02 一度、お断りを入れたのに

 近隣国の王族らが集まる豪華絢爛な舞踏会、その大ホールのバルコニー。そこで一人涼んでいたフランセットを追うように、くだんの王太子が近づいてきたのである。

『僕と婚約してくださいませんか。生涯、あなただけを愛し続けます。天に、神に、そしてあなた自身に誓います』

 やわらかく笑って、サラサラした黒髪の王太子は、フランセットの前で片膝をつき、片手を差しのべた。

 舞踏会の優雅な音楽が、カーテンの向こう側から流れ込む。
 キラキラした美少年の、いたいけな愛の告白を前に、しかしフランセットはおののいて、三歩ほど後ろに退いてしまった。

 この時の自分を誰も責めることはできないと、今でもフランセットは確信している。
 なぜなら、女性は年上の男性と一緒になることが常識であるからだ。
 この時フランセット十一歳。そしてメルヴィン王太子はなんと、六歳。
 その年の差、五つ。

 将来を嘱望された超大国の王太子と、その超大国に比べたら紙切れみたいな弱小国の第一王女。

 そんな取り合わせ、誰が見たって釣り合うはずがない。

『も、申し訳ありませんが、お断り申し上げます』

 身をやや後ろに引きながら、しかしきっぱりと、フランセットは断りを入れた。
 しかしメルヴィン王子は、一度きょとんとまばたきしたあと、さらにやわらかく笑ったのだ。

『そうですか。では、もっと僕のことを知ってください』

『はっ?』

『もっと僕のことを知って、僕のことを好きになってください。それから婚約を結ぶことにしましょう』

 フランセットは絶句した。
 そして、これが超大国の王太子の言動かと、妙に納得もした。

 やわらかな物腰の奥に、いたいけな美少年の姿の裏に、傲然とした心を隠し持っている。きっと彼が望んだことで、叶えられなかったことなど一度もないのだろう。

 フランセットはカチンときた。メルヴィンを見下ろしつつ、口元を隠した扇の裏側で、挑発的な笑みを浮かべる。

『人生には思いどおりにならないこともあるんですよ、メルヴィン殿下。こと、恋する異性の心に関しては』

 メルヴィンはびっくりしたように目を丸くした。そしてわずかに苦笑しつつ、立ち上がる。

『ええ。あなたの仰るとおりです、フランセット王女殿下』

 軽く首を傾げて、メルヴィンは天使も裸足で逃げ出すような愛らしい笑みを浮かべた。

『では僕は、あなたを手に入れるために、努力をすることにします』

『努力?』

 訝しんで聞き返すフランセットに、メルヴィンは笑った。

『あなたのもとへ毎日、両手いっぱいの花束を。それを、僕が大人になるまで続けたら、あなたは僕の花嫁になってくださいますか』

 ――続くはずがない。どうせ子供の言うことだ。
 フランセットはそうタカをくくっていたから、その申し出を受けたのだった。

(それがまさか、十四年も続くなんて)

 春はブルーベル、夏はペチュニア。秋はコスモスに、冬はサイネリア。

 四季折々の、楚々とした美しい花束は、三百六十五日、十四年間ずっと、届けられ続けた。

 まれに悪天候で届かない日もあったが、そういう時は、翌日に倍以上に大きなものが贈られてくるのだ。

(送り主の名前は書かれていなかったし、毎回別のラッピングだったから、お父様たちは、何人もの男性が入れ替わり立ち替わり、わたしに花を贈っていると勘違いしていたけれど)

 フランセットはモテるのね、求婚の数も多かったのに、土壇場になるとなぜか向こうから白紙に戻してほしいと真っ青な顔で訴えてくるのよね、だからやっぱりあなたは絶望的にモテないんだわ、可哀想に。

 母親は、特に嘆くこともなくそうぼやいていたものである。

(たった六歳の男の子が、毎日欠かさず花を贈ってくるなんて)

 たとえ使用人にアゴで命じて贈らせていたとしても、たいしたものである。弟がいるから、よくわかる。たいていは面倒になり、その約束すらも忘れてしまうのだ。そんな主人を見て、使用人も配達の手配が面倒になり、やめてしまう。

(確か王太子殿下は、今年でハタチになられるのではないかしら)

 僕が大人になるまで続けたら、あなたは僕の花嫁になってくださいますか?

 その申し出に、フランセットは「お受け致します、王子殿下」と答えたのを覚えている。

(まさかそれが、本当になるなんて)

 信じられない。
 本当に、信じられない。

 フランセットは、弱小国の王女の身の丈に合った相手と一緒になるつもりでいた。国内の公爵家子息の夫人とか、近隣諸国の大公子息の夫人などなど。
 そういう慎ましい家族計画を立てていたのだ。

 だから正直なところ、超大国の王太子の妻、つまり王妃になるなんて、まっぴらごめんである。
 そんな大役務めたくないし、務まるとも思えない。しかも、再三言うが相手は五歳も年下なのだ。

(十四年前に一度、会っただけなのに)

 だから再び会えば、彼も考えを変えるはずだ。
 ハタチの若者なら、二十五歳の嫁き遅れよりも、十代のつやつやキラキラした若い女性の方がいいと思うに決まっている。

(たかが婚約だもの。とりあえず書類にサインだけして、実際に会ってみたら、向こうから「思ったのと違う」って白紙に戻すよう訴えてくるに決まってるわ)

 フランセットは、今この時点では、そのようにごく軽く考えていた。
 一人盛り上がっている父王には大変申し訳ないが、身の丈に合った人生を送るのだと、そればかり考えていたのである。