11 毒舌に負けてはいられません

 メルヴィンにエスコートされて馬車を降りる。休憩のために貸し切ったのは、楚々とし海辺のレストランだった。

 メルヴィンにエスコートされて馬車を降りる。休憩のために貸し切ったのは、楚々とし海辺のレストランだった。

 花壇の花が咲き乱れる前庭で、メルヴィンは機嫌良く笑う。

「とりあえずここで昼食を摂って、それから海を見に行こう」

 フランセットが頷こうとした時、すぐ後ろで馬のいななきが聞こえてきた。振り向くと、黒毛からふわりと降り立ち、第三王子のアレンがこちらへ近づいてくる。

(このお方、道中一緒だったのね)

 フランセットはそのことに初めて気づいた。やはりこの青年は、なにかと影が薄いと思う。あまり気配を感じないのだ。
 アレンは顔をしかめつつ、メルヴィンへ声を掛けた。

「なあメルヴィン。昼休憩をとるのはいいけど、なんでここ?」

「海が綺麗だろう? 来たかったんだ」

「綺麗は綺麗だけど、でもこれじゃあ」

「フランセット、ごらん。アレンは馬車じゃなくて、わざわざ乗馬して移動しているんだよ。この子は昔から働き者でね。小さい頃からお忍びでいろんなところへ旅に出て、各地の情報を送ってくれるんだ。スパイみたいなモノかな」

「はあ。アレン王子殿下が、スパイ?」

 ウィールライトの兄弟王子は、つくづく理解しがたい。フランセットの弟は、絶対に嫌がるだろう。
 そこでフランセットはピンときた。

「もしかして、わたしが海へあまり来たことがないという情報を王太子殿下へ流したのは、アレン殿下ですか?」

「俺は自分が可愛いから、そのことについては教えられないなぁ。ごめんね、義姉上(あねうえ)」

 アレンは軽く笑って、「港町で綺麗なおねーさん探してくる」と踵を返してしまった。他国の港町で、王子殿下は女性をナンパするつもりらしい。

「あのお方のどこが働き者なんです?」

「あの子は恥ずかしがり屋なんだよ。可愛いでしょう?」

 そこへメルヴィンの侍従がやってきた。今後の行程について話し始めたので、フランセットは手持ちぶさたになる。

(先にビーチへ降りてみようかしら)

 わくわく感を抑えきれず、メルヴィンに許可を取った。
 侍女を連れて石造りの階段を降りる。その先に広がるのは、この辺りの高級レストランが共有している、美しいビーチである。

「わあ、素敵!」

 思わず声が漏れていた。潮の匂いが濃い。
 背後に侍女が控える中、フランセットは波打ち際まで足を運ぶ。道中なにがあるのか分からないから、ヒールの高くないブーツを履いてきて正解だった。

 砂で汚れないように、ドレスのスカートを少しだけつまんで、打ち寄せる波を眺める。ベージュ色の砂浜の色がサッと濃くなるのが面白い。

 飽きもせず見つめていると、なぜか酔って気持ち悪くなってきた。

「もっと見ていたいのに」

 しかしこれ以上胸がムカムカしてしまうと、せっかく用意された昼食が食べられなくなるかもしれない。後ろ髪を引かれつつ、波打ち際からレストランの方を振り返った時だった。

「あら、あなたフランセットじゃない?」

 聞き覚えのある声に、フランセットは横を見た。侍女を伴った女性が、こちらへ近づいてくる。

 フランセットはびっくりした。彼女は同い年の従姉妹で、おととしロジェ王国内の貴族の元へ嫁いだアレットである。

「アレット、どうしてこんなところにいるの?」

「こちらの方の晩餐会に呼ばれたのよ。まだ時間があるから、海を見にこようと思って。フランセットこそ、あまり身動きの取れないご身分のはずなのに珍しいわね。お付きの侍女も一人だけ?」

 アレットは王族の直系に対してコンプレックスがあるようで、昔からイヤミを織り交ぜた言葉を投げつけてくる。フランセットは慣れているので、いまさら気にならなかった。

 そんなことより、アレットがフランセットの結婚についてなにも知らない様子である方が気になった。唐突に決まったお輿入れだったから、このことはまだ親族に知れ渡っていないのかもしれない。父の舞い上がった様子からして、近日中には国中にふれが出されると思うが。

