「しっかりしてそうでいて、意外にもおっちょこちょいなところがあるんだな。
なにかに夢中になると、周囲が見えなくなるタイプかな?」
「む――夢中になるだなんて、わたしはそのような」
アレスに夢中になど、なっていない。そんなはずはない。
しかしアレスは、エルサの予想とは違うことを言った。
「庭を見て回るのがそんなに面白いとは。
いや、俺も歩くことは嫌いじゃないんだが、どちらかというと馬で遠乗りするほうがスカッとして好みなんだ」
庭園に夢中になっている、とアレスは思ったのだとエルサは気づいた。
自分の早とちりに、エルサは穴の中に入りたい心地になった。
「ええと、アレス様は乗馬がお好きなんですね」
なんとか気を取り直して、彼の腕の中でエルサはアレスを見上げた。
青い瞳が澄んでいて、とても綺麗だ。
エルサは見とれながら続けた。
「散歩にお付き合いいただいてありがとうございます。
わたしはもう充分に楽しませていただいたので、次はアレス様のお好きなことをいたしましょう」
「俺のしたいこと?」
どうしてか、アレスが面白がるように言う。
「男に抱き寄せられた状態で口にする言葉ではないな。
いじらしくて可愛いが、不用意なことこの上ない」
「だ、抱き寄せられているのではありません。
転びそうになったところを、助けていただいたのです」
「けれど事実、きみは俺の腕の中にいるじゃないか」
アレスのもう片方の腕が持ち上がって、エルサの髪にふれた。
彼は薄手の手袋をしていて、けれど、上質な布地を通してアレスの熱が伝わってくるようだった。
「俺のしたいことなら、言えば叶えてくれるのか?」
エルサの鼓動はもう、とんでもないことになっている。
アレスのくちびるには薄く笑みが刷かれていたし、口調は冗談めいていて軽かった。
けれど、青い瞳の奥には、エルサの見たことのないような光が見え隠れしている。
エルサは、その光に魅入られてしまった。
こちらの目をアレスも見つめているせいで、エルサの体が熱を帯びていく。
「アレス様が――」
掠れた声でエルサは言った。
彼のてのひらが、ピンク色に染まった頬にふれる。
アレスの青い瞳は、陶然としたような色に染まっている。
「アレス様がお望みになるなら、エルサはなんでもいたします」
「――――」
頬に置かれたアレスの親指が動いて、エルサのくちびるに手袋越しにふれた。
くすぐったいような、それでいて甘く痺れるような感覚に、エルサは体を小さく震わせる。
アレスが低音でささやいた。
「布越しではなく、直接きみにふれることを許してくれ」
その望みに、彼のどんな思いが込められているのか、エルサには想像のしようもなかった。
手袋を取って、素肌で彼がふれてくるものだとエルサは思っていた。
けれどアレスは、手袋はそのままに、手を頬からあごに滑らせて、そっと上向けた。
エルサは少しも動けなかった。
アレスの、熱情が秘められたような瞳がとても綺麗で、それに心を奪われていた。
だから、アレスが少し顔を傾けて、その美貌を寄せ、互いの吐息が淡く溶け合う距離になっても、鼓動がひどく高まるばかりで、指の一本も動かせなかった。
あと一度の瞬きで、彼のくちびるが自分のそれにふれる。
そういう段階になったとき、たぐり寄せた糸を断ち切るような声が、突如として割り込んだ。
「良い雰囲気のところを大変申し訳ないが、アレス。呼び出しだ」
男性の声だった。
アレスの動きがピタリと止まった。
それから脱力するように息をついた。
「ずいぶんと意地の悪いことをしてくれるじゃないか、マルス」
エルサの腰を抱いたまま、アレスは乱入者に非難の目を向ける。
夢見心地の状態で、つられてエルサもそちらを見て、それから目を見開いた。
五歩ほど先に立っていた青年は、美しい容貌に笑みを浮かべる。
そして、アレスにそっくりの声で告げた。
「私の弟が庭先で、無垢な少女に対してみだらなことをし出かそうとしているのを目撃してしまったのだ。
兄として止めざるを得ないだろう。
くれぐれも己が行為を省みなさい、このエロガキ」
「概ねのところは反論の余地もないが、ガキ呼ばわりはおかしいぞ。
おまえは確かに俺の兄だが、俺たちは双子だから年齢は寸分違わず同じのはずだ」
双子。
現れた青年の姿にびっくりしていたエルサは、その言葉を聞いてやっと我に返った。
アレスと瓜二つのはずだ。輝くような金色の髪に、明るい色合いの青い瞳。
誰もが目を奪われるような美貌と、男らしい長身。
すべてがアレスの生き写しだった。
入れ替わってもバレないかもしれないと思うほどである。
よく見ると、こちらの兄のほうが、アレスよりも若干細身のようだ。
しかしそれも誤差のようなものである。