23 vs. 第二王子

「ああ、もちろんだよメルヴィン」

 やわらかく受け答えて、エスター第二王子は笑う。その笑顔がメルヴィンにそっくりで、フランセットは驚いた。
 アレン第三王子よりも、もっと似ている気がする。

「我らが長兄は一見する限りとても元気そうだ。十四年間待ち焦がれた花をやっと手に入れたからかな」

 エスターは気障な言い回しでフランセットに目をやった。それだけの仕草がひどく優雅だ。エスターには、メルヴィンやアレンよりも宮廷人らしさが漂っている。

 ウィールライトの王子全員がメルヴィンとアレンのような型破りだったら、王宮の人々はさぞかし大変だろうと思っていた。けれど、ちゃんと王子らしい王子も存在するのだ。

 フランセットは安堵の息をつきつつ、ドレスの裾をつまんで礼を取った。

「お初にお目に掛かります、エスター殿下。わたくしはフランセットと申します」

「こちらこそ初めまして。メルヴィンの不肖の弟、エスターだ。ああなるほど、話には聞いていたけれど、確かに美しい奥方だな。メルヴィンが毎日花を贈るだけある。早朝に長男が庭に出てその日の花を選ぶのは我が家の名物でね。切り花のままだと途中で枯れてしまうから、土ごと持っていって直前で可愛らしく包んであなたの王宮に届けたそうだよ」

「め、名物……」

 フランセットは顔が赤くなった。確かにメルヴィンなら、家人からコソコソ隠れて花を摘みにいくようなことはしないだろう。
 エスターはクスクス笑う。

「だからフランセット、あなたの存在はウィールライト家で知らぬ者はいない。我らが長男の心を射止めたのだからね。だから父上と母上は、早くあなたに会いたいと仰せになっている」

 フランセットは恥ずかしさに身を縮めていたが、最後の言葉にハッと姿勢を正した。

「申し訳ありません。すぐに陛下へご挨拶に伺わなければならないところを、長々と逗留してしまって――」

(理由は、それなのだわ)

 早く王宮に戻ってこい、という王の伝言を伝えにきたのだろう。

「いいよ、フランセットが謝ることではない。戦犯が誰なのかは、ちゃんと分かっているからね」

 『戦犯』の対象であろうメルヴィンは、微笑んだまま首を傾げた。

「そんなことはいいから、とりあえず座ろうか」

 国王からの伝言を『そんなこと』で片付けて、メルヴィンは皆をソファへ促した。
 二人掛けにフランセットとメルヴィンが座り、弟二人はテーブルの両脇を挟む形で一人掛けの椅子に腰を落ち着ける。そこへメイドらが紅茶と焼き菓子を運んできた。

「お、美味そう」

 アレンはひょいとビスケットを摘まみ上げて口の中に放る。きわめて王族らしくない三男坊に対し、注意を促す兄はいないようだ。

 エスターは優雅な仕草でティーカップを持ち上げ、長い足を組んだ。

「メルヴィンならそう言うと思っていたけれどね。でもここは素直に、明日にでも王宮へ戻った方がいいと思うよ」

「ちゃんと戻るよ。でも明日はどうかな」

 メルヴィンはそう言って、紅茶を口に含んだ。

(そういえば、いつ王宮へ入るのかを聞いたことがなかったわ)

 まさか、これから一カ月以上もここに滞在するつもりなのだろうか。

 エスターはティーカップをソーサーに置いた。彼の視線が、フランセットに流れる。

「けれどメルヴィンの奥方は、忌憚のない表現を選ぶなら、弱小国の王女だ。その上五つも年長ときている。臣民らは、彼女がその歳まで誰からも選ばれなかった女性だと判断するだろう。ウィールライト王国は良くも悪くも実力主義。他の者たちにナメられてもおかしくはない。そうなる前に国王陛下の後ろ盾をしっかりと得ておいた方がいいと、俺は思うけれどね」