「あの、アレット。実は報告したいことがあって」

「ああでも、夫のいないフランセットだからこそ自由がきくのかもしれないわね。身軽な独り身で羨ましいわぁ」

 この言い回しにはさすがにカチンとくるものの、独り身ということを訂正しなければならないという方に気がいった。

「そうではなくてね、アレット。わたし実は」

「それにしても可哀想ね、フランセットは。直系の姫君で、綺麗で賢くて、国民からも慕われているのに、二十五歳になってもまだ結婚できないなんて! 婚約者候補が次々に断りを入れてくるって本当? いったいどうしてかしらねぇ、もしかしてフランセットに、なにか致命的な欠陥があるのかしらね。お化粧を取ったら実は化け物とか、コルセットをほどいたらお腹ぶよんぶよんとか! おほほほ!」

(こ、コイツ……!)

 海辺で開放的になっているのか、アレットの弁舌はいつにも増して冴え渡りまくっている。
 フランセットはこめかみをぴくぴくさせながら、口の端をつり上げた。

「自分の話ばかりするよりも、少しは相手の話に耳を傾ける努力をしたらどう? 本当にアレットは、三歳の頃から成長がないのね」

「な、なんですって?! わたしは夫のある身で忙しいから、人の話を腰を据えて聞けないだけよ! 仕方ないわね、そんなに聞いて欲しいなら聞いてあげるわよ。暇な独り身のあなたのために時間を割いてあげるから、とっとと話しなさいな!」

 ああ、せっかく海へ来て楽しい気分だったのに、こんな女を相手にしなければならないなんて、それこそ人生の無駄遣いだ。でもここで引き下がったらイライラが増すだけなので、フランセットは言い返すために口を開いた。

「わたしはつい昨日、結婚したの。だからもう独り身ではないわ」

「な、なんですって?! そんな話聞いてないわよ、いつのまに婚約をしていたの?!」

「婚約は、していないけれど」

「婚約なしでいきなり結婚?! ほほほ、いったいどこの不作法モノと結婚したのかしら。二十五歳なんだから、そのような殿方しか拾ってくれなかったのね、可哀想なフランセット。お相手が枯れ果てた六十のご老体じゃないことを願うわ」

「おあいにくサマだけど、枯れるどころか鮮度抜群の若さだから!」

「な、なんですって……?!」

「背も高いし、美形だし、見た目だけは一級品なのよ!」

「なっ! いったいどこの誰よ、フランセットみたいな嫁き遅れを妻にした物好きは! どうせ見た目だけで、中身はものすごく変人なんでしょ!」

「それは否定しない。まったく否定しないわ」

 フランセットはそこだけ真顔になった。深刻さを感じ取ったのか、ふとアレットの勢いが弱くなる。

「そんなに変人なの? どの程度?」

「ロジェ王国にはいなかった類いの……。表情豊かなのに、腹の中でなにを考えていらっしゃるのかさっぱり分からない種類の……」

「な、なによそれ。大丈夫なの?」

「可愛がってるご自身の弟を、他国へスパイに行かせるような感じの」

「えっ、まさか裏の世界の男……?!」

 アレットはおののいた様子を見せた。フランセットは力なく笑う。

「でもね、意外と悪いお方でもないの。だからあちらの国へ入る前に、自分なりに気持ちの整理をつけようと思っているわ」

 そこでアレットの目がぎらりと光った。

「あちらの国? あちらの国って言ったわね、今。他国なの? どこの国?」

「あ、ええと。それは」

 相手国が大国過ぎて、逆に言い出しにくい。フランセットが口ごもっていると、アレットは鼻息も荒く詰め寄ってきた。

「どの国なのよ、いったいどこ?!」

「驚かないで聞いてよ。実は、ウィ」

「こんにちは、お嬢さん。僕はウィールライト王国王太子のメルヴィンです。はじめまして」

 実に爽やかな声音で割り込まれて、フランセットは顔色を変えた。アレットがぽかんとした表情でフランセットの背後を見ている。

 フランセットは慌てて後ろを振り返った。