24 すれちがいが、ほんの少しだけ

「試されたのは確かに気分よくないですが、今はそれより離してください」

 ちなみにキスは論外である。
 エスターが、笑いを噛み殺すように謝った。

「申し訳なかったね、フランセット。事前にアレンからじゃじゃ馬姫だと聞いていたから、どの程度かと興味があったんだ。けれど、さすがに兄上のご寵妃が相手だとあとが怖いな」

「じゃじゃ馬姫?」

 フランセットは非難の目をアレンに向けた。メルヴィンが離してくれないので、横目で睨むようになってしまう。
 しかしアレンは悪びれもしない様子だ。

「あーちがうちがう。俺はド根性姫って言っただけ」

「わたしの痛々しさばかりが伝わってくるあだ名ですね!」

 ウィールライトの王子は、クセのある者ばかりだ。エスターだけはまともそうだという考えは、今この時から吹き飛んでしまった。

 兄弟を交えての夕食を終え、フランセットは男性陣より先に正餐室(せいさんしつ)をあとにした。彼らにはこれから、アルコールを手に歓談の時間が待っている。メルヴィンはお酒に弱いようなので、もしかしたらコーヒーかもしれない。

(エスタ―殿下は明日の昼前に発たれるということだから、寝室やご出立の準備をしておかないと)

 家令や家政婦に指示を出し、すべてを良いように整える。それから湯を使って、フランセットはやっと寝室に落ち着くことができた。

 銀製の蝋燭立てに、灯りが揺らめく。それを頼りに書物をめくっていると、メルヴィンが戻ってきた。まだスーツ姿だ。
 フランセットはベッドから降りた。

「お早いですね、殿下。夜通し楽しまれるかと思っていました」

「エスターとアレンは、一定時間一緒にいさせると衝突し始めるんだ。だから適度に切り上げるのが一番なんだよ」

「そうなんですか? そのご様子を一度見てみたいです」

 その時ふとメルヴィンの笑顔に、影が差した。

「大丈夫だった?」

「なにがです?」

「エスターが言っていたこと、気にしているんじゃないかと思って」

 メルヴィンの片手がフランセットの頬を包んで、そのままうなじまで撫で下ろした。体温の高い皮膚に、フランセットはぞくりとする。

「いえ……予想していたご意見そのままでしたから、大丈夫です」

 綺麗な漆黒の瞳に、蝋燭のオレンジが反射する。メルヴィンは、微笑んだ。

「無理はしないで。それだけ、約束して」

「はい」

 メルヴィンは、大切なものを見るような眼差しを、惜しみなく向けてくれる。フランセットはつい恥ずかしくなってしまって、話をそらした。

「わたしのほうこそ、エスタ―殿下に対して失礼な物言いはなかったでしょうか」

「まさか。足りないくらいだよ。その分は僕があとで補填しておくから」

「いえ、わたしは充分なので、やめてください」

「そう?」

 メルヴィンはくすくすと笑う。ふいにフランセットは、この方の声が好きだわ、と実感した。
 声も、表情も、深い瞳の色も。

「わたし、立派な妃になれるよう、精一杯努めますね」

 無意識に、彼の頬へ指先を伸ばしていた。疵一つない肌に触れると、メルヴィンがフランセットの手をゆるくつかむ。

「フランセットなら、今のままでも充分立派な妃だよ」

 微笑みながら贈られた賛辞に、フランセットは体が熱くなるほど嬉しくなった。

「ありがとうございます。がんばりますね」

「うん」

 メルヴィンはフランセットの唇に、軽くキスを落とした。幸福感に包まれながら見上げた彼の瞳に、ほんのわずか影が見えたのを、フランセットは不思議に思った。

 翌日、フランセットはエスターを送り出したのち、一人きりでため息をついた。

 メルヴィンは朝から地主(ジェントリ)との会合のためにサロンへ出掛け、アレンはまだ日も出ないうちに街へ出掛けたようだった。だから見送りに出たのはフランセットだけだ。

