この日の夜のことである。
フランセットは昼間に、都立病院へ慰問に出かけていたようだ。さぞ疲れているだろうと思いきや、風呂上がりの彼女は瞳をキラキラさせて寝室にやってきた。
「二ヶ月前に訪問したときよりも、衛生面がずいぶんと改善されていました! 前回はとくに、小児病棟がひどかったですから。改善案を提示した甲斐があったわ。ああいうのは『なんとかしなさい』と言うだけではだめですね。ちゃんと具体的に提案しないと、向こうも方向性がつかめないでしょうし」
「おつかれさま、フランセット」
ガウン姿でくつろいでいたメルヴィンは、ソファから立ちあがってフランセットを抱きよせた。
「治癒魔法はどうする? 今すぐかける? それとも眠る直前に?」
「そんなに疲れていないので大丈夫です。ああでも、楽しい公務だったので、頭が冴えて疲れを感じていないだけなのかもしれません。ベッドに寝転んだら三秒で寝てしまうかもしれないわ」
「フランセットは、宮中よりも外でする仕事のほう好きだよね」
「それはそうですよ。外の方がのびのびと動ける気がするもの」
ゆるやかな巻き毛をなでながら、メルヴィンはほほ笑む。
「次の外での公務は、僕もいっしょに行きたいな」
「スケジュールの調整がたいへんそうですが、たぶんなんとかなりますよ。行きましょう」
フランセットの笑顔がかわいくて、メルヴィンは彼女を抱きしめた。フランセットは慣れているのか、すぐに身をゆだねてくる。
「……こうされていると、眠くなってしまいます」
「僕とは逆だね。寝るより先に、セックスがしたい」
「あのですね。いつもながら、その直接的な表現をなんとかしてください」
「いいじゃない。ここには僕とあなたしかいないんだ。ほらフランセット、顔をあげて。キスしよう」
フランセットは、ほんのりと頬を赤らめていたが、やがてそっと顔をあげた。メルヴィンは、彼女の頬にかかった髪をうしろへ流しながら、くちびるに口づける。
やわらかな甘みを味わいながら、メルヴィンは、ネグリジェごしの肌をてのひらで辿りはじめた。きれいにくびれた腰のラインをなであげて、コルセットのついていない乳房を覆う。てのひらを満たす柔肉を、じっくりとこねていく。
「……胸、大きくなった? もともと大きいとは思っていたけど」
「っ、もともと、大きいって……そんなことないです。大きくなっても、いないです」
愛撫に反応を示しながらも、フランセットがこちらをにらみつけてくる。メルヴィンは、彼女の頬に口づけた。
「ごめんね。女性に対して失礼なことを言ってしまったね。てざわりがあんまり気持ちよかったから、もしかしたらそうなのかなって思ったんだ」
「て、てざわりって……、っあ」
凝りかけていた先端を、親指の腹でさすると、フランセットは小さく肩をふるわせる。その反応がかわいい。どうかんがえても、これ以上なにもせずに寝てしまうのは不可能だ。
「フランセット……抱いてもいい? 疲れているなら、先に治癒魔法をかけるから」
昼間にクリストフと会っていたせいか、今夜は余裕がない。気の急ぐような言いかたはかっこわるい気がするけれど、どうにもならなかった。
「待っ……てください、殿下」
「待つってどのくらい? 今夜はもうしたくない?」
ひたいや頬に口づけながら、メルヴィンは聞く。そうではなくて、とフランセットは言った。
「メルヴィンさまにお伝えしたいことがあって。だからあの、すこしだけお時間をいただけませんか?」
メルヴィンの胸に手をそっと置いて、フランセットはわずかに距離をとろうとしてくる。メルヴィンは、なごり惜しく感じながらもそれに従った。
「わかった、聞くよ。どういう話?」
「クリストフのことについてなのですが」
「……。ふうん」
おあずけをくらった上にこの話題である。多少むくれてしまってもしかたがないとメルヴィンは思う。
フランセットは苦笑した。
「そんなお顔をなさらないでください。メルヴィンさまにお話しなくてもいいかなと思ったのですが、どうやらわたしたちには、言葉が足りないという欠点があるような気がするので」
「それについては同感だよ」
フランセットに対して思うところがあって、それを伝えようと思っても、顔を見ればすぐに抱きよせて口づけたくなってしまう。言葉なんてどうでもよくなってしまうのだ。
いまだって、体は離したけれど、彼女の腰を両腕でゆるく抱いたままだ。
「今日、クリストフに手紙を送ったのです」
「……手紙?」
意外な話に、メルヴィンは目を丸くした。
「どんな内容の手紙なの?」
「クリストフが、わたしのことをとても心配しているようだったので、こちらは大丈夫だから、わたしのことを気にかける分、自分のことを気にかけてと伝えました」
メルヴィンはしばらく言葉が見つからなかったが、なんとか口をひらいた。
「それは、また……。スッパリとクリストフをふったものだね」
「えっ、ど、どうしてそうなるのですか」
フランセットはあわて始めた。メルヴィンは眉をよせる。
「どうせ、噴水広場で彼に告白されたんでしょう? 秘めておこうと思ったけれど、王太子が頼りないから言わずにいられなくなった、なにかあったらいつでも連絡してください、俺があなたをお守りします、とか言われたんでしょう?」
「な、なんでわかったのですか!? あっ、べ、別にクリストフは、メルヴィンさまのことを頼りないだなんて言っていませんよ」
「そのあたりは、まあいいよ」
クリストフがこちらをどう評価しようが、メルヴィンはまったく気にならないのだ。
「わたしはその場で、彼の気持ちは受け入れられないと言ったのです。けれど、あのときはほんとうにびっくりしてしまって、あまりうまく言葉を伝えられなかったから、改めて手紙をしたためました」
「その文面が、さっきのか。人妻に堂々と横恋慕するくらいだからある程度ひどい目に遭わされる覚悟はできてのことだったろうけれど、まさかここまでとは彼も思わなかっただろうな」
「えっ、わたしそこまでひどいことを書きました?」
「もし僕が、その手紙をあなたからもらったとしたら、その場で服毒自殺をしていたか、あなたを地下牢に閉じ込めて僕だけの恋人にしていたかどちらかだね」
「?!」
フランセットはひどく青ざめて、あとずさろうとしている。メルヴィンは、自分が危ない人間に勘ちがいされそうになっていることにきづいて、説明することにした。
「だって、『わたしのことは気にしないで、自分のことだけを考えて』ってことは、つまり、わたしの人生に入ってこないでっていうことでしょう?」
「話が飛躍しすぎていません?」
「いや、これは絶対にそういうことだよ。いまのままでわたしは充分幸せだから、あなたがいなくても大丈夫ですってことでしょう? これはもう、地底の底まで撃沈する案件だよね。僕なら二度と這いあがってこられない。人妻への横恋慕の代償は高くついたな……」
「そ、そこまでは言っていないですよ!」
「手紙を送ったのはいつ?」
メルヴィンの問いに、フランセットはまばたきをした。
「ええと、確か夕方ころだったかしら。視察が終わったあと、従僕に届けてもらうように頼みました」
であれば、自分がクリストフと会ったあとに手紙が届いたことになる。フランセットが、「どうしてそんなことを聞くのですか?」と首をかしげた。
「僕は今日、クリストフに会っていたんだよ」
「え!?」