14 結局このパターン(その2)

「王太子殿下の代わりを、わたしが務めさせていただきます。あなたたちの要望を聞き、殿下に申し伝え、良いようにはからうわ」

「……。王太子妃、様だと?」

 フランセットは鉄門に手を掛けた。屈強な剣士に、まっすぐ視線を合わせる。

「そうよ。だからこの門を開けて、あなたたちのリーダーに会わせてちょうだい」

「本当に王太子妃なのか? なぜ街娘のような服を着ている」

 どうやらこの剣士は平民のようだ。フランセットの顔に見覚えがないようだし、態度も横柄である。フランセットは頭を高速回転させて、危うげなく答えた。

「この近辺で危険な動きがあると、極秘に報告を受けたのです。身分を隠して見にきて正解だったわ。剣士団が人質を取って立てこもり事件を起こしたのだもの。早期解決のために、あなたたちにも協力していただきたいの。だからこの門を開けて」

「そういえば、先日の結婚パレードで見たのは、この顔だったな……」

 剣士はなにやら考え込んでいる様子だったが、顔を上げて、鉄門に手を掛けた。ゆっくりと開いていく。

「いいだろう、入れ。リーダーに会わせる。ただし、来ていいのは妃一人だ」

 剣士の目線がフランセットのすぐ背後にそそがれた。そこにいたアレンは、舌打ちする。
フランセットにささやいた。

「このじゃじゃ馬。すぐにメルヴィンを呼んでくるから、くれぐれも無茶するなよ」

 フランセットは頷いて、門の中に足を踏み入れた。

 フランセットの背後で、門が再び閉じられる。軋む音が庭に響いて、フランセットは固くなりそうになる体を、息を長く吐き出すことで落ちつかせた。

 太い馬車道が、寮の本館へまっすぐに続いている。その両側に五、六人のたくましい剣士たちがいて、フランセットを興味深そうに見ていた。

 門を開けた男に伴われて、フランセットが静かに歩き始めた時である。剣士の一人が、突然フランセットの腕をつかんできた。

「おまえ、本当に王太子妃か?」

 剣呑な目つきをした大男が、舐めるようにフランセットの全身を眺めまわす。腕をつかんだ力が強くて、フランセットは痛みに眉を寄せた。

「離してください。痛いわ」

 剣士は疑わしげに言う。

「確かにここらでは見ないほどの美人だが、どんな事情があるにせよ、王太子妃ともあろうお方が庶民に紛れて視察など行うか? ありえねえだろ。おまえ、ニセモノなんじゃないのか?」

「わたしは本物です。あなたたちの中には、結婚パレードの時に、わたしの顔を見た人がいるはずよ。そういう人に聞いてみるといいわ」

「ああ?」

「おい、やめろ。彼女は本物の妃の可能性が高い。粗雑に扱うとあとで問題になるぞ」

 門を開けてくれた剣士が注意を促す。しかしもう一方は、面白くなさそうに眉を歪めた。

「うまいメシを食わせろっていうだけの要望をちっとも聞いてくれやしない王太子なんぞ、敬う必要もねーだろ。おい、女。俺も結婚パレードは見にいったんだ。もっとちゃんと顔を見せてみろ」

 傲然とした態度で、男はフランセットのあごをつかみ上げようとする。フランセットはその手を打ち払った。

「剣士は紳士ばかりではないと聞いたけれど、どうやら事実のようね。わたしは王太子殿下の使者よ。使者には指一本ふれず、丁重にもてなすのが交渉のルール。我が国の剣士を名乗るのであれば、まずはそこから己を正しなさい」

 フランセットの鋭い声に、剣士は言葉を詰まらせる。周囲にいた剣士が集まってきて、男をたしなめ始めた。

「そのとおりだぞ、落ちつけ」

「相手側の使者を引き出せたんだ。この立てこもりは大成功さ。さあ、交渉のテーブルへつこう」

 男は悔しげに歯を噛みしめる。

「だいたい、軍部の交渉事に女をよこすなんてナメくさってるだろ。おい女、おまえが妃だという証拠を見せろ!」

 襟首をつかまれて、フランセットは息を飲む。本当に血の気の多い男だ。この状況をどう穏便に切り抜けるか、考えを巡らせた時だった。

 ぱん、となにかが弾ける音がした。フランセットを含めた全員が音の出所をふり返ると、そこにはもともと鉄門であったはずの残骸があった。砂のように細かくなった鈍色が、地面にざらりと崩れ落ちている。

 フランセットは言葉も出ない。それは剣士たちも同様のようであった。門の残骸を踏みしめて現れた青年は、片腕に何か大きなものを抱えている。彼がそれを放り投げると、フランセットを怒鳴りつけていた剣士にクリーンヒットした。
 放られたのは、屈強な体躯をした男だった。完全に気を失っている。

