19 なんだかんだ言っても、城下デートは楽しいです

 メルヴィンの馬に相乗りをして街に出る。宿屋にお金を払って厩につなぎ、メルヴィンとフランセットはまず市場に向かうことにした。

「小麦の物価が不当に上がっているという都民からの訴えがあったんだけど、官吏に調べさせたら『問題なし』という報告が挙がってきたんだ。でもなんとなく怪しいなと思ったから、実際に見聞きしたくって」

 昼前の露天市はたいへんなにぎわいを見せていた。品物を求める人々がごった返し、と、商人の威勢のいい声が飛び交っている。

「はぐれるといけないから」

 メルヴィンはフランセットの手をとった。これは手つなぎデートというものなのではと、フランセットはどきどきしたが、しかし、それよりも気になってしかたのないことがあった。

「ねえねえ、見て、あの男の人。めちゃくちゃかっこよくない?」

「あっ、ほんどだ。あの人、ずっと前にも見たことがある気がするわ。どこかの貴族の御曹司様が庶民の格好で遊びにきたのかしら」

「あのきらきらした感じ、ただの貴族じゃない気がする。もしかして、王族にゆかりのある人だったりして……!」

 人のあいだをメルヴィンが縫っていくたびに、このような会話がフランセットの耳に入ってくる。三秒どころか、一瞬でバレている。

「声かけてみちゃおっか! もしかしたら玉の輿に乗れるかも」

「いい案だけど、見て。すでに女連れよ。手つないでるし」

「あーほんとだ。残念……。恋人も美人さんね。お似合いのカップルだわ。眼福……!」

 フランセットは、無言で麦わら帽子を深くかぶり直したのであった。

「うーん、値がやっぱり高い気がするなぁ」

 小麦が売られている店の前で立ち止まって、メルヴィンはむずかしい顔をした。

「かといって不当に高いというわけでもないし……。民の言うことも、官吏の報告も、どちらもまちがっていないということかな」

 買い物客でひしめきあっている市場は、しかし、自分たちの周囲だけぽっかりと空いていることにフランセットは気づいていた。老いも若きも、男女も関係なく、皆がメルヴィンを見ながら通り過ぎていったり、立ち止まってひそひそ話し合ったりしている。

 考え込んでいたメルヴィンは、おもむろに顔を上げて店主を見た。五十代くらいの、よく日に焼けた店主は、見るからにたじろいだ様子である。

「店主さん。小麦の売れゆきはどう?」

「あ、あ、ああ、まあ、あんまり変わらないけれど、ち、ちょっと減ったかな」

 しどろもどろに店主は答えている。メルヴィンは、下を見ていたせいでズレためがねを直しながら、真剣な表情で質問を重ねた。

「それはやっぱり、値段が上がったことが原因?」

「ええと、それは……。うん、それはちがうんだ。小麦の売れゆきが下がってきたから、値段を下げてみたんだけど、それでも戻らなかったから、逆に値段を上げたんだ。本当に欲しい客は、若干程度の値上げなら買うからね、だから、売れゆきは落ちたけど、利益はトントンだよ」

 商売の話題で正気をとり戻したのか、しっかりとした声で店主は答え始めた。

「小麦の売れゆきは、これからはいまの量が定着すると思うね。というのも、北の地方が米の品種改良に成功して、ものすごく質のいい米が入ってくるようになったんだよ」

「ああ、その話は聞いたことがあるな。炊くと水分を多く含んで、従来のものより甘みがあっておいしいらしいね」

 メルヴィンがうなずくので、店主は身を乗り出すようにして話を続ける。

「おっ、兄ちゃんも知っているのか。いやね、その米のせいで、米派が増えちまってさ。ここいらでは、パン派と米派が互いのよさを主張して、言い争う始末だ。いろんな食事が楽しめるのはいいことだと思うから、ほら、うちもその米を仕入れてるんだよ」

