太陽の光が眩しい。フランセットは、外の光量の多さに驚いた。
「こんなに明るかったんですね」
感動したように呟くと、メルヴィンが気遣わしげにこちらを見下ろした。
「前庭まで歩けそう?」
「そこまで体が鈍っているわけじゃないですよ」
「手を」
差し出されたてのひらに、フランセットは自身のそれを預けた。
敬礼する衛兵をあとにして、中庭を抜ける。宮の外壁を沿うようにして、前園へ向かった。前庭の小道は石畳によって綺麗に舗装されている。花壇の中を黄色い蝶が舞っていた。
春の風が頬を撫でる。新鮮な空気が胸いっぱいに広がって、フランセットの頬は自然にゆるんだ。
「やっぱり外は気持ちがいいわ! ぐるぐる考えていたことが、綺麗に消えていく気分です」
「そう?」
メルヴィンは可笑しそうに笑う。塔の中で見るよりも、日の光の中で見る方がメルヴィンの笑顔は明るい。イケメン度が五割増しだ。
「だってメルヴィン様も、最近はお辛そうでしたから。たまには頭を空っぽにして、こうやってお散歩する時間も大切ですよ」
「本当にそうだね」
色とりどりのチューリップに、黄色いスイセン。紫色のクロッカスと、それより幾分か淡いブルーベル。向こうの方にはマグノリア の木が大ぶりの花を咲かせている。
「アレンやエスターもがんばってくれているから、僕だけこんなに穏やかな時間を過ごしてしまって申し訳ないけれど」
「誓ってもいいです。アレン殿下とエスター殿下も絶対にこうやって息抜きしまくっていると思います」
「ああ、そうかもしれない。特にエスターは女性関係が手広いから……ああいうのはある程度で止めておいた方がいいと、何度も言っているんだけどね」
ローズガーデンの前に辿り着く。濃く甘い香りと、咲き乱れる艶やかな花びらが、迷路のような生け垣に広がっていた。
綺麗、と思うより先に「女性関係が手広い」という言葉にフランセットは反応した。 悲しき妻のサガである。
「殿下。つかぬことをお聞きしますが」
「うん、なに?」
フランセットと手を繋ぐメルヴィンは、とても幸せそうな表情をしている。
ここで水を差すのもどうかと思うが、今から聞こうとしていることは、ずっと前から気になっていたことだ。長い間閉じ込められて、やと外に出られたおかげで、フランセットは開放的な気分になっていた。だから、ついにこの質問を正面からぶつけることに成功する。
「殿下の過去の女性関係は、どの程度多かったのですか?」
「え?」
メルヴィンは目を丸くした。
「過去の女性関係? 僕の?」
「ずっと前からお聞きしたかったのですが、機会がなくて」
「そんなことを聞かれるなんて思ってもみなくて、びっくりしたよ」
「わたしが初恋だと仰りながら、女性の扱いに長けすぎていらっしゃるから、申し訳ないですけれど実はずっと疑っていました。疑うどころじゃなく確信レベルですが」
「それは誤解だよ」
メルヴィンは可笑しそうにクスクス笑う。やわらかい目でフランセットを見つめながら、実に爽やかに言った。
「だって僕は、フランセット以外に勃たないもの」
「……」
その発言に、フランセットは固まった。
「……。はい?」
「詳しく説明するとね、……ああ、ちょっと待って。お客さんのようだ」
ふいに、メルヴィンの表情が一変した。フランセットを背後に庇いながら、後ろを振り返る。
フランセットがびっくりして、メルヴィンの背中から少しだけ顔を出した。生け垣の入り口より向こう側に、一人の男性の姿が見える。
「ウォーレン様……?!」
フランセットは息を呑む。叔父のハイラル公ウォーレンだ。突然現れたことにも驚きだが、それよりもびっくりしたのは彼の様相だった。フランセットが知る姿より、ずいぶんやつれている。
すさんだ様子、といったほうが正しいのかもしれない。目の下にはクマができ、いつもきちんと手入れされていた髭すら荒れている。
いや、今は叔父の様子なんかより。
(今……ものすごく重要なことを、殿下が打ち明けようとしていたのに……!!)
