12 事件

 フランセットは、アレンにクリストフのことを紹介した(逆にアレンのことを、クリストフに王子だと紹介するのは控えておいた)。するとアレンは「この往来で姫って連呼されると困るから」と言って、少し奥に入った静かな路地に誘った。

 フランセットは改めてクリストフと向かい合う。クリストフは眩しいものを見るような目つきで、こちらを見下ろしていた。

「本来ならば、膝をつき礼を取らせて頂きたいところですが……。場所が場所なだけに、できないことが口惜しいです」

「堅苦しい挨拶はいいのよ。本当に久しぶりねクリストフ。元気そうで安心したわ」

 フランセットは微笑んだ。
 ウィールライトに嫁ぐ時、メルヴィンによって半ば攫われるようにしてきたので、クリストフと別れの挨拶もできなかったのだ。あれからもう四か月ほど経つ。

「けれど、どうしてロジェの貴族であるあなたが、ウィーリィにいるの? その……、こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、服装もまるで兵卒のようだし……」

 フランセットが遠慮がちに言うと、クリストフは気分を害した様子もなく微笑んだ。

「我が家は大きな借金を背負って、有り体に言えば、没落したんですよ。俺はここへ出稼ぎにきているのです」

 フランセットは目を見開いた。

 ロジェにいたころ、子爵家の嫡男であるクリストフは、いつも近衛の軍服や、仕立てのいいスーツに身を包んでいた。それなのに今は、略式の軍服を身に付けている。襟章などの装飾を廃し、雑踏に溶けこむような灰色のそれはごくシンプルで、実用的な装いだ。帽子もかぶっていない。
 しかし、腰には剣を帯びていた。柄を見ると、よく使いこまれているような印象を受ける。

「出稼ぎって……子爵家が消滅したというわけではないのでしょう? 領地はどうなったの?」

「情けない話ですが、父が商人の儲け話に騙されたのですよ。父は借金を一人で抱え込むために――家族に害を及ぼさないように、母と離縁しました。母と弟妹は、母の実家に身を寄せています。俺は長男ですしいい年なので、こうして出稼ぎにきて、家族へ送金しているのです」

「そんな……! 代々王族の近衛に所属するヴァリエ家が没落だなんて、国の威厳に関わることよ。お父様はなにをしているの? ヴァリエのご当主に、すぐさま援助を」

「いいのです、フランセット様。お気持ちだけで充分です」

「だめよ、クリストフ! 出稼ぎって言うけれど、あなた今どんな仕事をしているの? 軍服を着て、剣を差して――もしかして、危ない仕事をしているんじゃないの?」

「姫君」

 クリストフは、綺麗な色をした瞳で微笑んだ。

「時代は変わります。特に、ロジェのような歴史の浅い国は、時代の流れに真っ先に翻弄されます。世の中はまもなく、伝統や血筋よりも、モノで動くようになる」

「モノ……?」

「金です」

 フランセットは息を呑んだ。

「伝統的な権力を、経済力が吞みこんでいく時代がきます。ヴァリエ家は、その余波を真っ先に受けたというに過ぎない。我が家は大丈夫です、フランセット様。先日父から連絡がきて、借金を返すめどが立ちそうだと言われました。母も弟妹たちも、のんびりした田舎暮らしに慣れてきて、穏やかな日々を得られつつあります」

「けれどクリストフは危ない仕事をしているのでしょう?、お父様に手紙を書くわ。今すぐヴァリエ家を助けるようにと――」

「援助は断りました」

 クリストフは微笑む。

「ご心配なさらないでください、姫。俺は今の暮らしを存外気に入っているのです。ウィールライトはチャンスの多い国だ。外国人でも能力さえあれば仕事をくれる。しかも、高給で。外国人だからといって差別されることもない。のびのびと、自由に暮らすことができる。俺はここでの生活を、楽しんでいるのです」

「でも……じゃあ、クリストフはいったいなんの仕事を?」

「次は俺から質問させて頂いていいですか?」

 クリストフは微笑んだ後、表情に少しだけ陰りをよぎらせた。

「フランセット様は、ウィールライト王国の王太子様のもとへ嫁がれたとお聞きしました。それがなぜ、街娘のようないでたちで、護衛もつけず、このような場所におられるのです?」

 フランセットはぎくりとした。どう説明したものかと口ごもっていると、クリストフは冷静な目で質問を続ける。

「そちらの男性は?」

 アレンのことを、まだ紹介していなかった。クリストフがいぶかるのも当然である。
 フランセットが慌てて口を開く前に、アレンが答えた。

「俺は護衛です。フランセット殿下は、市井を勉強するために、市民に扮して街を回っておられるのです」

 とはいうものの、このマイペースな三男坊は、気だるげに両腕を組んで壁に背をもたせ、しかも丸腰だ。年若く、顔立ちがやたらイケメンなだけに、どうしても軽薄そうに見えてしまう。

