24 そばにいたい

 自分の力で立てなくなってしまったアイリスを、ルイスは抱き上げて馬に乗せた。
 そうして森の狩小屋へ戻った。

 力のないアイリスをベッドに寝かせようとすると、アイリスはルイスにしがみついて離れなかった。
 ベッドに腰掛けたルイスの腕の中で、アイリスは泣きじゃくった。

 ルイスは、アイリスの涙を拭い、髪を撫で、細かく震える背中を撫で、抱きしめ続けた。

 やがて夕闇が訪れて、室内が紫色を帯びてきて、アイリスはやっと泣きやんだ。
 そのまま眠ってしまうかと思いきや、アイリスは、自分の過去のことをぽつりぽつりと話し始めた。

「ママが死んでしまって……体がバラバラになってしまうくらい、悲しくて、苦しかった。お姉ちゃんたちにぶたれたり、酷いことを言われたりすると、息ができなくて死んでしまいそうになった。
 だから、新月の晩に、シトリーから逃げ出したの」

 娼婦が逃亡すれば、店側が捜索することもあるだろう。
 けれど、元より客がつかず、店のお荷物でしかなかったアイリスを取り戻そうとは、店側は思わなかったようだ。

「走って、逃げて、逃げて、逃げて――真っ暗な晩だった。
 誰もいない細い路地を、つまづきながら走って、そうしていたら、体中からなにかが零れ出て行くような感じがした。
 体の奥から、なにかが膨れて、あふれていくの」

 それは恐らく、魔力だろう。

 アイリスはこのとき、『嘆きの魔女』に変貌しつつあったのだ。

「それがなんなのかわからなくて、怖くて、無我夢中で逃げて……そうしたら、男の人たちに捕まったの。
 五、六人いた。
 みんなニヤニヤ笑っていて、どこに行くんだって聞いてきた。
 答えずに逃げようとしたら、ぶたれて、地面に押さえつけられた。
 暗いせいで、男の人たちはわたしの右目がどうなってるのかわからないみたいだった。
 襟元から服を破られて――そこからはあんまり覚えてない」

 アイリスの頬の涙はもう乾いていて、声は細く掠れていた。

「気づいたときには、わたしの髪が真っ白になってた」

 指先で自分の髪を握って、アイリスはぽつんと言った。

 白髪に変じたときが、彼女が完全に『嘆きの魔女』に変貌した瞬間だった。

「男の人たちは、全員、うめき声を上げながら地面を這いつくばってた。
 みんな血だらけで、酷い怪我をしてた。
 どうしてかはわからなかった。
 わたしの服は、襟元が破られている以外はなんともなっていなくて……でも、男の人たちにたくさんぶたれたところが痛かった。
 わたしはそこから逃げ出して、誰もいないところに行きたくて、森に入った。
 そこで何日か過ごしていたら、ルイスに会ったの」

 だからアイリスは、あんなにも怯えて逃げ惑っていたのだ。

 瘦せ細り、土にまみれて、傷だらけで、肌もガサガサの状態で――極限の恐怖の中、一人きりでもがいていたのだ。

「ルイスに会って……だから、わたし、もうルイスと離れたくない」

 言って、アイリスはエメラルド色の瞳をルイスに向けた。

 こんなにも綺麗な宝石は、この世のどこにもないだろうと、ルイスには思えた。

「ルイスとずっと一緒にいたい」

 ルイスは、ふっくらした頬を両手で包んだ。
 そうして、彼女の潰れた右目にキスをした。

「僕もだ」

 掠れた声で伝える。

「僕もだ、アイリス。
 きみと離れたくない。
 ずっとこうして、きみのそばにいたい」

 アイリスを追い詰めた姉たちも、アイリスを犯そうとした男たちも、全員を無惨に殺してしまいたい。

 凄絶な殺意は、至上の愛しさから生まれ出るものだということを、ルイスはいま初めて知った。

 アイリスを守るためなら、どんなことでもする。
 国王を敵に回してでも――兄に抗ってでも、アイリスを傷つけさせはしない。