「だ、団長?!」

 剣士たちがザワついた。
 乱暴者を下敷きにしつつ、目を回している哀れな男は、どうやら、メシマズを良しとしていた剣士団長らしい。フランセットは乱れた襟元を正しながら、そろそろと視線を上げた。
 メルヴィンは、フランセットを一瞥した。それから剣士たちに視線を移す。

「それで、おまえたちの要求は?」

 メルヴィンの右手は、腰に差した剣の柄にふれていた。くちびるには不穏な笑みが刻まれている。
 剣士たちは、とんでもない魔力を見せつけてきた自国の王太子を前に、顔面蒼白になってひざまずいた。

「料理が不味いということに関しては、アレンから報告を受けていたからなんとかしようと思っていたんだけどね。新しいシェフを選出するのに少し時間が掛かってしまったんだ。なにしろ剣士団長が『不味くない。最高の味だから変える必要はない』と主張して、いちちいち邪魔してくるものだから」

 馬車が揺れる。
 王太子専用の豪奢な箱馬車は、二人が横並びに座っても余裕があるほど広い。座面にはふかふかの綿が入ったビロードが張られ、上品な光沢がある。

「すぐに対処してもよかったんだけど、剣士団はもともとアレンの管轄でね。僕があまり口を出すのも、あの子のためによくないと思ってたんだ。前に話したように、アレンは悪い意味で王族らしくない。まだまだ若いから、自覚が足りないのかな。僕のお嫁さんを見習ってほしいところだよ。ねえ、フランセット?」

「はい……、いえ、わたしも向こう見ずだったので……」

 気まずすぎて、メルヴィンの目が見られない。フランセットは嫌な汗をかきながら、膝の上に組んだ両手をひたすら見下ろしていた。

 あの場でメルヴィンは、一切の交渉権限を第三王子であるアレンに与えた。メルヴィンは、「これもいい機会だ。僕はいつまでもおまえを甘やかしておくつもりはないよ」と、弟の肩に手を置きながらささやいた。メルヴィンの漆黒の双眸は冷え切っていたので、アレンは蒼白になりながらも、なんとか頷きを返していた。

(アレンは、ああいう交渉事は大の苦手だと言っていたけれど、大丈夫かしら)

 メルヴィンは、今回のことだけでなく、剣士団に起きた問題すべての解決をアレンに任せると言ったのだ。あの荒くれ集団を一七歳の少年が治めるのである。たいへんな重責だ。フランセットは可哀想な義弟を思って、心の中で声援を送った。

 そして今、メルヴィンは、行儀悪く片足だけを胸もとに引き上げ、そこに片頬を乗せて、こちらを見ているようだ。

 次に怒られるのは間違いなく自分である。もうこうなったら謝り倒すしかない。たとえ三か月の外出禁止令を出されても、涙を呑んで受け入れる所存である。

「あそこで王太子妃が出るのは悪いことじゃない。逆に見て見ぬふりで逃げ帰った後、あなたが実はあそこにいたということが露見したら、国民から怒りの声が上がるからね。フランセットの判断は正しいよ」

 それはフランセットも分かっていた。だから今回の問題点は、そこじゃない。
 こっそり王太子宮から抜け出し、変装して街をウロウロ(護衛はアレン一人)していたところにある。

 フランセットは思いきって顔を上げ、謝罪を口にした。

「街娘に変装して、勝手に出歩いてしまったわたしの手落ちです。本当に申し訳ありませんでした!」

 しかしメルヴィンは、意外そうに片眉を上げた。

「ああ、そこ? そこはいいんだ。羽を伸ばしたい時は誰にでもあるしね。ロジェではよく城下に降りていたんでしょう? あなたがしたいことを、僕は最大限に尊重したいと思ってる。かまわないよ、外に出ることくらい。護衛がアレンなら、よっぽどのことがない限り大丈夫だしね」

「えっ、じゃあお咎めなし?」

「まさか。だって、僕に内緒で出ていったことは、本当に気に入らないんだ」

 メルヴィンが指先を伸ばして、フランセットのあごをつかみ取った。引きよせられて、ふれあう間近でささやかれる。

「昨夜はあんなに可愛く僕の下で啼いていたのに、今日は朝から他の男とデート?」

「なっ、ち、ちが……っ、アレンは、弟ですから……!」

「ふうん、僕のことはいつまでたってもメルヴィン殿下なのに、アレンは呼び捨てなんだ」

 メルヴィンは鼻で笑った。綺麗な形の黒瞳(こくとう)に、挑発的な光がよぎる。
 マズい、とフランセットは思った。