 うれしそうな顔をしながら、店主は布袋を取り出した。

「どうだい兄ちゃん。べっぴんの奥さんにうまい米を食べさせてやりなよ」

「うーん、そうだね。どうかな、フランセット。……って、どうして帽子をそんな深くかぶっているの?」

「気になさらないでください。どうぞメルヴィンさまお話をお続けに」

「こらこら、敬語はだめだって言ったでしょう?」

 メルヴィンは顔をよせてささやいてくる。そんな場合ではないのにどきりとして、耳が赤くなってしまった。

「…………」

「フランセット?」

「……べるわ」

「え?」

「食べるわ。だから、ありったけ買ってちょうだい!」

 半ばやけくそでフランセットは言い放った。
 メルヴィンは、びっくりしたような顔になったあと、うれしそうに相好を崩す。

「うん、わかった。ありったけ買うね。店主さん、僕の妻がこう言うものだから、申し訳ないけれど、店にある米ぜんぶ売ってくれないかな」

「ぜ、ぜんぶ? とんでもない量になるぞ、兄ちゃん。それに高いぜ?」

「お金はいま払うから、宿屋のほうに運んでおいてください。そこに馬を停めてあるんだ」

「あ、ああ、そういうことなら……」

「ありがとう」

 メルヴィンは、布袋に入った金貨をまとめて店主に渡した。最初はとまどっていた様子の店主も、現金を目の当たりにしたらすぐにウキウキした表情になる。

「どうも、毎度あり! 兄ちゃん太っ腹だねぇ。やっぱりあれかい、兄ちゃんは王族にゆかりのある御曹司で、お忍びで奥さん連れて街に遊びにきてるのかい?」

「そうじゃなくて、僕は、役人試験に三年連続で落ちている貧乏学生なんだ」

「よしわかった、そういうことにしておくよ。今後もごひいきに!」

 メルヴィンは、フランセットの手を引きつつ市場から出た。ふたりが歩くと、人の波がぱかんと割れて道ができる。

「楽しかったね。広場で休憩しようか」

「メルヴィンさま……メルヴィンは、自分の身分を隠す努力をまったくしていないわよね」

 フランセットは、自分の目が据わっていることに気づいている。公園の広場に入りながら、メルヴィンはきょとんとした。

「身分はちゃんと隠してたでしょう?」

「バレていたわよ、一瞬で。たくさんの人に注目されていたじゃない」

「そう? あんなものなんじゃないかな」

 ふだんから人に注目されまくっている王太子様は、人の視線が集まることに非常に鈍感になっているらしい。
 大きな噴水が臨めるベンチに促されて、フランセットは腰を下ろした。大きくため息をつく。

「まあいいわ。メルヴィンはそのままでいいのです……いいのよ、きっと」

 先日、剣士団寮で見せられたメルヴィンの力を思えば、丸腰で城下をうろうろしていても問題ないだろう。その点はアレンとおなじだ。

「アレンはものすごく自然に溶け込んでいたのに、兄ときたら……」

「フランセット、ため息なんてついて、慣れない市場に疲れちゃった?」

 隣に腰かけたメルヴィンが、心配そうに覗き込んでくる。金色の髪が風にさらりと揺れて、めがねの奥の漆黒の瞳にフランセットはつい惹きこまれてしまった。

(世間からちょっと、だいぶ、ズレてはいるけれど……。でもメルヴィンさまは、店主とコミュニケーションをうまくとって、小麦の値上がりの原因を聞きだしていたし、目的は達しているのよね。そのあたりは、やっぱりさすがだわ)

 フランセットは、夫のズレた部分ではなく、優れたところだけを注目しようと心に決めた。
 メルヴィンに向き直り、にこりとほほ笑む。

「大丈夫、ぜんぜん疲れていないわ。そんなことよりメルヴィン、小麦の値上がりの原因がはっきりしてよかったわね」

「うん、そうだね。もしかしたら新種の米のせいかなって予測は立てていたんだけど、実際に現場の声を聞かないと確定できないから。ついてきてくれてありがとう、フランセット」

 金色の髪の下で、メルヴィンはやわらかくほほ笑む。お昼時の広場はおだやかな光に満ちていて、フランセットはなごやかな幸せを噛みしめた。

(殿下のお役に立ててよかったわ。わたしときたら、前回アレンと街にきたとき、市場で値切り交渉に夢中になったりしていて……。殿下のように、もっと有用な行動をとればよかったのね。反省しなくちゃ)

 フランセットが、真面目に反省と次回の目標を立てていると、ふいにメルヴィンが立ち上がった。どうしたのかと目で追うと、広場のスタンドで焼きポテトをふたつ注文している。店員は、二十代くらいの元気そうな青年だ。

「お買い上げありがとうございまーす! お代はふたつあわせて五十ガルです」

「うーん、ちょっと高くない? もう少しまけてもらえないかな。あっちのスタンドで売ってたホットドッグのほうが安かったよ」

「よ、よくご存じですね……。じゃあ、四十五ガルで」

「もうひと声」

「ぐ……。じゃあ、四十ガル! これ以上はまけられません!」

「ありがとう、買うよ」

 生き生きとした様子でメルヴィンは値切っていた。その光景を眺めながらフランセットは、夫のズレた部分ではなく、優れたところだけを注目しようと再度自分に深く言い聞かせた。