 ひんやりとした玄関ホールで、フランセットはもう一度息をつく。憂鬱の原因は、去り際のエスターの言葉だ。

『メルヴィンはあなたを、王太子宮の奥に囲って、ずっと外に出したくないのだそうだよ』

 目を見開くフランセットに、エスターは軽く笑った。

『奥に出入りできるのは、メルヴィンから許しを得た者たちだけだ。けれどあなたはそこで、なに不自由なく幸せに暮らすことができるだろう。そんなことできやしないと思うかい? できるんだよ、ウィールライト王国の王太子なら』

 それはきっと、フランセットを守るためだろう。ウィールライト王国の宮廷は、自由な気風だと聞いている。昨日のエスターのように、口さがなくフランセットを指弾してくる者はいくらでもいるに違いない。

 フランセットが「立派な妃になりたい」と理想を語るたび、メルヴィンの表情が翳る理由が分かった。
 彼はフランセットを、心配しているのだ。

『けれど兄上は、あなたを閉じこめてしまいそうな自分を、なによりも恐れているようだ。なぜだと思う?』

 おとなしく宮の奥に隠されている妃の姿は、フランセットの理想とかけ離れている。それをメルヴィンは知っているからだろう。

「そんなにわたしは、頼りなく見えるのかしら」

 階段の手すりに片手を置きながら、フランセットは苦笑した。

 人目から隠して、守らなければならないほど弱く見えるのだろうか。
 立派な妃だと褒めてくれたのは、ただの世辞だったのか。

(それとも、なにか別の理由があるのかしら)

 フランセットは複雑な思いで、階段を上る。一人で考えていたって分からない。メルヴィンと話をする必要があるだろう。

 夜遅く、メルヴィンが帰ってきた。玄関ホールで抱き寄せられると、彼の服からは土と太陽の匂いがした。乗馬して出掛けたようだ。

「お疲れ様です、殿下」

「僕よりもフランセットの方が疲れたんじゃない? 家令から聞いたよ。彼や家政婦へきちんと指示を出して、家を整えていてくれたんだってね。使用人たちの身が引き締まったと言っていたよ」

「女主人の仕事ですから。今日届いたお手紙を、書斎にまとめておきました」

「ありがとう」

 メルヴィンはフランセットの頬にキスをした。

「まだお風呂に入っていないみたいだけど、夕食は?」

「とりました。殿下は外で夕食会だとお聞きして」

「留守番をさせてしまってごめん。今度はあなたも連れて行くよ」

 メルヴィンはフランセットの頭に頬を寄せる。彼のため息が髪に掛かった。

「お疲れですね。早めにお湯を使ってください。準備はできていますから」

「僕はタフだからね、疲れているわけじゃないんだ」

「あの……では、少しだけお話をさせて頂いてよろしいですか?」

 メルヴィンはは少しだけ体を離して、フランセットを見下ろした。

「いいよ、なに?」

「わたしはそんなに頼りないですか?」

 ストレートすぎるかと思ったが、オブラートに包んだらはぐらかされるだろう。だからフランセットは畳みかけた。

「わたしは王太子宮に押し込められるのは嫌です。だからもう少し、信用してくださらないでしょうか。わたしはすぐに傷つくほど繊細でもありません。殿下より五年長く生きていますから、それなりの処世術も持ち合わせているつもりです」

 メルヴィンはびっくりしたように目を見開いた。それからすぐに、顔をしかめる。

「エスターだな。本当に困った子だ」

「情報の出所はお気になさらず。わたし自身、殿下に違和感を覚えていたことは事実ですから」

「フランセットのことはこれ以上ないほど信用しているよ」

「それならば、お考えを改めてくださいますか?」

「改めるもなにも……。ああそうだフランセット、一緒にお風呂に入ろうか」

「ん?!」

 話の飛躍に、フランセットはついていけなかった。メルヴィンの腕が体に回り、簡単に抱き上げられてしまう。そのまま廊下に出て、浴室へ連れて行かれた。

 美しいタイル張りの室内は、湯気で曇っている。曲線を描く浴槽は琺瑯で作られていて、金色の脚に支えられていた。

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