28 王宮からの謎かけ

 この屋敷で寝起きするようになって、二週間が過ぎた。
 今日はいよいよ、首都、王宮へ向けて出立する日だ。

「これくらい待たせれば、もう大丈夫かなと思って」

 メルヴィンはこともなげに言う。

「『国王陛下の再三のお呼び出しに応じず、寵妃と領地にこもっていた』。そういう噂が広まり切ったころだからね。僕がフランセットに盲目で、あなたに関することはたとえ国王の命令であっても引かないっていうイメージがつくでしょう?」

「それ、殿下のイメージダウンになりませんか?」

「色事に関しては、真面目すぎるよりも多少茶目っ気があった方がいいんだよ。もちろん、一途な方向にね」

「殿下が一途……?」

 フランセットは疑いの眼差しを向けた。

(確かに愛情深くはあるけれど。わたしが初恋だと仰って、大切にしてくださるけれど)

 それにしては、女性の扱いに長けすぎていやしないだろうか。

(大国の王太子様なのだから、たくさんの女性に言い寄られていたとは思うけれど)

 権力(と美貌)に恵まれた男性が性欲を満たす機会など、いくらでもある。侍女のお手つきから夜会の火遊び、高級娼館の出入りなどなど。

(わたしは殿下の妻なのだから、過去の細かい行いは気にしていないけれど!)

 メルヴィンは小さく笑った。フランセットに手を差し出す。

「さあ、馬車へ。王宮へ行こう」
 

 第三章

 石組みの巨大な王宮は、質実剛健を表しているようだった。余分な装飾のない、素っ気ないほどの外観は、逆にウィールライト王家の強さを感じさせる。

 小高い丘、林立する木々の奥に王宮はある。見下ろせば赤や橙の屋根がずらりと並び、舗装された道を馬や人々が行き交っていた。都は活気にあふれている。

「この建物は、国王陛下と王妃殿下がお住まいになっているんだ。僕らの王太子宮は、王宮の庭を挟んだ東側にあるんだよ。挨拶が終わったらそちらに移ろう」

 国王と王妃への挨拶は、滞りなく済んだ。さすが超大国の国王だけあって、メルヴィンの父親は威厳に満ちていた。王妃は物静かな目つきで、フランセットの挙動を逐一チェックしているようだった。

 フランセットは気圧されそうになりながらも、凜とした態度で挨拶に臨んだ。玉座から労いの言葉を掛けられたのち、謁見の間から退出する。冷や汗とともにため息をつくと、ずっと隣にいたメルヴィンが笑った。

「合格合格。さすがフランセットだ」

「今ので大丈夫だったのかしら。陛下と王妃殿下はあまり表情がお変わりにならないから、怖かったわ」

「向こうもドキドキしてたんじゃない? さあ、僕らの宮に移ろうか」

 再び馬車に乗り込んで、大庭園の道を横切っていく。やがて見えてきたのは優美な曲線を描く鉄扉だった。整えられた庭園の奥に、やわらかなクリーム色の宮殿が現れる。階段テラスは美しい純白をしていた。

「素敵。可愛らしい宮殿ですね」

「うん。ここは一時期母上が――王妃殿下がお住まいになっていたところだからね。それを僕が譲り受けたんだ」

 フランセットは首を傾げた。普通、夫婦は同じ宮殿に住むものではないのだろうか。けれどお金に余裕のあるウィールライト王家なら、国王が王妃に宮殿をプレゼントすることもあるのかもしれない。

 王妃の趣向らしく、内観も女性的だった。淡いクリームベージュの壁には金色の装飾が施され、天井には空色を基調とした絵が描かれている。そこから大きく美麗なシャンデリアが下がり、いくつもの蝋燭に照らされていた。

「明日から行事が目白押しだから、今夜はゆっくり過ごそう」

「はあ……。あんまり豪華すぎて、落ち着けそうにないのですが」

 しかしこの夜、豪奢な寝台の上で何度も愛されて、フランセットは別の意味でゆっくりできなかった。赤いビロードのカーテンの内側で、濃密な空気の中、ぐったりと沈み込むように眠った。

 そして朝。起きたら、体の疲れが取れてすっきりとしていた。
 これはいつものことである。眠っている間に、メルヴィンが治癒魔法を掛けてくれているのだ。

「さあ、朝食をとったらドレスに着替えて会食だ。ごく近い身内へのお披露目だよ。気のいい人たちばかりだけど、陛下の弟――つまり僕の叔父上だけは少し意地悪でね。みんな知ってることだから、イヤミを言われても気にしないで」

「はい、分かりました」

 ネグリジェを整えつつ寝台から降りて、フランセットは窓の外を見た。裏庭の向こう側に、背の高い塔がぽつんと建っている。女性的な宮殿の中において、どこか寂しげな佇まいの塔だ。

「あれは物見ですか?」

「いや、ただの塔だよ。今は使われていないんだ。さあ、朝食室へ行こうか」

 メルヴィンに手を引かれ、フランセットは特に疑問もなく従った。

 メルヴィンの言っていたとおり、叔父であるハイラル公ウォーレンは非常に性格が悪かった。

「これはこれはお美しい妃殿下だ。その武器を長く大切に磨くことをお勧めする。豊かではない小国の、それも年上の王女にはそれくらいしか能がないですからな、はっはっは」

 立食のガーデンパーティで良かったと、フランセットはつくづく思った。爽やかな陽光が、引き攣った笑顔を幾分かマシにしてくれるような気がする。

 お疲れ義姉上、とアレン王子がいたずらっぽい目で言った。

「叔父上は娘をメルヴィンに嫁がせたがってたんだ。未来の王太子の祖父になるという野望が潰えて、ショックを隠しきれないんだよ」

 権力争い、というものだろうか。フランセットはため息をついた。

「これからそういうことに否が応でも巻き込まれていくんですね」 

「難しく考えなくても、全部メルヴィンに任せておけばいいよ」

「そうもいきません。殿下の負担になってはいけませんから」

「精神論だけでは解決できないことも多いからね。特にメルヴィンは、特別だから」

 特別。その言葉に、フランセットは眉を寄せた。

「アレン殿下はそうやって、メルヴィン殿下をいつも頼っていらっしゃるんですか?」

「なんで俺に矛先が向くの」

 アレンはくすくす笑って、グラスを傾ける。

「ま、兄貴に頭が上がらないのは確かだね。俺が王族としてここにいられるのも、メルヴィンのおかげだから」

「どういうことです?」

「さあ?」

 悪びれもせずにそう返して、アレンは他の親族の輪へ行ってしまった。

(以前に問題を起こして、勘当されかけたところをメルヴィン殿下に助けてもらったのかしら)

 あの気ままな三男坊なら、ありうる話だ。その後フランセットは、次々に訪れる親族への挨拶に忙殺されて、このことについて深く考えなかった。