05 弟王子たちと同盟を組もう!(エスター編)

 次の曲はスローテンポだった。ゆったりとした旋律に身を任せながら、フランセットはエスターと踊る。
 エスターの身長は、メルヴィンと同じくらいだろうか。体型が似通っているので、もし目を閉じたら、どちらと踊っているのか分からなくなってしまうかもしれない。

 しかし、リードの仕方は異なる。メルヴィンは自然とこちらに合わせてくれる感じだが、エスターは一歩前に出て引き上げてくれるという印象だ。

 そして、ダンス中に目が合うと、口もとで優しく微笑みかけてくれる。その完璧に整った美形っぷりに、夜の女性たちがメロメロになるのも頷ける。

(もって三か月だと分かっていても、女性が引きも切らないわけね)

 優しくリードしてくれる、完璧な王子様。そんな男性を夢見る少女達には、うってつけの偶像だろう。

「今夜は愛らしい装いだね、フランセット。あんまり可愛いから他の男と踊らせたくないって、メルヴィンに言われた?」

 しかも、カンがいい。フランセットがどう答えたものかと眉を寄せていると、彼は軽く笑った。そしてやはり、意地悪である。確信犯的である。

(要するに、どこかひねくれているのよね。シニカルというか、世の中を斜めに見ているというか)

 これも、幼いころ目にした父親の不貞が根底にあるのだろうか。恋人をとっかえひっかえしているのも、そのあたりに理由があるのかもしれない。

(メルヴィン殿下は執着が強いし、アレン殿下はそもそも女性自体にまったく興味がない印象だし)

 考えてみれば、なにかと問題のありそうな兄弟である。もしこれが父の不貞を要因とするなら、やはり色好みを許容する文化は廃してしかるべきなのだ。

 フランセットの視界にメルヴィンが映った。彼もどこかのご令嬢と踊っているようだ。人の波の向こう側だったので、すぐに姿は見えなくなる。

 ふわりとターンしたあと、フランセットはエスターと目を合わせた。エスターはにこりと微笑む。

「どうしたんだいフランセット?」

「ウィールライトでは、男性は婚前に恋人が多くいた方がよいとされているのですか?」

 このヒネた王子には、ストレートに聞くのが一番だろう。案の定、エスターの完璧な微笑みが若干崩れた。彼は、わずかに苦笑いを混ぜつつ口を開く。

「どうしたの突然。メルヴィンに限って言えば、過去の心配はまったくないよ。だって彼は、フランセットしか知らないからね。それとも聞きたいのは俺の話かな?」

「エスター殿下やメルヴィン殿下個々人の話を掘り下げるつもりはありません。ウィールライトの男女関係に関する文化についてお聞きしたいのです」

「男女関係の文化……?!」

 エスターが、思わずといった感じで吹き出した。

「ものすごい言葉だな。一体どうしてそんなことを調べようと思ったんだい?」

「男女関係の乱れは社会の乱れに繋がるからです」

「確かにそういう部分はあるけれど、恋愛の悲喜こもごもを愉しむのは個人の自由ではないかな。そういう自由な気風がこの国の強みでもあると思うよ」

「一理ありますね。そういった好影響の側も調べていき、対策の要不要を判断しなければならないと思います」

「成程、公平だ」

 エスターは口の端だけで笑った。穏やかな曲調に合わせ、フランセットを抱き寄せるようにして耳もとにくちびるを寄せる。

「フランセットは真面目だね」

 サラリと囁かれて、衝撃にフランセットの肩が跳ねた。なんてことを言うのだ、この王子は。

(その言葉は、メルヴィン殿下の口グセみたいなもので)

 それを、メルヴィンにそっくりの声で耳もとに囁かれたのだ。不意打ちに動揺したフランセットは、思わず顔を赤くしてしまった。
 そのスキを刺すように、エスターが次の質問を仕掛けてくる。

「男女関係の調査を思い立った理由と、この可愛らしいドレスを着ている理由は、同じもの?」

「ちっ、違います!」

「頬を林檎みたいにしていると、俺が齧って食べてしまうよ?」

「はあ?!」

「普段きみが、こういう可愛らしいドレスを着ないのは、きみの性格をそのまま表しているように感じていた。それを変えてきたということは、なにか特別なきっかけがあったんだろう? 女性にとっての装いは、そのまま自身の心を装うことに通じているから。ああそういえば今日、王太子宮にご友人の来訪があったみたいだね。どんな話を?」

