15 オオカミ太子へ不用意に近づいてはいけません

 メルヴィンに勧められて、フランセットは腰掛けた。分厚い詰め物がされた革張りのソファだ。

 すぐ隣にメルヴィンが腰を下ろしたから、フランセットはにわかに緊張してしまう。それを紛らわすように、彼女は口を開いた。

「殿下、夕餉の時に珍しくワインをたくさんお呑みになっていましたね」

 メルヴィンはそこまでアルコールに強くないようで、旅の道中、呑んでいるところを見たことがなかった。

「ああ、うん。やっぱり自分の領地に入ると安心するね。つい気がゆるんでしまって」

「酔われました?」

「ん、少しね。だからあなたはあまりここに長居しない方が……、ああ、でもすぐ戻るんだったね」

 メルヴィンはやわらかく笑う。

「フランセットの部屋の居心地はどう?」

 彼女の巻き毛を一房取って、メルヴィンは聞く。直接肌を触れられたわけでもないのに、肌の表面がぴりっと熱くなった。

「は……い。ロジェの私室よりも広くて、驚きました」

「大切なのは広さよりも住み心地だよね。僕の屋敷にフランセットの部屋を用意しているけれど、壁紙や調度品があなたの気に入らなかったらすぐに代えるから、その時は言って」

「贅沢者の妃を娶った王太子だと、評判が下がりますよ」

「愛妻のわがままを叶えるのは、男の甲斐性だよ。僕はあなたを喜ばせたいだけなんだ」

 メルヴィンは手の中のプラチナブロンドに、口付けを落とす。どきりとしたフランセットの視界の中で、綺麗な形の唇が笑みを引いた。

「かといって、フランセットの泣く顔を、見たくないとは言えないけれど」

「え?」

「あなたが話したいことというのは?」

 唐突に本題を突かれて、フランセットは口ごもった。

(だめよフランセット。お伝えするって、決めたのだから)

 己を奮い立たせて、緊張する指先を握り込む。それからまっすぐに、メルヴィンを見た。
 優しく笑んでいたメルヴィンは、フランセットの様子にふと眉を寄せる。

「……フランセット?」

「王太子殿下。わたし、殿下にお約束をしましたよね。ウィールライトに入ったら、自分の気持ちにけじめをつけるって」

 沈黙が落ちる。一拍のあと、メルヴィンがゆっくりと目を見開いた。

 その綺麗な漆黒の双眸を、ひたむきに見つめながら、フランセットは己の胸のあたりでてのひらを握り込んだ。その辺りが高鳴って、痛いくらいだった。

(言わなくちゃ)

 メルヴィンに伝えなくては。いや、伝えたい。今、どうしても。
 今にも溢れでてしまいそうな、この想いを。

 緊張を、暴れる鼓動を抑え込んで、フランセットは意を決して口を開く。

「メルヴィン殿下。わたしは、この旅の道中で気づいたのです。今はそのとをお伝えしたくて、参りました。殿下。わたしは、わたしは殿下のことを、」

「待って」

 ふいに、大きなてのひらで口を覆われた。
 フランセットはなにが起こったのか分からなくて、まばたきをする。

「ごめん。待って」

 メルヴィンはフランセットから目をそらした。その目尻がほんのり赤くなっているのを見て、二度びっくりする。

「……ごめん」

 メルヴィンの、こんなにも気弱な声を、フランセットは初めて聞いた。
 メルヴィンは眉を寄せて頬を赤らめながら、再び目線をフランセットに戻す。

「今は、ごめん。まずい」

 なにが、と聞きたかったが、彼の手で口を塞がれてているのでできない。
 目を白黒させていると、メルヴィン首をゆるく横に振った。

「僕は別の部屋で寝るから、フランセットはこの部屋を使っていいよ」

 口からてのひらが離れた。同時にメルヴィンはソファから立ち上がって、扉の方へ足を運んでしまう。
 フランセットは茫然としたが、やがて我に返って、慌てて彼の腕を引いた。

「ま、待って下さい殿下。いきなりどうされたのですか」

「なんでもないよ、気にしないで」

「でも、急にお部屋を出られるだなんて。もしわたしが、なにか失礼なことをしてしまったのなら」

 フランセットはそう言い募りながら、泣きたくなってきた。
 どうしてメルヴィンが突然部屋を出ようとしたのか――まるでフランセットを避けるようにするのか、まったく分からない。

(気持ちを、お伝えしたかっただけなのに)

「殿下。わたしの話を聞いてください」

「ごめん。今は聞きたくない」

 メルヴィンはノブに手を掛けながら、こちらを見もせずにそう言った。
 明らかな拒絶に、フランセットは衝撃を受ける。思えば、彼から避けられるのはこれがはじめてだった。

 このまま彼の言うとおり引き下がったら、本当にメルヴィンは別の部屋へ行ってしまうだろう。そしてフランセットは訳も分からず傷ついたまま、ウィールライト王国へ着いて初めての夜を、眠れないまま過ごすのだ。

(そんなの、嫌だわ)

 焦燥感に突き動かされて、扉の間際で彼の腕をつかんだまま、フランセットはメルヴィンの広い背中を見上げた。

「待って、メルヴィン殿下。どうしてわたしを、避けるのですか」

 言葉に出したら胸が締め付けるように痛んだ。それをこらえるために、フランセットは彼の背中にひたいを押し当てた。
 瞳を歪めて、それでも涙を押さえ込んで、震える声を押し出す。

