03 超乙女級ドレスによる羞恥プレイ会場はこちらです

 この段になって、アレットはふいに、真剣な顔つきになった。

「まさかとは思うけど、王太子殿下とふたりきりの時にも鬼上官モードになっているわけじゃないわよね?」

「いや、そんなことは……。メルヴィン殿下はいつもにこにこ話を聞いてくださるし」

「あの殿下なら、内心を隠しつつニコニコの芸を簡単にこなしそうだけど」

「あのお方、意外とすぐに表情に出るわよ」

「それで、どんな会話をしてるのよ?」

「国の運営に関することを熱く語ったり、貴族間のパワーバランスについての慎重な対策について話し合ったり……」

「失格よ、失格!」

 アレットはバンとテーブルを叩いた。

「たまにはそういう話題もアリだけど、四六時中それだと殿下の息が詰まっちゃうわ! 妃なら殿下に癒しのひとときを与えるのも立派な仕事でしょう?」

 フランセットは身を乗り出した。

「そうなのよ、そのあたりの男女の固定化された役割に基づく意識改革について、昨夜も殿下と熱く語り倒して……」

「社会問題大いに結構! でも殿下は超大国の王太子っていう重い立場にいらっしゃるんだから、そのあたりは女の知恵を働かせていかないと。今のままだといずれ夫婦の危機に発展するわよ」

「じゃあどうすればいいのよ?」

 フランセットは白旗を揚げた。アレットはあごに手を掛けて真剣に考えこんでいる様子だ。

「フランセットは完璧すぎて可愛げがないのよね」

「か、可愛げ?」

 未知の領域である言葉に、フランセットは目を白黒させた。アレットは深く頷く。

「あんたは毎日毎時毎秒、あの砂糖菓子でできているみたいな王太子殿下にカワイイカワイイ言われて油断しきってるのよ。女は可愛いだけじゃだめなのよ。可愛げがないとだめなの」

「ニュアンスはなんとなく伝わるけれど、別にわたしは油断しているわけじゃないのよ。身だしなみに気を付けているし、体重管理のためにお菓子を食べ過ぎないようにしているし」

「女としてサボってはいないけれど、可愛げを醸し出す方法が分からないということね」

「そういうことになるわね……」

 フランセットは神妙に同意した。

「分かったわ。一番手っ取り早いのは見た目ね。あんたのドレスが上質でシンプルだけど、綺麗すぎてスキがないのよ。確か今夜、舞踏会があるんでしょ? わたしは夕方頃に王都を発つから出席できないけれど、可愛げのあるドレスを見繕ってあげる。あとはそうね、いつもよりしおらしくしてみたらどう?」

「あの殿下の好みが、しおらしい女性だとはとても思えないんだけど」

「そもそもフランセットは、殿下の好みを把握しているの?」

「ええと……家族と、裏表なく、ずっと仲良く暮らしていけるような感じの」

「なによその妙に現実感のある好みは」

「殿下の好みの女性について深く考えたことがないのよね」

「じゃあまずはそのあたりから探っていく必要があるわね」

 フランセットは渋面を作った。

「探るって、別にそこまでしなくても。なんだかんだ言っても、ちゃんと夫婦なのよ」

「その油断が透けて見えるところがあんたの危ういところよ。いくら国教で離婚が禁じられているからって、仮面夫婦になる可能性はいくらでもあるわ」

 フランセットはハッとした。確かにアレットの言うとおりだ。メルヴィンの父親の例もある。

(でも、あの殿下に限って愛情が冷めきったり、浮気をしたりすることがあるかしら)

 ほぼ百パーセント、ないと思う。

(アレットはああいうけれど、今のままできっと大丈夫だわ)

 さっきまで大いに揺さぶられたフランセットだったが、まもなく気をとり戻した。おかしな小細工を弄するよりも、これまでどおりでいることが夫婦円満の秘訣だと思い直す。アレットの主張は、参考程度に心にとどめておくことにした。

 しかしこの夜、フランセットの考えを再び揺るがす出来事が起こったのである。

 夜会のホールで、フランセットはメルヴィンにエスコートされつつ、王太子妃としての務めを果たしていた。

 主催者夫人との歓談を終え、給仕から受け取ったワイングラスを片手に、壁際に寄る。メルヴィンがひと息つきたそうな表情をしていたからだ。

「お疲れですか、メルヴィン殿下?」

「そうでもないんだけどね」

「今日、剣士団寮の代表が直談判に訪れたと聞きましたけど、その件ですか?」

「フランセットは耳ざといなぁ。剣士たちから強烈な要望の突き上げがきて、それをどうしたものかと思って」

「どんな要望です?」

「そこまでは教えない」

 メルヴィンは、オレンジジュースの入ったグラスを傾ける。彼はアルコールがそんなに得意ではないのだ。

「殿下は、わたしにはやっぱり、軍事に関する一切を触れさせないおつもりなんですね」

 メルヴィンは結婚当初から、頑なにそれを崩さない。フランセットは、あきらめの中に若干の不満を混ぜて、彼を見上げた。
 メルヴィンは、漆黒の双眸を優しくゆるめる。

「ごめんね。理由が聞きたいなら、いくらでも話すよ」

「なんとなく想像できるので、いいです」

「今日のドレス、いつもと雰囲気が違うね」

 フランセットはどきりとした。

 アレットから勧められたドレスは、フランセットの更衣室の奥の奥にあったものだ。侍女によれば、フランセットはこのドレスをひと目みて、「動きにくそうな上に、肩が出てる。却下」と切り捨てたらしい。記憶にない。