衝撃発言をぶつ切りにされて、フランセットは歯ぎしりしたい気分である。
ウォーレンは、口もとを歪めるように笑った。
「ごきげんよう、両殿下」
「お招きした記憶はありませんが」
メルヴィンは静かな声で言う。門衛らが、戸惑った様子でこちらへ駆けてくるのが見えた。王弟の権力を振りかざして、ここまで強行突破してきたのかもしれない。
「お引き取りください。宮の者に送らせましょう」
「叔父に向かって冷たいことを言うじゃないか。幼い頃はあんなに良い子だったのに、最近の殿下は身内に対して実に非道であらせられる」
(家族思いの殿下に対して、なんてことを仰るの)
フランセットは怒りで唇を噛みしめた。一方メルヴィンの声はいたって静かだ。
「お引き取りを」
「くそっ……」
ウォーレンは悔しげに歯噛みした。メルヴィンの後ろにいるフランセットを睨みつける。
「この女狐が……! 貴様さえ現れなければ、私の計画は順調に進んでいたはずなのだ。娘をメルヴィンに嫁がせて我が家は強大な権力を手に入れるはずだったのに、小国の、それも年上の王女がメルヴィンをうまくたらしこみおって。いったいどれほど淫らな手管で籠絡したんだ、この売女がッ」
あまりの侮辱に、フランセットの体が震えた。怒鳴り返す声が喉もとまで出かかった時、メルヴィンが動いた。ウォーレンの顔面をつかみ上げるようにして口を塞ぐ。
低い声で忠告した。
「それ以上喋らないでください。殺してしまう」
ウォーレンの目が、恐怖に引き攣った。メルヴィンは彼を力任せに突き飛ばす。
芝生の上に転がった王弟は、息を乱しながら顔を上げた。その表情は、恐怖と屈辱に染まっている。
「殺りたければ殺れ! どうせもう、破滅している! 弟たちに私の周囲を探らせているだろう、知っているぞメルヴィン!」
「そうであれば話は早い。早晩あなたをお迎えに上がります」
メルヴィンの声は、底冷えするような冷たさだ。
「お覚悟を、ハイラル公。誇り高き王弟の矜恃を示され、みだりに騒がれることのないよう願っております」
「は、誇り高い王弟だと! メルヴィン、貴様こそ国王のようになるのではないか? 妃をないがしろにして旅芸人の娘に溺れ子どもまで産ませて――、貴様ら兄弟は揃って父親似だからな! いいかフランセット、覚えておけ。この男はいつかおまえを裏切り、別の女を抱くぞ!」
「……」
叔父による会心の一撃であったが、先ほどのメルヴィンの衝撃発言がチラつき、フランセットは微妙な心持ちで沈黙した。
叔父はまだわめいていたが、メルヴィンの指示によって衛兵らに引きずられていった。彼らの姿が見えなくなったところで、メルヴィンはため息をついてフランセットを振り返る。
「ふう、びっくりした。突然沸いて出たからなにごとかと思ったよ。大丈夫、フランセット?」
「え、ええ、わたしは問題ないのですが」
「あんな風に好き勝手言わせてしまってごめんね」
メルヴィンは申し訳なさそうに微笑みながら、フランセットの髪を撫でる。
「やっぱりまだ塔から出るべきじゃなかったかな」
「いいえ! ハイラル公のご発言は的外れに過ぎて、逆にあくびが出るほど退屈でした。眠気覚ましにお散歩を再開しましょう」
「ああ、そういえば、散歩どころか話も途中だったね。ええと、僕の過去の女性関係の話だっけ」
フランセットは内心飛び上がったが、メルヴィンはいつもの様子で話を続ける。
「僕の過去は綺麗なものだよ。あなたに初めて会ったのは、確か六歳の頃だよね。あの時は精通もまだだったけど、五年後くらいにはあなたを思いながらさんざん、」
「ストップ! その綺麗な顔で、それ以上のリアルネタはダメです!」
「そう? じゃあ端折(はしょ)るけれど、僕はもしかしたら機能不全なのかもしれない。本当にフランセット以外には反応しないんだ」
メルヴィンは、こちらが見とれてしまいそうなくらい綺麗に微笑んで、フランセットの頬を撫でた。
「だから僕にはフランセットだけだよ。心も体もフランセットしか愛したことがないし、これからだってそうだ」
とろけるような甘い告白に、しかしフランセットは愕然と目を見開く。
「ということは、あれが初体験? あれで? そんなバカな!」
「どうしたのフランセット。もしかして僕、ヘタだった? 本能に従って動いただけなんだけど……ダメな夫で本当にごめんね」
「本能? 本能の導きだけであんなことやそんなことを?!」
「僕は夫失格だな……。今後はエスターから教えを受けて、もっと頑張るから」
「いえ、これ以上頑張らないでください」
そう訴えるフランセットの表情は、真剣そのものだった。