29 敵は身内にあり

 そのまま一ヶ月が無事に過ぎた。叔父のハイラル公が鬱陶しいほどイヤミであることを除けば、フランセットはおおむねうまくやっていた。

(今日はお昼過ぎにご令嬢たちとお茶会で、夜は王妃殿下主催の舞踏会があって)

 明日は朝から、都の中央公園で乗馬の会がある。

「妃の仕事というか、ほとんど人脈作りばかりね」

 有力貴族からの手紙の束をライティングデスクに置いて、フランセットはため息をつく。これらの手紙は礼状と次なる集まりへの誘いばかりだ。

 ウィールライト王国の貴族たちは、みな開放的である。遠慮がないので、王太子妃であるフランセットを相手にしても恐縮したりしない。その分距離が縮まりやすいのが特徴だった。

(そういう国民性の方が、わたしは好きだわ)

 フランセットはウィールライト王国に親しみを持ち始めていた。

 昼のお茶会でも、ここ一ヶ月で急速に親しくなった女性たちと、ひとつのテーブルを囲んで楽しくお喋りをした。場所は王太子宮の中庭で、芝生に春の陽光が降り注いでいる。

 流行のドレスのデザインだとか、人気急上昇中の恋愛小説などの話題に花が咲く。もちろん現実の恋愛話も彼女らの大好物だ。先日の舞踏会で、とある伯爵家のご令嬢が、社交界で人気の貴公子と見つめ合っていたらしい。

「通り過ぎた時に会話が耳に入ったのですが、今度お二人で連れ立って蛍を見に行かれるそうですよ!」

「きゃあ、夜にデートだなんて、もうご婚約も秒読みね。今は春蛍(はるぼたる)がとても綺麗に見られる頃ですもの。そこで求婚されるのかしら?」

「羨ましいわ、あの殿方とっても素敵なんですもの」

「でもやっぱり王子殿下方には敵わないわよね! エスター殿下やアレン殿下の格好良さといったら」

「我が国一番の貴公子、メルヴィン殿下を射止められた最高に羨ましい方はこちらにいらっしゃるし?」

 友人たちはからかうようにフランセットに目を向ける。彼女らには、色恋に関するフランセットの反応を楽しむという悪癖があった。
 それに乗ってやるものかと、フランセットはにこりと笑う。

「そうですね、よいご縁に恵まれて幸せだわ」

「王太子殿下がロジェの王女様に入れ込んでいるという噂は有名でしたもの。わたしたち、早くフランセット様にお会いしたかったのよ」

「ふふ、殿下はね、とっても失礼な殿方でしたのよ。わたしたち宮廷の蝶を気にもとめずに、心の中はロジェの王女様のことばかり。何人もの女性が殿下を口説き落とそうとしたけれど、やんわり断られておしまいだったわ」

「ハイラル公のご令嬢だけは最後まで頑張ってらしたけれど、叶わぬ思いでしたわね。だって、メルヴィン殿下のフランセット様を見つめる瞳といったら!」

「本当よね、羨ましいったらないわ!」

 ご令嬢方はきゃあきゃあと盛り上がっている。フランセットは身の置き場がなくて、耳を赤くしてしまった。

「ええと……そろそろお話を変えません?」

「あらどうして?」

「ここ最近、宮廷の話題といったらメルヴィン殿下とフランセット様の一途な恋物語ばかりなのに」

「い、一途というか……。メルヴィン殿下は、女性の扱いに長けていらっしゃるから、恐らく過去にお相手がいたと思うのですが」

 頬を赤くしながらも、しっかり情報収集を試みる自分は、ずいぶんと強くなったと思う。

「そのようなお話、お聞きしたことがないわ。ねえ?」

「ないですわね。メルヴィン殿下はそのあたり、エスター殿下やアレン殿下と違ってクリーンでしたもの」

 他の友人らも、揃って頷いている。

(バレないようにうまくやっていたのかしら)

 メルヴィンの過去に、他の女性がいなかったという可能性は、微塵も考えない。

「ところでフランセット様、わたし不穏な噂を耳にしたのですが」

 友人の一人が、真剣な表情で身を乗り出した。フランセットらもつられて、ひたいを寄せ合う格好になる。

「フランセット様に関わることでしたので、とてもとても心配で」

「まあ、フランセット様に」

「それはいけないわ。どういうお話でしたの?」

 気のいい友人たちは、心配そうにフランセットと噂の持ち主を見比べている。フランセットには心当たりがまったくなかったので、内心焦った。

(あのイヤミな叔父上が、わたしの悪口でも言いふらしているのかしら)

 しかし友人の口から飛び出たのは、予想だにしなかった話であった。

「メルヴィン殿下っ!」

 ばーんとメルヴィンの書斎の扉を開け放って、フランセットは彼に詰め寄った。
 メルヴィンは執務机で手紙を読んでいた様子である。きょとんとした表情で、フランセットを見上げた。