(お母様が、嫁入り道具のひとつとして持たせてくれたドレスだと思うけれど)

 なにしろ、ピンクだ。
 フランセットは落ち着かない気分で、胸もとを愛らしく飾るレースを見下ろした。

 ノースリーブのドレスは、フランセットの華奢な肩と細い鎖骨を美しく際立たせている。胸もとから下はぴったりと体のラインに沿うつくりで、淡いピンク地に銀糸で花の刺繍がなされていた。ウエストラインからはふわりと広がるフルレングスである。花びらのように幾重にもシフォンが重ねられ、動くたびに可憐に揺れた。

(こんなドレスを着たの……十六歳の社交デビューの時以来じゃないかしら……)

 ドレスを試着したフランセットは、鏡の中の凄まじいロマンティックっぷりに恐れおののき、すぐさま脱ぎ捨てようとした。しかしアレットに叱られ、なぜか色めき立っていた侍女らに羽交い絞めにされるようにして、ヘアメイクまで強行されてしまったのである。

 ドレスが初々しいホワイトピンクなので、メイクの色味は控えめに。肌にふんわりとした質感の粉をはたき、ところどころに艶めきを乗せる。くちびるはぷっくりと煌めく仕上がりになった。

 ヘアはハーフアップである。すべてを結い上げてしまうと、肩と首もとが寂しげになるからだそうだ。サラサラした見事な金髪を、耳のあたりから掬い上げ、後ろでまとめてヘアアクセサリーで飾り付けられた。

 完成品に仕立て上げられ、鏡に映ったフランセットの顔は、しかし完全に引きつっていた。
 それなのにアレットは、満足したように深く頷き、侍女たちは目をキラキラさせて、互いの健闘を称えるように手を取り合っている。

(なんなの一体……なんなの……?!)

 フランセットはまず、夫にこの姿を晒さなければならないという羞恥プレイに打ち震えた。メルヴィンは、舞踏会へ行くために、王太子宮の玄関ホールでフランセットを待っていた。

(メルヴィン殿下はきっと、この超乙女級ドレスを見て、『なんでこんなドレスを着てるんだろう』って表情で語ってくるんだわ。天使みたいに綺麗な顔ですべてを物語るの、本当にやめてほしい……)

 フランセットは恐る恐るメルヴィンを覗った。メルヴィンはフランセットを見て三秒ほど沈黙したが、しかしそのあとは、いつもどおり微笑んで、フランセットに手を差し出し、無言で馬車へと促したのであった。

 あの時、フランセットは肩すかしを食らいつつも、盛大に安堵したものだ。きっとメルヴィンは、ドレスの傾向がいつもと違うことに気づきはしたが、些細なことであると気に留めなかったのだろう。

 フランセットはそう思っていたのに、今、舞踏会の真っ最中であるこの時に、あえて口にするメルヴィンである。『王太子妃のフランセット』を保たなければならない場で、フランセットはワインにむせそうになりながらも、平常心を装った。

「そうですか? いつもと同じですよ」

「ピンクを着ているところを初めて見たよ。それに、スカート部分がふんわりしているタイプも珍しいんじゃない?」

「いいえ、ピンクは昔から大好きですし、ふわふわしたドレスも大好物です」

「ふうん?」

 メルヴィンは不思議そうに首を傾げた。オレンジジュースを口に含んでから、ふいに笑みを浮かべる。

「似合ってるよ。可愛い」

「あ、ありがとうゴザイマス」

「耳飾りは、白い羽根とピンクの石なんだ」

 メルヴィンの指が伸びて、しゃらりと流れる耳飾りに触れた。彼の熱が耳朶を掠めたので、フランセットの肩が小さく跳ねる。
 メルヴィンは、耳飾りに触れたまま、くちびるをフランセットの耳に寄せた。

「フランセットがあんまり可愛いから、ホール中の人々があなたを見ているよ」

 残念ながらそれは違う。フランセットの乙女ドレスが物珍しいだけである。そうに決まっている。フランセットがそう反論しようとしたら、くちびるにキスが落ちた。

「今夜は僕以外の男と踊らないで」

 爽やかに微笑んでから、メルヴィンはフランセットの側を離れた。そのまま、仲の良い公爵家の子息と歓談に入ってしまう。

(僕以外の男と……踊らないで……?!)

 フランセットは愕然とした。
 この超乙女級ドレスよりもさらに甘ったるいのは、実は夫だった。

 フランセットは「勝てない」という思いを強くしつつ、壁際のソファに避難した。他の男性にダンスに誘われないようにするために、少しだけ疲れているような表情を装っている。

 本当は人前で疲れた演技などしたくないのだが、仕方がない。メルヴィンは穏やかに見えて、実はとてもやきもちやきなのである。