13 花嫁の恋心

「いいものだよ。だってフランセットが喜ぶ顔が見たいじゃない。とても可愛いもの」

 どきりと胸が高鳴った。こっそり覗くと、メルヴィンこそとても嬉しそうな顔をしている。自分なんかより、よほど可愛い表情だと、フランセットは赤面しながら思った。

「ふうん。フランセットは海を見て、そんなに喜んでたの?」

「うん、少なくとも、海岸で従姉妹に会うまではね」

「あー見てた見てた。おっそろしい兄貴だよ。あれ、相手が男だったら回し蹴り食らわせておしまいだったろ。敵には絶対に回したくないな」

「僕はおまえの敵にはならないよ」

 メルヴィンはそう言って、アレンに微笑んだ。その微笑みを見て、フランセットはどきりとする。

(弟には、ああいうお顔をされるのね)

 フランセットを見る時の目とは、また違う。慈しみと愛情に満ちた表情に、フランセットは心をきゅっとつかまれた気がした。

「でもさ、メルヴィン。ここはどう考えても遠回りだよ。一日でも早くウィールライトの都に着かないと、父上がうるさいよ? 海だったらウィールライトに着いてから、いくらでも見せてやればいいじゃないか」

「うん、そうだね。でも他国へ嫁いだ女性は、めったなことでは生国に帰れない。それこそ、肉親の死でも起きない限りはね」

 フランセットは目を見開いた。メルヴィンは寂しさの混じる笑みを浮かべている。

「自分が生まれた国の海。それを見られる、最後の機会かもしれない。そう思ったら、どうしてもフランセットをここへ連れてきたくなったんだ」

「へえ」

 アレンは微笑しながら、テーブルに頬杖をついている。
 フランセットは胸がいっぱいになって、ドレスの上からそこを手で押さえた。

「だからアレン、おまえに頼みがあるんだ。父上あてに、都へ手紙を書いてくれないか? 少し遅れそうだって」

「めんどくさいな、ご自分でどうぞ」

「僕はフランセットのことでいっぱいいっぱいで、余裕がなくて。おまえだけが頼りだよ、僕の可愛いアレン」

「くそ、このヤロウ」

 二人の兄弟は、顔を見合わせてくすくすと笑い合っている。フランセットはそっとこの場を離れた。

 レストランを出る頃合いになって、フランセットはメルヴィンに、「もう一度海を見たい」と願い出た。メルヴィンは快く了承してくれた。

 さっきはひとりで降りた石段を、今はメルヴィンと一緒に降りる。彼に預けた右手が、ほんのりと熱を帯びているような気がした。

 波打ち際まで来て、海を眺める。海は先ほどと変わらない。
 けれど。

「綺麗ですね」

 春の優しい日差しにキラキラ光る。この穏やかな海面を、フランセットは絶対に忘れないようにしようと誓う。

「うん、とても綺麗だ」

 メルヴィンの言葉に誘われて彼を見上げるると、彼はフランセットを見つめていた。
 思わず頬が赤らんで、フランセットは顔をうつむかせる。メルヴィンが小さく笑う気配がして、それから彼の指が、フランセットの頬に掛かった。

「フランセット」

 甘く呼ばれて、体の奥に熱が灯る。
 このような感覚を、二十五年間生きてきて、フランセットは初めて知った。
 波の音が、陽の光に散る。キラキラと。

「大好きだよ、フランセット」

 溶けるような甘さでそう伝えてくれたメルヴィンに、フランセットは踵を上げて、彼の胸もとにそっと手を置いた。
 それから目を見開くメルヴィンの、形のいい唇に、そっと自身のそれを重ねた。

「……フランセット」

「さ、さあ、馬車に戻りましょう」

 顔を真っ赤にさせながら、フランセットはくるりと方向転換する。
 慌てて踏み出した足が砂浜にもつれて、転びそうになったところを、背後から腰に回った腕に抱き留められた。

「す、すみませ」

「フランセット、もう一回」

 大きなてのひらに後ろからあごを掬い上げられる。そのまま彼の唇が押し当てられて、フランセットはさらに足をもつれさせた。

「殿下……、っ」

「だから僕は、馬車の中で言ったのに。あなたからキスをしてって」

 唇をくっつけたま、熱に浮かされた瞳でメルヴィンが囁く。

「こんな外で口づけるなんて。誰に見られても、離せなくなるじゃないか」

「っ、ん……!」

 再び深く唇を奪われた。深く差し入れられた彼の舌が、フランセットのそれに絡みつく。貪られるような激しさと、抱きしめられる腕の力強さに、フランセットの両足からかくんと力が抜けていった。

「は、……っ、でん、か」

「僕が好き? フランセット……」

 乞うように、祈るように、キスをし続けながら、メルヴィンが問う。
 全部食べられてしまうような口付けに晒されて、フランセットはそれに答える術を持たない。

「僕は好きだよ。あなたが好きだ」

 愛してる、と、彼の言葉が波の間に甘く溶けていった。

 きっともう、自分は、あの王太子へ向かう想いを、自覚しているのだろう。
 いつからなのか分からない。海へ連れて行ってくれたからなのか、宿場町で抱きしめられてからか、もしくは花を毎日贈ってくれていたころからか。

 いつからでも関係ない。
 ウィールライト王国に入ったら。関所を抜けて、国境を抜けたら。
 そうしたら、きちんとけじめをつけると、メルヴィンに約束したのは自分だ。

(だからちゃんと、伝えなければならないわ)

 かの地へ一歩、踏み入れたら、この想いを、メルヴィンに伝えよう。
 フランセットはそう思った。