにであるのか、アレスには朧げにわかってきている。

 今日の朝、自分は正直者だと彼女に告げた。
 けれど、それは正しくない。

 アレスは、エルサとは昨日が初対面だという風を装っていた。
 だが昨日より以前に、アレスはエルサを見かけたことがあった。

 七年前、父が暴言を吐いてセーレに断絶を言い渡されたあの夜だ。

 舞踏会に、アレスたち兄弟王子は出席していなかった。
 だから、一連の騒動についてを耳にしたのは深夜の時間帯だった。

 国防の分野でセーレの協力を得られなくなれば、国が一気に傾くのは明らかだ。
 これまで経済や福祉に向けていた財政を、少なくとも三分の一は、国防政策に回さなくてはならなくなるからである。

 それに、カストルとは昔から面識があり、彼が妹をどれほど大切にしているかをアレスは知っていた。
 だから、父の暴言に良心が痛んだ。

 アレスは兄弟と共に馬を走らせ、『結び目の城塞』へ急いだ。
 しかし、門扉は固く閉ざされて、謝罪を受け入れてはもらえなかった。

 しばらく粘ったのちに王城へ戻ろうとしたとき、アレスはふと、城塞内の尖塔に目をやった。

 上から三番目の窓に、少女の姿が見えた。

 遠目だったし窓越しだったから、顔の造作ははっきりと見えなかった。
 けれど、月光を浴びる白磁の肌、銀色の髪と可憐な菫色の瞳、そして窓にふれる細い指が、アレスの目を釘付けにした。

 少女は夜空を見ていた。
 三日月がかかっていた。
 アレスは、このまま少女が月光に溶け消えてしまうのではないかと恐れた。
 それほどに少女は儚く、虚ろだった。

 誰かに呼ばれたらしく、少女は背後を振り返った。
 そして、窓から離れて姿を消した。

 時間にして十秒ほどの出来事だったが、アレスには永遠にも感じられた。

 帰城したのちもその余韻は長く尾を引き、彼女をずっと忘れられなかった。

 夜間、小うるさい従者を撒いて、森の湖畔に足を運び休息する習慣が、アレスにはある。
 静かな場所で羽を伸ばすという目的もあるが、あの夜に見た少女の空気感を感じたいという動機もあった。

 夜の湖は――こと三日月の夜は、彼女のことを強く思い出すのだ。

 そんなことを続けていたら、ヒキガエルにされてしまった。そして、怪我の功名とでも言おうか、エルサとふたたび会うことができた。

 七年ぶりに見た彼女は、いっそう美しく成長していた。

 容姿だけでなく、心も美しかった。

 声も、くちびるも、指先も、仕草さえも可憐で目が離せず、そして始終甘い香りがした。

 また会いたい。

 気づけば星と雪が雲に消え、雪がちらつき始めていた。





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