 エスターは優雅に笑う。本当に、憎らしいほとカンがいい。しかも、何人もの女性と通じていただけあって女心を分かっている。

 メルヴィンは、フランセットが隠したがっていることを無理に暴こうとしないが、エスターはダメだ。恐らく、嘘をつかれることが嫌いで、それを暴くことに闘志を燃やすタイプだろう。軍の参謀本部に所属すればさぞ大活躍するに違いない。

 フランセットは早々に白旗を揚げることにした。そもそもこういうタイプは、敵に回すより同盟を組んだ方が双方に利がある。
 フランセットは、頬のほてりを沈めるために深呼吸をした。それからエスターを見上げる。

「笑わないで、聞いてくださいますか」

「レディの話を笑うことなんて、俺はしないよ」

「わたしはその……どうやら可愛げが、ないみたいなのです」

「……」

 エスターは無表情で三秒ほど沈黙してから(おそらく笑いをこらえていたのだろう。フランセットの目はごまかせない)、慎重そうな様子で聞きかえしてきた。

「可愛げ?」

「そうです。例えば、」

 その時ホール内がわずかにざわついた。人々の視線の先には、メルヴィンと女性がいる。女性と言っても、社交界デビューした手なのか、まだ十六、七歳ほどであどけない。

 そんな彼女が、踊っている最中によろけでもしたのだろう。危うげなくメルヴィンが抱き止めて、「大丈夫?」と優しく声を掛けていた。彼女は耳まで赤くなり、メルヴィンを潤んだ瞳で見つめている。礼を言うのも忘れるほど、目の前の王太子様に見とれているらしい。

「……。たとえば、ああいう感じの可愛らしさです」

「ああ、成程。確かにフランセットは、ダンスでよろめいて転ぶなんてこと絶対にしないね。もしあっても、メルヴィンが助けた時点で大丈夫ですからと突っぱねそうだ。ああでも、頬は赤くなるんじゃないか?」

「官吏や貴族に対する態度は、まさに鬼姑であるとも言われてしまったのです。このままではいずれ、メルヴィン殿下に愛想を尽かされてしまうと」

「はは、まさか。それはないよ」

「わたしも、あの時はそう思ったんですけど」

 フランセットが気弱に語尾を濁すと、エスターは片眉を上げた。

「ウィールライトの男女関係が爛れているなら、いつか浮気されるかもしれないと危機感を持った? それが男女関係の是正云々の発言に繋がるわけか」

「ものすごく自分本位で、お恥ずかしい限りです」

「いや、そもそも政策なんて、時の王侯貴族のエゴで立てられているようなものだからね。フランセットは公平な立場から調査をして、政策の要不要の段階から判断すると言っていただろう? 準備段階ですでに立派な滅私奉公、王族の鏡だよ。さて、とりあえずきみの疑問に対する答えだけれど」

 流れるような弁舌である。同盟を組んで本当に良かった。それにしてもエスターは、やはり世の中を斜めから見過ぎである。

「フランセットの推測どおり、この王国は男女関係にそこまで厳格じゃない。男女ともに、婚前に恋人が多くいても問題にならないし、体の交渉があっても見合い話にマイナス判定がつくわけでもない。結婚後にどちらかが愛人を作っても、結婚相手に怒られはするけれど、司法で裁かれることはない。そんな風だから、国教で離婚を禁じていることが最後の砦かな」

「だからエスター殿下はあんなにも遊んでいらっしゃるんですね」

「俺は同時進行をしないよ。誠実だろう?」

「頷きがたいご質問です。とりあえず、ウィールライトでは自由な恋愛を愉しむ気風はあれど、それは婚姻前のことで、結婚後にはあまり推奨されていない。浮気しても法に処されることはないけれど、夫婦仲は当然こじれると、そういうことですね」

「そういうことだね。俺の父親がいい例だ。――ああそこで、申し訳なさそうな顔をしないでくれないか。あれはもう、家族の思い出話の範疇に収まる出来事だよ」

 エスターは肩をすくめた。

「話を戻すけど、そもそもメルヴィンはああいう性格だから、いまさらフランセットが可愛げを身に付けたところで寵愛度は変わらないと思うけど? 浮気の可能性は論外だよ」

「……と、信じたいのですが。女っけのないアレン殿下より、恋人をとっかえひっかえしていらっしゃるエスター殿下の方が偉いと、メルヴィン殿下がお褒めになるものだから、心配になってしまったのです」

「我が兄君はなんでもこなす癖に、いつも言葉があと少しだけ足りない」

 エスターはくすくす笑った。

「いずれにしろ、ウィールライト王国の王太子夫妻は、周囲が困ってしまうほど仲睦まじい夫婦だよ。だから余計なことを考えず、フランセットらしくしていればそれでいいさ」