「どうしたの、フランセット?」

「わたしの父が、殿下にお金を無心しているという話は本当ですか?!」

 机に両手をついて、フランセットは一息に質問をぶつける。メルヴィンはまばたきをしたあと、「ああ」と相好を崩した。

「本当だよ。国防のための資金を融通してほしいと、正式に書簡が届いてる。額が少し多いから、いったん僕のところで止めているけれど」

「あっのバカ親父…! ではなく、本当にどうしようもない父親です! 申し訳ありませんメルヴィン殿下、このお話はわたしに一任して頂けませんか? ロジェは今安定していますから、たくさんの資金がいるような状態ではないはずなんです。強欲で野心家な父が、勝手にそれらしくすり寄っているだけに決まっています。資金は王宮の改修工事に使われてしまうかもしれません。わたしが説得して、このようなことは二度としないよう言い聞かせますから」

「うーん」

 メルヴィンは首を傾げた。それからこちらをうかがうように、苦笑する。

「ごめん。フランセットは表に出ないでもらえるかな」

「な、なぜですか?! 実家の不祥事に殿下のお手を煩わせるわけにはまいりません」

「フランセットが出てしまうと、感情論の掛け合いになってしまうでしょう? この程度のこと、あなたが気にする必要はないよ。それよりお茶会は楽しかった?」

「この程度のことって」

 フランセットは絶句した。気を取り直して、努めて冷静に言う。

「でも、実家のことで殿下を煩わせるわけにはいきません」

「ごめんね、ここは堪えて僕に任せてほしい。それとも僕を信頼できない?」

「そんなことは、絶対にありません!」

「ありがとう」

 メルヴィンはやわらかく笑った。

「ならもう少し庭の散歩を楽しんでおいで。僕はもう少し、調べ物があるから」

 結局メルヴィンに丸め込まれて、フランセットは書斎を出た。次の予定まで時間がある。メルヴィンの言うとおり、庭園を散歩でもしようかと、エントランスの階段を降りていた時だった。

「これはこれは王太子妃殿下。ごきげんよう」

 フランセットは表情を引き攣らせた。イヤミな叔父、ウォーレンである。
 四十代後半に差し掛かる王弟は、よく手入れされた髭をさすった。

「優雅に庭園を散歩ですかな? いやいや、王太子殿下のご寵愛を受けられているお方は毎日のんきで羨ましいことですな」

「ええ、夫のおかげで毎日穏やかに過ごしていますわ。メルヴィン殿下と巡り会えて、わたしは本当に幸せ者です」

 フランセットは和やかに微笑んでみせる。ウォーレンは、フランセットが挑発に乗ってこないことを悟ったのか、忌々しげな色をよぎらせた。

「ほう。しかしながらフランセット殿下の立ち居振る舞いは、この上なく淑女らしくあらせられると評判だ。ロズ……ロザ王国、だったかな? 名も知れぬような弱小国出身が、ウィールライトへ来るために必死でマナーをお勉強されたのでしょうなぁ」

「ふふ、そのようなこと。まったくしておりませんわ。不作法で申し訳ないほどです。ちなみにわたしの生国はロジェ王国です。お見知りおきを」

「おお、それは申し訳ない。ロジェ王国、そう、その小国の王が、我が国へ多額の寄付を求めているという話を小耳に挟んだのだがね。お父上の所行を、お聞きしているかな?」

 フランセットは言葉に詰まったが、表情を変えないことだけは成功した。

「ええ。聞き及んでおります。この件に関してはメルヴィン殿下に一任を――」

「なんと! ご実家の図々しい行いを、お忙しい殿下にお任せするとは!」

 ウォーレンは大げさに反応した。フランセットのこめかみがピクピクする。
 それをめざとく見つけたのか、ウォーレンが生き生きし始めた。

「いやいや、これはこれは! |ロズ《・・》のような弱小国の金策のために、殿下を煩わせようとはなんとも不出来な奥方ですな。ああ失礼、つい本音が出てしまいました」

「いいえ、お構いなく」

 国名の間違いを正す気も起きない。悔しすぎて。ウォーレンの言い方は嫌味で腹立たしいが、正論だからだ。
 彼は我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った。

「しかしながら奥方がこの程度の器ですと、やはりメルヴィン殿下にふさわしかったのは我が娘の方でしたな。ウィールライト国王の姪として高度な教育を受けさせているのでね、卑しいところがないのですよ。まったくメルヴィン殿下もとんでもないお荷物を背負い込んだものだ」

 フランセットは今度こそ返す言葉を失った。唇を噛む彼女を見て、ウォーレンは満足げに胸をそらす。

「それではこのあたりで失礼する。王弟として、忙しい身なのでね。のんきに散歩などする時間はないのですよ。ご機嫌よう、王太子妃殿下」

「……ご機嫌よう、ハイラル公」

 かろうじて、挨拶を返すことだけできた。
 上機嫌で立ち去っていく後ろ姿を見ながら、フランセットは自身のドレスをつかんだ。

(本当に野心家というものは、腹立たしいったらないわ……!)

「ああそうだ、フランセット殿下」

 ふいにウォーレンが振り返った。まだあるのかと、フランセットの目つきがついきついものになってしまう。

「ひとつ注進をしておこう。メルヴィン殿下は素晴らしい王太子だが、欠点もある。幼少時から殿下を知っているが、あのお方はお父上にそっくりだ」

 確かにメルヴィンは、国王に面差しが似ている。

「顔だけでなく、女癖の悪さまで似ていないといいのだがね。はっはっは」

 フランセットは、今度ばかりは意思を込めてウォーレンを睨みつけた。ウォーレンは馬鹿にするように鼻を鳴らして、この場を立ち去っていった。