「まだなにも言ってないわよ」
「一緒に連れてってって言う気でしょ」
「どうして分かったの?」
「絶対ヤダ。メルヴィンにバレたら鉄槌くらう」
「ウィールライトの市井の様子を、一度見ておきたいと思っていたのよ。庶民の女性の可愛らしさというものも学びたいし……。メルヴィン殿下には絶対にバレないようにするわ。だからお願い、アレン」
フランセットは必死に言い募った。するとアレンは、少年っぽさの残る顔立ちを、困ったようにしかめる。
「気持ちは分からないでもないけど……」
その言葉に、フランセットは今が押し時だと悟る。基本的にここの兄弟は、人が好いのだ。
「お願いよアレン。義姉(あね)の夫婦生活と職務を助けると思って」
「困ったなぁ。兄貴にバレたらシャレならないんだよ。ああでも、考えてみたらメルヴィンだってしょっちゅう、――あ、なんでもない」
「絶対にメルヴィン殿下にはバレないようにする、約束するから」
「うーん……」
アレンは困り果てたように、片手で顔を覆った。しばらくして、ちらりと上目遣いでフランセットを覗う。
「ほんとに兄さんにバレないようにしてくれる?」
「絶対に気取られないようにする」
フランセットは目に力をこめて頷いた。メルヴィンにバレないようにする。これはアレンだけでなく、フランセットの身を守るためでもあるのだ。
「だってバレたらわたしもタダじゃすまないから……!」
「そうだよね、バレたら義姉さんは、淫獄に堕とされるもんね……!」
アレンが決死の表情で同意する。いんごく、の強烈な言葉にフランセットは内心でギャーと叫んだ。心を落ち着かせて、十七歳の青少年を見つめる。
「そんな悪い言葉、使ったらいけません!」
「ええー、フランセットさぁ。そんなこと言うから兄さんが興奮するんだよ。気を付けなよ」
「興奮って、どういう意味?」
「初心な年上女性を征服する感じの……じゃなくて、俺この会話続けたら兄貴に一撃で殺られるから、城下行くならさっさと行こうよ。ほら、着替えて。そんなドレスじゃ庶民に混じることなんてできないよ」
アレンに急かされて、フランセットは慌てて身支度を整えた。ロジェ王国にいたころ、平民と垣根なく交流する時に好んで着ていた衣服である。これら一式をとっておいて、本当に良かったとフランセットは思った。
第三章
城下では、フランセットは『フラン』と名乗ることになった。
「俺のアレンっていう名前は、この国じゃありふれてるからこのままでいいんだけどね。フランセットっていう名前は異国の名前だから、目立つんだよ」
アレンは馬を引きながら、王太子宮の裏門を抜けていく。門衛らは特に質問をしてこず、最敬礼でアレンを通した。きっと慣れているのだろう。しかしさすがに、町娘に変装したフランセットのことは二度見していた。
「彼女は俺のツレだから」
アレンの説明に、門衛たちは納得したようだ。納得というか、アレンの活動を深く追求することを禁じられているのかもしれない。アレンは、王太子から直接なにかを命じられて動くことが多いからだ。
フランセットは、臙脂色をしたくるぶし丈のワンピースに、革のショートブーツを身につけていた。プラチナブロンドを両耳の下で三つ編みにして、麦わら帽子を深くかぶる。裏門の門衛とは、あまり会ったことがないので、なんとか誤魔化せたようだ。
「アレンも帽子をかぶったほうがいいんじゃないの? さすがにその顔で、名前もアレンだと、王子様ってバレてしまわない?」
「大丈夫、俺の顔なんて全然知られてないから。この国にはとにかく目立つ王太子がいるから、それ以下はおまけみたいなもんなんだよ」
「いや、アレンも充分イケメンで目立つから……。ああでも、そういえばアレンは存在感がものすごくなかったわね。そのせいで実は目立たなかったりするのかしら」
「そうそう、俺は気配消すの得意。街まで長い下り坂だから、馬で。俺の前に乗って。乗馬は得意?」
「スピード出してもらっても大丈夫よ」
「さすが頼もしい。帽子はしっかり押さえててね」
整備された道を駆け降りて、街の入り口にあった大きな宿に馬を預けた。
ウィールライト王国の首都はウィーリィといい、世界の商業の中心地でもある。巨大な港を有し、あらゆる物資がここに集められる。それらは大河とその支流によって各地に運ばれていく。その先々に、市場があり、加工場があり、そしてたくさんの人々が集まり、たいへんな賑わいを見せていた。
「公務の時にも感じたけど、本当にたくさんの人がいるのね」
「公務って結婚パレード? どっかの視察?」
「最近は都立病院の慰問だったけれど」
「あそこはまだ静かな地域だよ。今日行くところは露店市だから、ものすっごいよ」
「そういうところ、行きたいわ!」
フランセットは目を輝かせる。ロジェにいたころ、よく侍女や護衛を伴って市場へ出かけ羽を伸ばしたものだ。
ロジェは小さな新興国だったから、民との距離が近かった。民もフレンドリーで、「姫様、お買い物ですか?」などと声を掛けてきた。市民の生活を肌で感じられるから、政治にも役に立つ。
だから市井に混じることに比較的慣れている。アレンとともに露店市へ足を踏み入れながら、雑多な匂いと勢いのある喧噪を、フランセットはわくわくした気持ちで眺めまわした。
一方でアレンは、完全に街の青年に成り代わっていた。馴染みすぎていて、逆に怖い。同じ年頃の若者集団から「アレンおはよー!」と声を掛けられた時にはさすがに肝をつぶした。アレンは普通に「おはよ」と返していた。身分を隠したまま仲良くなった、友人たちらしい。
アレンは「気配を消すのが得意」と言っていたが、王族オーラのようなものを完全に消し去ることがうまいのだろう。エスターのような全方位宮廷人だとこうはいかない。メルヴィンはというと、あの人は目立っても目立たなくてもそれほど気にしなさそうだ。
「おじさん、これいくら? もうちょっと安くしてよ」
アレンが林檎を値切っている。値切り交渉は一度やってみたいことだったが、さすがにロジェでもしたことがない。フランセットが王女だということを、周囲がみんな知っていたからだ。だからフランセットは、正規の値段よりも心持ち多く出したりしていた。
「やった、ありがと!」
値切り交渉に成功したアレンが、嬉しそうに林檎を二個受け取る。丸かじりしながら「ハイ」ともう一個をフランセットに渡してきた。
「……。食べるの? これを?」
「林檎きらいだった?」
「そういうわけじゃないけど」
フランセットも勇気を出して、そのまま齧ってみた。甘くてシャリシャリして、格別に美味しい。
「美味しいわ!」
「でしょ?」
「わたしも値切り交渉してみようかしら」
フランセットは、チェリーの砂糖漬けをゆびさしつつ、クマのような見た目の店主に言った。
「ねえこれ、もう少し安くならないかしら?」
数分後、フランセットはほぼ半値に値切ったチェリーの砂糖漬けを、ほくほく顔でアレンと分け合っていた。
「スジがいいね、フラン。いきなり半値まで下げるなんてさ」
「値切れた時の達成感がたまらないわ!」
「ほんと、頼もしい義姉上だよ」
露店を歩きながら、アレンはくすくす笑う。
「たくましさばっか育っちゃって。街へ出ても、肝心の可愛げが伸びてないんじゃないの?」
「……」
値切りに夢中で、可愛げのことをすっかり忘れていたなんて、言えない。