「もう、わたしへのご興味を、失ってしまわれたのですか。この道中で、飽きてしまわれたのですか」

 直後、力強い手で両肩をつかまれた。
 気づけば視界が回って、メルヴィンと体の位置が入れ替わっていた。ぐ、とフランセットの背中が、扉に押しつけられる。

 フランセットは目を上げた。
 強く光る漆黒の双眸が、そこにあった。

「僕が、あなたに飽きる?」

 焦れたような熱が、その声にこもっている。
 フランセットはぞくりとして、息を詰めた 。

「十四年間、フランセットだけ想い続けていたのに」

「……っ、」

 唇を貪られた。
 押しつけられた扉が、ギッと鳴る。痛みに体をこわばらせたら、扉から引き剥がすようにきつく抱き寄せられた。

 口腔内を、熱くぬるついた舌が這い回る。くちゅ、と淫らな水音が零れて、嚥下しきれなかった唾液があごを伝った。

「っア……、ん」

 絡め取られて、体内の熱が煽られる。は、とそれを吐息にこぼして、潤んでいく目をメルヴィンに向けた。彼の漆黒の双眸は、フランセットを見つめている。その奥に熱が揺らめいていた。

「ここは僕の領土だよ、フランセット」

 キスの角度が変わる合間に、メルヴィンは熱く掠れた声でそう囁く。その声を聞くだけで、フランセットのうなじのあたりがぞくりとした。

「僕にはあなたが、僕の巣穴に無防備に入ってきた兎に見える」

 フランセットの細い体を一回りしていたてのひらが、ウエストから胸のあたりまでなぞり上がる。ガウンの前合わせをはだけさせられて、薄い絹のネグリジェの上から、胸のふくらみを彼の掌中におさめられた。

「……っ、殿下」

「僕に何を伝えたかったの、フランセット」

 うなじに舌を這わせながら、メルヴィンは聞く。ぬめるような熱い感触に、フランセットの肩がぴくんと震えた。

(こんな状態で、伝えたら、どうなるの)

 突然の事態に動揺しすぎて、うまく考えがまとまらない。
 答えあぐねていると、胸のふくらみにあった彼のてのひらが動いた。やわらかくつかむようにされて、先端を指の腹で軽く擦り上げられる。

「あ……?!」

 そこから生まれた甘い刺激が、体の奥まで伝い降りた。とっさに後ろへ逃げようとしたフランセットを、力強い腕が阻む。

 形を辿るように、何度も彼の指が滑った。びくりと腰が震えて、膝から力が抜けてしまいそうになる。薄い布一枚を隔てた、焦らすように優しい愛撫は、それでもフランセットに混乱をもたらした。

 彼の舌がうなじを撫で下がり、細い鎖骨を右から左へ這っていく。
 フランセットの唇から熱い吐息が零れて、甘い喘ぎまで混じりそうになる。それを抑えたくて、フランセットは必死で唇を噛んで耐えようとした。けれど胸の先端をゆっくりと撫でる指に、崩されてしまう。

「ん……っ、ぁ、あ……」

「僕は理性が利く方だけど」

 鎖骨に甘く歯を立てて、メルヴィンは喉の奥で笑う。

「だから自分でも、自分が厄介なんだ」

「……ッ!」

 先端を軽くつままれ、ひねられただけだった。
 それで足から完全に力が抜けて、崩れ落ちそうになるところを、メルヴィンの膝が割って入った。彼の体と扉に挟まれて、かくんと前に落ちた顔を、大きなてのひらで掬い上げられる。
 唇が奪われた。朦朧とする意識をかき回すように、メルヴィンの舌がねじこまれ、フランセットを蹂躙していく。

「は、……ア……っ、ぅん」

 体の芯が熱い。
 彼に預けた体の、両足の奥が一番疼いて、フランセットは涙を零しそうになる。
 キスの間もずっと、濡れたように光る漆黒の双眸に、見下ろされている。その色香にぞくぞくした。
 ゆっくりと唇が離れ、彼は笑みを引く。

「気持ちいい?」

 あごを掬い上げている彼の手の、親指の腹が、フランセットの濡れた唇をゆっくりと這っていった。

「ちが……、っあ」

 身じろぎしたら、彼の膝の上に乗った両脚の奥がひどく疼いた。ぞわりと背すじを熱がせり上がって、フランセットは目の前のガウンを握り込む。

「や、なに」

 メルヴィンの指が伸びて、ネグリジェの釦をひとつひとつ外し始めた。
 フランセットはぎくりとして身をこわばらせる。けれど息が上がって、意識が朦朧として、彼の動きを阻めない。

 それすらも織り込み済みなのか、メルヴィンはゆっくりとした仕草で釦をすべて外し、フランセットの肩からネグリジェを落とした。初春の空気が肌に触れて、フランセットはびくんと体を震わせる。
 それ以上に、素肌をメルヴィンに見られる羞恥で心が焼ききれそうだった。

「み、見ないでくださ」

「綺麗だよ。白くて、なめらかで、今すぐ穢したいくらいに」

 メルヴィンの指が、鎖骨から胸の谷間を滑り降りていく。その感触に、フランセットは喘いだ。
 彼は薄く笑みながら、唇をフランセットの耳朶に近づけた。優しい声で囁く。

「あなたが僕に伝えたかったことを教えて、フランセット」