第一章
時は昼まで遡る。
ウィールライト王国首都ウィーリィ、広大な王宮の敷地内に建造された王太子宮。もともとは時の王妃のために用意された離宮というだけあって、白を基調とした優美な造りの宮であった。
この王太子宮に、本日、来客があった。王太子妃フランセットの従姉妹、アレット=グリムである。
フランセットの生国、ロジェ王国に住んでいる彼女が、夫とともにウィールライトへ入国したのは一週間ほど前のことだそうだ。旅好きの夫は、暇があればあちこちに足を伸ばすらしい。そういえば、以前海辺で再会した時も、彼女は夫と旅行中だった。
初夏の昼下がり、応接間のテーブルに向かい合って、フランセットは彼女とお茶を楽しんでいる。いや、楽しんでいるというと、語弊があるかもしれない。
なにしろ従姉妹は、性悪なのだ。
「ふうん、素敵な宮ね。ロジェ王国の王宮よりも広いんじゃない? ここに王太子殿下と二人きりで住んでるの?」
「ええ、そうよ」
フランセットはティーカップを手にとった。アレットは値踏みするようにじろじろとこちらを見てくる。
「へえ……ドレスもアクセサリーも素敵。シンプルだけどセンスがいいし、質も最高級ね。さすが超大国ウィールライトの王太子妃様だわ」
「どうも」
「あんたはもともと美人だったけど、以前よりさらに綺麗になってない? 髪もつやつやして、肌も白くて。頬はピンク色で、唇は果実みたい」
「侍女の腕がいいのよ」
「華やかな雰囲気が増して、さすが王太子妃様だわ」
「あのねえ、アレット」
フランセットは、呆れと警戒を織り交ぜてアレットを見る。
「わたし知ってるのよ。性格の悪いあんたが、わたしを気持ち悪いくらい持ち上げる時は絶対にウラがあるって」
「あら、さすがフランセットは賢いわね。人のウラを見抜く洞察力をお持ちなんて」
「いいからさっさと言いたいことを言いなさいよ。あんたの言うとおり、わたしは超大国の王太子妃なんだから、毎日なにかと忙しいのよ」
「忙しい? ふーん? ウィールライト王国の王太子妃様がねぇ」
アレットはいやらしい笑みを浮かべた。同い年の従姉妹は、顔立ちがそこそこ整っているだけに、こういう表情が最も板につく。
「最近では、ウィールライト王家の女性が政務につくことはなかったわよね。王妃でもないお妃様の毎日といったら、お茶会やパーティー、ごくたまに王立施設を見て回ったり、その程度のはずよ。それくらいのことで毎日目が回るほど忙しいの? このしっかり者のフランセットが? 片手間でこなせるはずよね」
「なにが言いたいの? 回りくどい言い方はやめて、はっきり言って」
「あんた、他国から嫁いできたばかりのくせに、王太子殿下を凌ぐ勢いでバリバリ仕事してるってほんと?」
「……」
フランセットは紅茶を飲みほした。侍女がつぎ足してくれる間、視線をあさっての方へ向ける。
アレットが勝ち誇ったように笑った。
「動いていないと死んじゃうフランセットだものねぇ。確かあんた、ロジェにいた時も、父親を凌ぐ勢いで執務に励んでいたわよね。あんたのとこの家族はちょっとヌけてたから、それでだいぶ助かっていたみたいだけど?」
フランセットの家族といえば、れっきとしたロジェ王国の国王一家だ。それを揶揄するアレットは不敬だが、情けない父やあざとい母、そして口から先に生まれたような弟を思い出し、フランセットは反論を控えた。
しかしながら、自己弁護だけはしておきたい。
「嫁入り前は、仕方なく仕事してたのよ。うちの両親はああだから、わたしが動かないと回らないことがいくつもあったの」
「あんたが嫁入りしてからも、うまく回っているみたいだけど?」
ハタから見たらそうだろう。しかしフランセットは、最近解決したばかりの、父によるお金の無心事件を思い出して、顔をしかめた。
「いろいろと問題はあったのよ。だから最近、わたしがデキる官吏をこちらで見繕って、実家に何人か送っておいたの」
あの強欲のわりに小心な父には、金を送るより人材を送った方が悪用されない。もちろん、あちらに渡ってくれた官吏とその家族には、手厚い待遇を与えている。
「ふうん……。王太子妃としての仕事だけでなく実家の面倒も見てるなんて、さすがフランセットだわ」
「あんたのイヤミも聞き飽きてきたんだけど」
「ワーカーホリックって呼んでも?」
こいつ、と思いながらも、フランセットは鼻で笑った。
「光栄よ」
「でも、夫を凌ぐ勢いで仕事して、さらに実家のことにも手を出してるなんて、王太子殿下はイヤな顔をしないの?」
アレットはクッキーを口に放り込みながら聞いてくる。
「しないわよ。そんなことで目くじらを立てるような方ではないもの」
「確かに器の大きなお方のようだけど。それでもちょっとやりすぎなんじゃないの?」
「どういう意味?」
「フランセット。あんたは完璧すぎるのよ」
アレットの指摘に、フランセットは逆に力が抜けた。
「そんなわけないでしょ。王都にきた直後だって、わたしは問題を起こしてしまったし」
「でもあんた、周囲から怖がられてるわよ。仕事の鬼だって」
「……」
フランセットはアレットから目をそらした。
確かに、書斎にこもって猛烈に仕事をしていたり、外交業務をする際のスーパー営業スマイル装着の時、侍女や官吏たちはあまりフランセットに近づいてこない。フランセットが呼んだら風の早さで駆けつけ、直立不動で用件を聞き、迅速かつ確実にそれをこなしてくれる。
(もしかしたら、わたしの勢いにあてられて、失敗したら殺(ヤ)られるレベルの心持ちにさせてしまっているのかしら)
あえて目をそらしてきたことでもあったので、フランセットはゴクリと喉を鳴らした。
(わたしって、鬼上官……?!)
「それだけじゃないわ。貴族のご令嬢やご子息たちも、あんたに恐れをなしている様子よ。昨夜、舞踏会に出てみて分かったけど、あんたの完璧すぎる立ち居振る舞い、話術、そして殿下の激しすぎるご寵愛っぷり。この三点セットに他の貴族たちは戦々恐々、一つでもヘマをしたら、嫁の失敗を見つけた姑の如く糾弾されるか、殿下にチクられるか、その二択だって怯えまくってるのよ」
「わたしはネチネチ嫁いびりなんてしないし、夫に言いつけることだってしないわ」
「でも昨日、自分のドレスの裾を踏んづけちゃった若いレディに『気を付けて』って注意してなかった? あの子、めちゃくちゃ怯えてたわよ」
「転びそうだったから、危ないわよって伝えただけじゃない」
「侍女からも官吏からも貴族からも恐れられるお妃様は、普段、王太子殿下といったいどんな会話をしているのかしら?」
「どんな話って」
「人前であれだけイチャイチャイチャイチャしてるんだから、さぞ艶めいたお話をたくさんしているのよねぇ?」
「……」
フランセットは再びアレットから目をそらした。