49 後日談(中) 蜜夜

 エルサの家は、今日からこの王城になる。

 今朝方、十八年間住み続けた城砦を出るとき、様々な感情が湧き上がってきて、涙がこぼれた。

 その涙にハンカチを差し出してくれたのは、馬車に同乗していた侍女のマイアだった。

 カストルには見られたくない涙だったので――きっととても心配させてしまうから――、大聖堂に着くまでに涙の名残を消すようエルサは努力した。

 そうして幸せな結婚式は終わりを告げ、エルサは、城砦を出たときとはまた別の涙をたくさんこぼした。

 その涙は、今度はアレスがすべて受け止め、拭い取ってくれた。

「国王陛下の御寝所にご案内いたします」

 新たに加わった侍女に案内されて、灯火のともる廊下を進む。

 豪華絢爛な王城の様子を前にして怖気づいたのは、一年と少し前のことだ。

 あの頃は、自分がここを歩くことなど、想像もしなかった。

 王妃になるなんて考えたこともないと、マルスに告げたこともある。

 アレスにはもう二度と会わないと心に決めて、王城を後にしたこともある。

「御寝所はこちらでございます、王妃殿下」

 侍女らは恭しく一礼し、一歩下がった。

 大きな扉を前にして、エルサは純白のネグリジェに包まれた腕を、そこに伸ばした。
 触れながら後ろを見て、マイアと目を合わせる。
 互いにかすかにほほ笑み合って、それからエルサは力を込めて、寝室の扉を押し開けた。

 アレスの寝室に入るのはこれが初めてだ。
 以前、王城の庭園で、アイリスからの襲撃を受けたのちに、アレスはベッドに運ばれて手当を受けた。そのときの部屋とはまた別の部屋のようだった。

 エルサは、ほかの部屋に負けず劣らず豪華な内装に、まずは目を奪われた。

 天蓋付きのベッドなど、城砦にあるエルサの物の三倍の大きさはあるのではないだろうか。

 美麗な刺繍の施された天幕は二重になっており、いまは隅に寄せられている。
 壁に掛けられた絵画や、花柄模様の穏やかな壁紙、繊細な彫刻の彫られた飾り棚。
 毛足の長い絨毯の上に置かれているのは、猫足の長椅子と、つやつやに磨かれたテーブルだ。

 後ろ手に扉を閉めながら、エルサが室内をぼうっと見回していると、ふいに声をかけられた。
 バルコニーからだ。

「春の夜に緊張しているのはどうやら俺だけのようだな、エルサ?」

 レースのカーテンを寄せながら室内に入ってくるのは、今日エルサの夫となった人だった。

 金色の髪に青い瞳をした美貌の青年は、身に纏うものが白いガウンのみであっても威厳を保ち続けている。
 彼の王気は、王冠や、立派に仕立てられた軍服や、美しい宝飾品から生み出されるものではないことを、エルサは改めて知った。

 無意識に彼に見とれていると、アレスは、手にしていたグラスを棚に置きながらこちらに近づき、やや腰をかがめてエルサを覗き込んだ。

「なにやらぼーっとしているな。
 緊張どころかリラックスしているとは、肝の据わった女性だ」

「す――すみません」

 彼の整った顔に見つめられて、エルサは途端に赤面した。

「お部屋がとても綺麗だったものですから、つい見入ってしまっていたのです。
 それに、見届け人の方々がいらっしゃるだろうとお聞きしていたので、その方たちのお姿を探していて……、その、決して、緊張していないわけではありません。
 その上わたしは」

 続きの言葉は、アレスの口づけによって遮られた。

 やわらかくふれるだけのキスは甘く心地よくて、エルサはまたしてもぼうっとしてしまう。

 アレスは、情熱的な瞳でエルサを見つめながら、腰を片腕で抱き寄せた。もう片方の手で白い頬にふれてくる。

「見届け人はいないよ。
 ここにいるのは、俺ときみの二人だけだ」

「そう……なのですか?
 どうしてでしょうか」

 エルサが不安げな顔をしたからか、アレスは頬に口づけてくる。

「理由を言わないと伝わらないのかい?
 俺がどれほどきみを愛しているのか、それをわかってくれていれば、答えは簡単に理解できるはずだ。
 それにきみだって、初めての夜を迎えるのに、余計な見物人がいるのは嫌だろう?」

「それは、はい、おっしゃるとおりだと――。
 ご配慮ありがとうございます」

「浮かない顔だね」

 アレスは訝しげに言った。

「まさかとは思うが、エルサ、きみは人の目があったほうがより悦(よ)いというタイプの――、ああ、いや、いまの俺の言葉は気にしないでくれ」

 エルサがきょとんとした表情になったのを見て、アレスはすぐに言葉を打ち消した。

「人の目があるとより良いとは、どういう意味なのでしょう」

「いや、だから忘れてくれ。
 それよりも、どうして浮かない顔をしたんだ?
 なにか気に掛かることでも?」

「気に掛かるというほどではないのですが、ここに来る前に、マイアからその……一通りの話を聞いておりまして」

「マイア――ああ、きみの侍女だね。
 なるほど、その彼女から初夜の知識を教わっているということか」

 エルサはまたしても頬を赤らめながら、小さく頷いた。
 アレスの目を見返すことができないでいると、彼はエルサの顎を取り、上向けて口づけてきた。
 今度のは、さっきのキスよりも少しだけ長くて深かった。
 離れ際に、熱い舌に唇を舐められて、エルサの肩が小さく跳ねた。

