メルヴィンに勧められて、フランセットは腰掛けた。分厚い詰め物がされた革張りのソファだ。
すぐ隣にメルヴィンが腰を下ろしたから、フランセットはにわかに緊張してしまう。それを紛らわすように、彼女は口を開いた。
「殿下、夕餉の時に珍しくワインをたくさんお呑みになっていましたね」
メルヴィンはそこまでアルコールに強くないようで、旅の道中、呑んでいるところを見たことがなかった。
「ああ、うん。やっぱり自分の領地に入ると安心するね。つい気がゆるんでしまって」
「酔われました?」
「ん、少しね。だからあなたはあまりここに長居しない方が……、ああ、でもすぐ戻るんだったね」
メルヴィンはやわらかく笑う。
「フランセットの部屋の居心地はどう?」
彼女の巻き毛を一房取って、メルヴィンは聞く。直接肌を触れられたわけでもないのに、肌の表面がぴりっと熱くなった。
「は……い。ロジェの私室よりも広くて、驚きました」
「大切なのは広さよりも住み心地だよね。僕の屋敷にフランセットの部屋を用意しているけれど、壁紙や調度品があなたの気に入らなかったらすぐに代えるから、その時は言って」
「贅沢者の妃を娶った王太子だと、評判が下がりますよ」
「愛妻のわがままを叶えるのは、男の甲斐性だよ。僕はあなたを喜ばせたいだけなんだ」
メルヴィンは手の中のプラチナブロンドに、口付けを落とす。どきりとしたフランセットの視界の中で、綺麗な形の唇が笑みを引いた。
「かといって、フランセットの泣く顔を、見たくないとは言えないけれど」
「え?」
「あなたが話したいことというのは?」
唐突に本題を突かれて、フランセットは口ごもった。
(だめよフランセット。お伝えするって、決めたのだから)
己を奮い立たせて、緊張する指先を握り込む。それからまっすぐに、メルヴィンを見た。
優しく笑んでいたメルヴィンは、フランセットの様子にふと眉を寄せる。
「……フランセット?」
「王太子殿下。わたし、殿下にお約束をしましたよね。ウィールライトに入ったら、自分の気持ちにけじめをつけるって」
沈黙が落ちる。一拍のあと、メルヴィンがゆっくりと目を見開いた。
その綺麗な漆黒の双眸を、ひたむきに見つめながら、フランセットは己の胸のあたりでてのひらを握り込んだ。その辺りが高鳴って、痛いくらいだった。
(言わなくちゃ)
メルヴィンに伝えなくては。いや、伝えたい。今、どうしても。
今にも溢れでてしまいそうな、この想いを。
緊張を、暴れる鼓動を抑え込んで、フランセットは意を決して口を開く。
「メルヴィン殿下。わたしは、この旅の道中で気づいたのです。今はそのとをお伝えしたくて、参りました。殿下。わたしは、わたしは殿下のことを、」
「待って」
ふいに、大きなてのひらで口を覆われた。
フランセットはなにが起こったのか分からなくて、まばたきをする。
「ごめん。待って」
メルヴィンはフランセットから目をそらした。その目尻がほんのり赤くなっているのを見て、二度びっくりする。
「……ごめん」
メルヴィンの、こんなにも気弱な声を、フランセットは初めて聞いた。
メルヴィンは眉を寄せて頬を赤らめながら、再び目線をフランセットに戻す。
「今は、ごめん。まずい」
なにが、と聞きたかったが、彼の手で口を塞がれてているのでできない。
目を白黒させていると、メルヴィン首をゆるく横に振った。
「僕は別の部屋で寝るから、フランセットはこの部屋を使っていいよ」
口からてのひらが離れた。同時にメルヴィンはソファから立ち上がって、扉の方へ足を運んでしまう。
フランセットは茫然としたが、やがて我に返って、慌てて彼の腕を引いた。
「ま、待って下さい殿下。いきなりどうされたのですか」
「なんでもないよ、気にしないで」
「でも、急にお部屋を出られるだなんて。もしわたしが、なにか失礼なことをしてしまったのなら」
フランセットはそう言い募りながら、泣きたくなってきた。
どうしてメルヴィンが突然部屋を出ようとしたのか――まるでフランセットを避けるようにするのか、まったく分からない。
(気持ちを、お伝えしたかっただけなのに)
「殿下。わたしの話を聞いてください」
「ごめん。今は聞きたくない」
メルヴィンはノブに手を掛けながら、こちらを見もせずにそう言った。
明らかな拒絶に、フランセットは衝撃を受ける。思えば、彼から避けられるのはこれがはじめてだった。
このまま彼の言うとおり引き下がったら、本当にメルヴィンは別の部屋へ行ってしまうだろう。そしてフランセットは訳も分からず傷ついたまま、ウィールライト王国へ着いて初めての夜を、眠れないまま過ごすのだ。
(そんなの、嫌だわ)
焦燥感に突き動かされて、扉の間際で彼の腕をつかんだまま、フランセットはメルヴィンの広い背中を見上げた。
「待って、メルヴィン殿下。どうしてわたしを、避けるのですか」