 クリストフは険しく眉を寄せた。フランセットは慌ててアレンをフォローする。

「こ、こう見えてもアレンはとても強いし機転が利くの。頼りにしているのよ」

 しかしクリストフは、眉間のシワをさらに深くした。

「王太子妃が城下に出るのに、護衛はたった一人? しかも、護衛殿はずいぶんのんきなご様子だ。丸腰で、両腕をそのように組んでいたら、賊に突然襲われた時反応できないだろう」

 アレンは若干むっとした様子で、

「あんた、クリストフ=ヴァリエだっけ。あんたほど注意力散漫じゃないよ、俺は」

「話にならない。王太子殿下は、いったいなにをお考えなのだ」

 クリストフは、信じられないといった様子で首を振る。
 しかし、彼は根本的なところを間違えている。メルヴィンがフランセットを、護衛一人付けただけで放り出したのではない。フランセットが勝手にアレンを伴って外に出てきたのである。

「ええと、クリストフ。この件に関して、メルヴィン殿下はなにも悪くないの。少し特殊な事情があって……」

「事情もなにも! 姫様が、このような頼りない若造一人を付けられただけで、城下を歩かされているということは紛れもない事実でしょう。姫が身勝手に城を出奔したなどという、およそ考え難いことでも起こらない限り、こんな事態はありえない。姫様はそのような愚かで短慮で浅薄なお方ではないということは、このクリストフが誰よりも深く、しっかりと、理解しております!」

「……」

 どうにもいたたまれないフランセットの横で、アレンは笑いをかみ殺している様子である。

「この若い護衛に任せておけません。姫様、俺が王太子宮までお送りします」

「だ、大丈夫よ、ちゃんと帰れるから!」

 フランセットは顔色を変えて断固拒否した。クリストフを伴って帰還したら、目立ってしょうがない。
 しかしクリストフは首を横に振って、厳しさと憂慮を織り交ぜた瞳で見つめてくる。

「いけません、姫様。大切な御身なのですから」

 そんな風に真摯な声で告げられたら、つい頬が赤くなってしまう。動揺して視線をさまよわせれば、横からアレンが意地悪く耳打ちしてきた。

「浮気者」

「ちっ、違うわ!」

 フランセットは気を取り直して、クリストフを見上げた。

「本当に大丈夫だから、心配しないで。すぐそこの宿に馬を停めてあるの。坂道を駆けあがれば、王宮まで三十分もかからないわ」

「そうですか……。しかし、許されるのであれば王太子殿下に諫言を申し上げたいくらいです。この首を跳ねられる覚悟でもって、我がロジェ王国の至宝を蔑ろにすることは断じて許しがたいということを、王太子へ直に訴えたい!」

「待って。それはまずい」

 フランセットはガシっとクリストフの両腕をつかんだ。全力をこめたせいか、クリストフはビクっと体を強張らせた。

「それはまずいわ、クリストフ」

「ひ、姫様。お顔の色が」

「それだけはやめてちょうだい。いいわね、クリストフ?」

「は、はい。分かりました」

 フランセットの鬼気迫る感に押されたのか、クリストフは頷きを返した。アレンは成り行きを見守っていた様子だったが、この時ふいに、目線を横へ投げた。

「下がって、フランセット」

「え?」

 腕をつかまれ、アレンの背後に入れられた。一拍遅れてクリストフが視線をやった先、大通りの方から、二人の若い男が駆けてくる。

「こんなところにいたのか、クリストフ。探したぞ!」

「大変なことが起こったんだ。すぐに剣士団寮に来てくれ」

 二人の大柄な男は、クリストフと同じシンプルな軍服を着ていた。そこでフランセットは、この軍服が剣士用のものだということに思い当たる。

 剣士団とは、ウィールライト独自の軍部機関である。治安維持を主目的とした、王族直属の戦闘集団であり、その頂点に属する者たちは、この王国で五本の指に入る精鋭だと言われていた。

 クリストフは、鋭い顔つきで男たちを見た。

「大変なこととはなんだ?」

「寮で立てこもり事件が起こったんだ。起こしたのは剣士たち、つまり俺たちの仲間だ」

「なぜそんなことに!  剣士団長はなにをされている」

「例の件で、現在王太子殿下と話し合いに行かれている。寮には不在だ」

 立てこもり事件。
 穏やかではない言葉に、フランセットは表情を険しくした。

 しかも、剣士団といったら、最近なにがしかの要望を寄せてメルヴィンを困らせていた機関である。立てこもり事件と、なにか関係があるのだろうか?
 アレンが小さく舌打ちした。

「あーマズイな。居合わせちゃったからには見て見ぬふりもできないし」

「あたりまえでしょ、アレン!」

 フランセットは剣士たちの前に出た。

「今すぐ剣士団寮に案内してください! わたしはフランセット=ウィールライト。この国の王太子妃です。道中で、詳しく状況を説明してちょうだい」