「っ、……アレスさま」

「きみはもう少し、自分の可愛さを自覚したほうがいい。
 でないと俺は、無自覚なきみにいつ心を掻き立てられるかわかったものじゃない」

 腰を抱き寄せていた片腕に力がこもり、再度くちびるを奪われた。

 情熱が激しく絡みついてくるような口づけに、エルサは体の主導権を奪われたように感じた。
 たくましい彼の腕の中で、ひたすらくちびるを貪られて、息をすることもままならない。

 幾度も角度を変えてエルサを味わいながら、顎を捕らえていたアレスの手が、白いうなじを辿りはじめた。
 シルクで織り上げられた美しいネグリジェの、その肩口に手をかけて、ゆっくりとずり下ろしていく。

「……っ、ん、……や」

 晒されていく肌にアレスの指がふれるのを感じて、エルサはとっさにアレスの胸板を押し返そうとした。
 意識してではなく、本能的な怯えからくる動きだった。

 けれどアレスは力強い腕でエルサを抱きしめて、それを許さなかった。
 口づけながら、エルサの両肩からすっかりネグリジェを落とし、ショーツを纏うだけの姿にしてしまう。

「――っ」

 零れた胸を腕で隠すエルサを、アレスは両腕で抱き上げた。

 横抱きにしたままベッドに向かい、ふかふかの布団の上にエルサを下ろす。

「アレス、様……」

「エルサ――」

 熱を帯びた声で呼びながら、アレスはベッドに乗り上がり、エルサにのしかかってくる。

 エルサの顔の両脇に腕を置き、逃がさないよう閉じ込めて、くちびるに口づけた。

「ん、ん……っ」

「好きだよ、エルサ」

 劣情に掠れた声が、絡みつく。
 酸素を求めて開いた口の中に、彼の舌が挿入されてきて、エルサはびくりと体を震わせた。

 その華奢な体の、肩から腕を撫で下ろしながら、アレスはやわらかな口中を味わっていく。
 頬の裏や小さな舌の粘膜を舐め、唾液を啜って、それから彼女の舌を絡め取った。

 舌を絡め、ねっとりとこすり合わせるみだらな動きに、エルサの官能が引き出されていく。
 背すじがぞくぞくするような感覚に襲われて、下腹の部分が少しずつ熱を帯びてきた。

「あ、……、ぁん……ッ」

「きみはなんて甘いんだ、エルサ。
 くちびるも、その中も、声や手触りすら、甘くてやわらかくて、俺はきみの中毒者になってしまいそうだ」

 アレスは、激しい口づけに息を乱しながら陶然とささやく。
 愛情に満ちた言葉はこれまで何度も彼から送られてきたが、このように激しい熱情をぶつけられたことはなかった。

 胸を隠していた腕の、両手首をまとめてつかまれて、頭の上に縫いとめられた。
 やわらかく震える双丘が、春の夜気に晒されて、エルサはとっさに身をよじる。

「や――」

「とても綺麗だ」

 呟いて、アレスは、空いているてのひらで片胸を覆った。
 彼の大きな手にちょうど収まる大きさのふくらみを、ゆっくりと揉みしだいていく。

「あっ、……、や、ぁ……っ」

「きめ細やかで、沈むようにやわらかくて――エルサ、きみの体温が染み込んでくるようだ。
 一年前、きみと会ってからずっと、俺はきみにこうしてふれたかった」

 ピンク色の先端を、長い指のあいだに挟み込むようにして、乳房の形をアレスは自由自在に変えていく。

 じわりとした甘い快感が生まれて、エルサはどうしようもなく喘いだ。

 耳に彼の吐息がふれて、耳朶をぬるついた熱に包まれる。
 甘く歯を立てられ、舐めしゃぶられて、エルサは下腹部に直接伝わる熱に怯えた。

「っあ、ぁあ……っ、アレス様ぁ……っ」

「こうして、きみにふれたくて」

 胸を愛でていた指が、先端をこすりあげた。
 エルサは、あまりの快感に高く声をあげた。

「カストルや、ロキやルイスや、森の魔女のことも、どうでもいいと思う瞬間もあった。
 俺が国王で、きみが、城塞から出られぬセーレの末娘であることも、どうでもいいと思ったことがあったんだ。
 そうして衝動のまま、きみを攫って押し倒して、思うさまにきみを貪ることだって、俺にはきっとできただろう。
 けれどできなかった。
 俺はきみを泣かせたいわけじゃない」

 手首をつかんでいた手が離れて、むき出しのエルサのふとももを這う。

「……っ、あ」

「泣かせたいわけじゃない。
 それは、きみが『嘆きの魔女』になる可能性のあった子だからじゃない。
 わかっているだろう、エルサ?
 俺がどれほど、きみの笑顔を愛しているかを」

 肉付きの薄いふとももを撫で上げていって、アレスの手はショーツにたどり着いた。
 薄布の上から秘められた場所を指先で擦られて、エルサの脚がびくんと震える。