エルサの家は、今日からこの王城になる。
今朝方、十八年間住み続けた城砦を出るとき、様々な感情が湧き上がってきて、涙がこぼれた。
その涙にハンカチを差し出してくれたのは、馬車に同乗していた侍女のマイアだった。
カストルには見られたくない涙だったので――きっととても心配させてしまうから――、大聖堂に着くまでに涙の名残を消すようエルサは努力した。
そうして幸せな結婚式は終わりを告げ、エルサは、城砦を出たときとはまた別の涙をたくさんこぼした。
その涙は、今度はアレスがすべて受け止め、拭い取ってくれた。
「国王陛下の御寝所にご案内いたします」
新たに加わった侍女に案内されて、灯火のともる廊下を進む。
豪華絢爛な王城の様子を前にして怖気づいたのは、一年と少し前のことだ。
あの頃は、自分がここを歩くことなど、想像もしなかった。
王妃になるなんて考えたこともないと、マルスに告げたこともある。
アレスにはもう二度と会わないと心に決めて、王城を後にしたこともある。
「御寝所はこちらでございます、王妃殿下」
侍女らは恭しく一礼し、一歩下がった。
大きな扉を前にして、エルサは純白のネグリジェに包まれた腕を、そこに伸ばした。
触れながら後ろを見て、マイアと目を合わせる。
互いにかすかにほほ笑み合って、それからエルサは力を込めて、寝室の扉を押し開けた。
アレスの寝室に入るのはこれが初めてだ。
以前、王城の庭園で、アイリスからの襲撃を受けたのちに、アレスはベッドに運ばれて手当を受けた。そのときの部屋とはまた別の部屋のようだった。
エルサは、ほかの部屋に負けず劣らず豪華な内装に、まずは目を奪われた。
天蓋付きのベッドなど、城砦にあるエルサの物の三倍の大きさはあるのではないだろうか。
美麗な刺繍の施された天幕は二重になっており、いまは隅に寄せられている。
壁に掛けられた絵画や、花柄模様の穏やかな壁紙、繊細な彫刻の彫られた飾り棚。
毛足の長い絨毯の上に置かれているのは、猫足の長椅子と、つやつやに磨かれたテーブルだ。
後ろ手に扉を閉めながら、エルサが室内をぼうっと見回していると、ふいに声をかけられた。
バルコニーからだ。
「春の夜に緊張しているのはどうやら俺だけのようだな、エルサ?」
レースのカーテンを寄せながら室内に入ってくるのは、今日エルサの夫となった人だった。
金色の髪に青い瞳をした美貌の青年は、身に纏うものが白いガウンのみであっても威厳を保ち続けている。
彼の王気は、王冠や、立派に仕立てられた軍服や、美しい宝飾品から生み出されるものではないことを、エルサは改めて知った。
無意識に彼に見とれていると、アレスは、手にしていたグラスを棚に置きながらこちらに近づき、やや腰をかがめてエルサを覗き込んだ。
「なにやらぼーっとしているな。
緊張どころかリラックスしているとは、肝の据わった女性だ」
「す――すみません」
彼の整った顔に見つめられて、エルサは途端に赤面した。
「お部屋がとても綺麗だったものですから、つい見入ってしまっていたのです。
それに、見届け人の方々がいらっしゃるだろうとお聞きしていたので、その方たちのお姿を探していて……、その、決して、緊張していないわけではありません。
その上わたしは」
続きの言葉は、アレスの口づけによって遮られた。
やわらかくふれるだけのキスは甘く心地よくて、エルサはまたしてもぼうっとしてしまう。
アレスは、情熱的な瞳でエルサを見つめながら、腰を片腕で抱き寄せた。もう片方の手で白い頬にふれてくる。
「見届け人はいないよ。
ここにいるのは、俺ときみの二人だけだ」
「そう……なのですか?
どうしてでしょうか」
エルサが不安げな顔をしたからか、アレスは頬に口づけてくる。
「理由を言わないと伝わらないのかい?
俺がどれほどきみを愛しているのか、それをわかってくれていれば、答えは簡単に理解できるはずだ。
それにきみだって、初めての夜を迎えるのに、余計な見物人がいるのは嫌だろう?」
「それは、はい、おっしゃるとおりだと――。
ご配慮ありがとうございます」
「浮かない顔だね」
アレスは訝しげに言った。
「まさかとは思うが、エルサ、きみは人の目があったほうがより悦(よ)いというタイプの――、ああ、いや、いまの俺の言葉は気にしないでくれ」
エルサがきょとんとした表情になったのを見て、アレスはすぐに言葉を打ち消した。
「人の目があるとより良いとは、どういう意味なのでしょう」
「いや、だから忘れてくれ。
それよりも、どうして浮かない顔をしたんだ?