言葉に出したら胸が締め付けるように痛んだ。それをこらえるために、フランセットは彼の背中にひたいを押し当てた。
瞳を歪めて、それでも涙を押さえ込んで、震える声を押し出す。
「もう、わたしへのご興味を、失ってしまわれたのですか。この道中で、飽きてしまわれたのですか」
直後、力強い手で両肩をつかまれた。
気づけば視界が回って、メルヴィンと体の位置が入れ替わっていた。ぐ、とフランセットの背中が、扉に押しつけられる。
フランセットは目を上げた。
強く光る漆黒の双眸が、そこにあった。
「僕が、あなたに飽きる?」
焦れたような熱が、その声にこもっている。
フランセットはぞくりとして、息を詰めた 。
「十四年間、フランセットだけ想い続けていたのに」
「……っ、」
唇を貪られた。
押しつけられた扉が、ギッと鳴る。痛みに体をこわばらせたら、扉から引き剥がすようにきつく抱き寄せられた。
口腔内を、熱くぬるついた舌が這い回る。くちゅ、と淫らな水音が零れて、嚥下しきれなかった唾液があごを伝った。
「っア……、ん」
絡め取られて、体内の熱が煽られる。は、とそれを吐息にこぼして、潤んでいく目をメルヴィンに向けた。彼の漆黒の双眸は、フランセットを見つめている。その奥に熱が揺らめいていた。
「ここは僕の領土だよ、フランセット」
キスの角度が変わる合間に、メルヴィンは熱く掠れた声でそう囁く。その声を聞くだけで、フランセットのうなじのあたりがぞくりとした。
「僕にはあなたが、僕の巣穴に無防備に入ってきた兎に見える」
フランセットの細い体を一回りしていたてのひらが、ウエストから胸のあたりまでなぞり上がる。ガウンの前合わせをはだけさせられて、薄い絹のネグリジェの上から、胸のふくらみを彼の掌中におさめられた。
「……っ、殿下」
「僕に何を伝えたかったの、フランセット」
うなじに舌を這わせながら、メルヴィンは聞く。ぬめるような熱い感触に、フランセットの肩がぴくんと震えた。
(こんな状態で、伝えたら、どうなるの)
突然の事態に動揺しすぎて、うまく考えがまとまらない。
答えあぐねていると、胸のふくらみにあった彼のてのひらが動いた。やわらかくつかむようにされて、先端を指の腹で軽く擦り上げられる。
「あ……?!」
そこから生まれた甘い刺激が、体の奥まで伝い降りた。とっさに後ろへ逃げようとしたフランセットを、力強い腕が阻む。
形を辿るように、何度も彼の指が滑った。びくりと腰が震えて、膝から力が抜けてしまいそうになる。薄い布一枚を隔てた、焦らすように優しい愛撫は、それでもフランセットに混乱をもたらした。
彼の舌がうなじを撫で下がり、細い鎖骨を右から左へ這っていく。
フランセットの唇から熱い吐息が零れて、甘い喘ぎまで混じりそうになる。それを抑えたくて、フランセットは必死で唇を噛んで耐えようとした。けれど胸の先端をゆっくりと撫でる指に、崩されてしまう。
「ん……っ、ぁ、あ……」
「僕は理性が利く方だけど」
鎖骨に甘く歯を立てて、メルヴィンは喉の奥で笑う。
「だから自分でも、自分が厄介なんだ」
「……ッ!」
先端を軽くつままれ、ひねられただけだった。
それで足から完全に力が抜けて、崩れ落ちそうになるところを、メルヴィンの膝が割って入った。彼の体と扉に挟まれて、かくんと前に落ちた顔を、大きなてのひらで掬い上げられる。
唇が奪われた。朦朧とする意識をかき回すように、メルヴィンの舌がねじこまれ、フランセットを蹂躙していく。
「は、……ア……っ、ぅん」
体の芯が熱い。
彼に預けた体の、両足の奥が一番疼いて、フランセットは涙を零しそうになる。
キスの間もずっと、濡れたように光る漆黒の双眸に、見下ろされている。その色香にぞくぞくした。
ゆっくりと唇が離れ、彼は笑みを引く。
「気持ちいい?」
あごを掬い上げている彼の手の、親指の腹が、フランセットの濡れた唇をゆっくりと這っていった。
「ちが……、っあ」
身じろぎしたら、彼の膝の上に乗った両脚の奥がひどく疼いた。ぞわりと背すじを熱がせり上がって、フランセットは目の前のガウンを握り込む。
「や、なに」
メルヴィンの指が伸びて、ネグリジェの釦をひとつひとつ外し始めた。
フランセットはぎくりとして身をこわばらせる。けれど息が上がって、意識が朦朧として、彼の動きを阻めない。
それすらも織り込み済みなのか、メルヴィンはゆっくりとした仕草で釦をすべて外し、フランセットの肩からネグリジェを落とした。初春の空気が肌に触れて、フランセットはびくんと体を震わせる。
それ以上に、素肌をメルヴィンに見られる羞恥で心が焼ききれそうだった。
「み、見ないでくださ」
「綺麗だよ。白くて、なめらかで、今すぐ穢したいくらいに」
メルヴィンの指が、鎖骨から胸の谷間を滑り降りていく。その感触に、フランセットは喘いだ。
彼は薄く笑みながら、唇をフランセットの耳朶に近づけた。優しい声で囁く。
「あなたが僕に伝えたかったことを教えて、フランセット」