 自分の弱みを、ここまではっきりと指摘されたのは初めてだ。
 フランセットは眉を寄せる。しかし動揺する時間があったら、エスターにきちんと反論した方がいいだろう。

 フランセットが口を開きかけた時、アレンがかしゃんと音を立てて、ティーカップをソーサーに置いた。

「ちょっと待った。兄貴たち、この辺で話題変えない? エスターもさ、久しぶりに会ったんだからもう少し楽しい話をしようぜ。ほら、このビスケット美味いよ」

 アレンが焼き菓子を摘まんで、テーブル越しにエスターへ差し出した。エスターは「どうも」と返してそれを口の中に放り込む。

「本当だ、美味いな。これを焼いたパティシエのように、フランセットが素晴らしい妃になれるといいのだがね。現状、それは難しいかな。夫の隣にただ座って、まるで綺麗なだけの人形のようだ。これでは権力を狙う親族たちに狙い撃ちにされかねない。特に我らの叔父上は、大変厄介な御仁でね。つねに俺たち兄弟につきまとい、あわよくば自分の娘を誰かに嫁がせようと画策している様子だ」

 フランセットはぎょっとする。
 一方でアレンは、頭痛を覚えたようにひたいを押さえた。

「エスター、あんた捨て身すぎ」

「兄上もどうぞ。美味しいよ」

 エスターが新しいビスケットをメルヴィンに差し出した。メルヴィンはわずかに顔をしかめながら、それを手で押しやる。

「まったく、困った弟だ。叔父上のことはまったく問題にならないし、僕は王宮に戻らないとは一言も言っていない。ただもう少し時間が欲しいと――」

「よろしいですか、エスター殿下」

 フランセットが静かな声で割り込んだ。メルヴィンにかぶせる形になってしまったが、これ以上黙っているのは限界だった。

 三兄弟の視線が、一斉にこちらを向く。けれど怖気づいてなどいられなかった。

「殿下の仰るとおり、わたしは弱小国の王女でした。一見すると、そのような身分の女はメルヴィン殿下にふさわしくないかもしれません」

「そこは認めるの?」

 エスターがくすりと笑う。フランセットは微笑みを向けた。

「ええ、事実ですので。けれど、一度見方を変えてみてください。そうすれば、大国の権力者には、弱小国出身の妻がもっともふさわしいことがお分かりになるはずです」

「それはなぜ?」

「後腐れがないからです」

 フランセットはさらりと言った。エスターが興味を引かれたように、目で続きを促した。

「大国同士の婚姻は、時として厄介です。妻の実家の声が大きいと、夫にとって面倒なことになりかねない。これは平民でも王族でも変わりない真理です」

「なるほど。確かに夫にとって、家庭内に容赦なく踏み込んでくる妻側の親類は厄介なものだな。けれどそれでは、夫側がわがままを通しやすくなる。あなた自身が苦労するのではないのかい?」

「わたしは大丈夫です。こう見えてしっかりしているのですよ。なにしろメルヴィン殿下よりも、年上ですから」

 フランセットはにこりと笑った。

「なるほどね。ふふ、面白い」

 エスターが足を組み直しながら、ティーカップを持ち上げる。フランセットもひとつ息をついて、紅茶を口に含んだ。

「あーまったく」

 それまで息を殺すようにしていたアレンが、大袈裟にため息をつく。それで場の空気がいっきにゆるんだ。

「エスターはさ、ブラコンのくせに捨て身過ぎなんだって。あとからメルヴィンに教育的指導をくらっても知らないからな」

「大切な兄上の妻になる女性だ。少しくらい様子を見させてもらってもいいだろう? それにしても、フランセットは大した度胸の持ち主だ。悪くない。いや、かなりいい」

「そりゃそうだよ、ダメダメな妃だったら俺がとっくにメルヴィンに諫言(かんげん)してるって。ぶっ殺されるの覚悟でね」

 どうやらフランセットは、エスターに妃の適正を試された上、褒められているらしい。
 どう反応していいか分からないでいると、フランセットの腰に、メルヴィンの両腕が絡んだ。ぽすんと抱き寄せられて、頭の上から声が降ってくる。

「まったく僕の奥さんは、綺麗で可愛くて賢すぎるだなんて。他の男に誘惑されてしまわないか心配だな……」

「出たよノロケ。俺今回の行程で何回あてられたことか。明日から代わってよエスター」

 アレンのぼやきに、フランセットの頬が熱くなる。

「で、殿下、エスター様たちの前でおやめください」

「ああ、エスター? 気にしなくていいよ、本当にあの子ときたら」

 憮然とした声とともに、頭の上にキスまで落ちる。

「本当に悪い子だな。僕の大事な妻を試すなんて」