なにか気に掛かることでも?」
「気に掛かるというほどではないのですが、ここに来る前に、マイアからその……一通りの話を聞いておりまして」
「マイア――ああ、きみの侍女だね。
なるほど、その彼女から初夜の知識を教わっているということか」
エルサはまたしても頬を赤らめながら、小さく頷いた。
アレスの目を見返すことができないでいると、彼はエルサの顎を取り、上向けて口づけてきた。
今度のは、さっきのキスよりも少しだけ長くて深かった。
離れ際に、熱い舌に唇を舐められて、エルサの肩が小さく跳ねた。
「っ、……アレスさま」
「きみはもう少し、自分の可愛さを自覚したほうがいい。
でないと俺は、無自覚なきみにいつ心を掻き立てられるかわかったものじゃない」
腰を抱き寄せていた片腕に力がこもり、再度くちびるを奪われた。
情熱が激しく絡みついてくるような口づけに、エルサは体の主導権を奪われたように感じた。
たくましい彼の腕の中で、ひたすらくちびるを貪られて、息をすることもままならない。
幾度も角度を変えてエルサを味わいながら、顎を捕らえていたアレスの手が、白いうなじを辿りはじめた。
シルクで織り上げられた美しいネグリジェの、その肩口に手をかけて、ゆっくりとずり下ろしていく。
「……っ、ん、……や」
晒されていく肌にアレスの指がふれるのを感じて、エルサはとっさにアレスの胸板を押し返そうとした。
意識してではなく、本能的な怯えからくる動きだった。
けれどアレスは力強い腕でエルサを抱きしめて、それを許さなかった。
口づけながら、エルサの両肩からすっかりネグリジェを落とし、ショーツを纏うだけの姿にしてしまう。
「――っ」
零れた胸を腕で隠すエルサを、アレスは両腕で抱き上げた。
横抱きにしたままベッドに向かい、ふかふかの布団の上にエルサを下ろす。
「アレス、様……」
「エルサ――」
熱を帯びた声で呼びながら、アレスはベッドに乗り上がり、エルサにのしかかってくる。
エルサの顔の両脇に腕を置き、逃がさないよう閉じ込めて、くちびるに口づけた。
「ん、ん……っ」
「好きだよ、エルサ」
劣情に掠れた声が、絡みつく。
酸素を求めて開いた口の中に、彼の舌が挿入されてきて、エルサはびくりと体を震わせた。
その華奢な体の、肩から腕を撫で下ろしながら、アレスはやわらかな口中を味わっていく。
頬の裏や小さな舌の粘膜を舐め、唾液を啜って、それから彼女の舌を絡め取った。
舌を絡め、ねっとりとこすり合わせるみだらな動きに、エルサの官能が引き出されていく。
背すじがぞくぞくするような感覚に襲われて、下腹の部分が少しずつ熱を帯びてきた。
「あ、……、ぁん……ッ」
「きみはなんて甘いんだ、エルサ。
くちびるも、その中も、声や手触りすら、甘くてやわらかくて、俺はきみの中毒者になってしまいそうだ」
アレスは、激しい口づけに息を乱しながら陶然とささやく。
愛情に満ちた言葉はこれまで何度も彼から送られてきたが、このように激しい熱情をぶつけられたことはなかった。
胸を隠していた腕の、両手首をまとめてつかまれて、頭の上に縫いとめられた。
やわらかく震える双丘が、春の夜気に晒されて、エルサはとっさに身をよじる。
「や――」
「とても綺麗だ」
呟いて、アレスは、空いているてのひらで片胸を覆った。
彼の大きな手にちょうど収まる大きさのふくらみを、ゆっくりと揉みしだいていく。
「あっ、……、や、ぁ……っ」
「きめ細やかで、沈むようにやわらかくて――エルサ、きみの体温が染み込んでくるようだ。
一年前、きみと会ってからずっと、俺はきみにこうしてふれたかった」
ピンク色の先端を、長い指のあいだに挟み込むようにして、乳房の形をアレスは自由自在に変えていく。
じわりとした甘い快感が生まれて、エルサはどうしようもなく喘いだ。
耳に彼の吐息がふれて、耳朶をぬるついた熱に包まれる。
甘く歯を立てられ、舐めしゃぶられて、エルサは下腹部に直接伝わる熱に怯えた。
「っあ、ぁあ……っ、アレス様ぁ……っ」
「こうして、きみにふれたくて」
胸を愛でていた指が、先端をこすりあげた。
エルサは、あまりの快感に高く声をあげた。
「カストルや、ロキやルイスや、森の魔女のことも、どうでもいいと思う瞬間もあった。
俺が国王で、きみが、城塞から出られぬセーレの末娘であることも、どうでもいいと思ったことがあったんだ。
そうして衝動のまま、きみを攫って押し倒して、思うさまにきみを貪ることだって、俺にはきっとできただろう。
けれどできなかった。
俺はきみを泣かせたいわけじゃない」
手首をつかんでいた手が離れて、むき出しのエルサのふとももを這う。
「……っ、あ」
「泣かせたいわけじゃない。
それは、きみが『嘆きの魔女』になる可能性のあった子だからじゃない。
わかっているだろう、エルサ?
俺がどれほど、きみの笑顔を愛しているかを」
肉付きの薄いふとももを撫で上げていって、アレスの手はショーツにたどり着いた。
薄布の上から秘められた場所を指先で擦られて、エルサの脚がびくんと震える。