29 手紙

 フランセットが恐れおののいた表情をしたので、自分が危ない男にまた勘ちがいされているかもしれないことを察して、メルヴィンは説明をはじめた。

「へんなことは言っていないよ。友好的に、ふつうの会話をしただけ」

「どんなことを話されたのですか?」

 フランセットは懐疑的な目をむけてくる。メルヴィンが悋気を起こしていたのを彼女は知っているから、当然の反応だろう。
 メルヴィンは、フランセットを安心させるためににっこりと笑った。

「僕の妻に手を出さないでねってお願いをしてきたんだ」

「メルヴィンさまが、そんな単純な牽制の方法をとるとは思えないのですが」

 フランセットは不審がっているようだ。まさか、そういう理由で疑われるとはメルヴィンは思ってもみなかった。

「本当はなにを言ったのです?」

「……フランセットのことが、僕はどうしようもなく好きだから、絶対に渡せないと言ったんだ」

 メルヴィンの言葉に、フランセットはかぁっと赤面した。弱々しい声で言う。

「それも、うそですよね」

「ほんとうだよ」

 メルヴィンは、フランセットをふたたび抱きよせた。せっけんの香りが鼻先をくすぐる。

「それに近いことを、たくさん言ったんだ。ものすごくかっこわるかったよ」

「……そうなのですか」

「僕はあなたに依存してる。ねえフランセット、僕の愛は重いでしょう?」

 フランセットの頬に手をそえて、くちびるに淡く口づける。彼女はそれを受け入れながら、わずかに眉をよせた。

「そういう自虐的な言いかた、らしくないですよ」

「うん。ごめんね」

「殿下の愛情は確かに重いですけれど、わたしのほうの容量は充分にあきがあるので大丈夫です」

「……うん」

 メルヴィンは、フランセットの髪に頬をうずめるようにして抱きしめる。
 この、やわらかい体を感じるたびに、胸がせつないほどしめつけられる。
 フランセットをただがむしゃらに愛していたころは、気づけなかった。存在を受け入れてもらえることの、とほうもない安心感に。

「僕は、あなたをつなぎとめるためだったらなんだってするよ」

「なんにもしなくていいですよ。そのままのメルヴィンさまでいてください」

 メルヴィンは、身の内を満たす幸福とともにフランセットに口づけた。

 三日後のことである。フランセット宛てに、クリストフから手紙が送られてきた。
 昼食後に侍女から受けとって、メルヴィンに気づかれないようにフランセットは自室に駆けこんだ。ペーパーナイフを使って開封し、なんとなく緊張しながら手紙をひらく。

 一枚の紙に綴られていたのは、見慣れたクリストフの字だった。ロジェ王国にいたころとかわらない几帳面な字体だ。フランセットは懐かしくなって、口もとに笑みを浮かべた。

 彼の言葉を目で追っていく。すると、ていねいなあいさつ文の下に、「先日メルヴィン殿下とお会いいたしました」という文面があった。

「この前、殿下が話されていたことね」

 もしかしたら、そのときにメルヴィンとクリストフの仲がものすごく悪くなって、「やはりメルヴィン殿下はフランセットさまにふさわしくありません」などと書いてきたのかと思い、フランセットはあわてて続きを読んでいく。
 しかし、フランセットの予測はいい意味で裏切られた。

『メルヴィン殿下には、フランセット妃殿下についてのお話しを聞かせていただきました』

 その一文に続く文章に、フランセットは言葉を失う。

『フランセットさまは、メルヴィン殿下からたいせつに愛されていらっしゃるのですね。心より安心いたしました。これからさきもずっと、フランセットさまがお幸せでありますように』

 メルヴィンは、クリストフにいったいなにを話したのだろう。
 あの頑固なクリストフが、このような手紙を送ってきてくれるなんて、フランセットは考えもしていなかった。

 言葉をつくして、メルヴィンはクリストフに訴えたのだろうか。自分の想いは本物だということを、クリストフに納得させたのだろうか。あの思いこみの激しいクリストフが、短い時間話を聞いただけで、ここまで態度を変えるものだろうか。

 そこでフランセットは、ふいに思いだした。

(あの瞳――)

 お忍びで、アレンといっしょに城下へ出かけたときのことだ。
 夫に対するかわいげな態度を勉強するために、アレンの友人である若夫婦とともに昼食を食べた。そのときフランセットは感じたことがあった。

(あなたを愛しています、あなたのことが大好きです。そういう想いに満ちたまなざしを、あの夫婦はしていたわ)

 それを知ったとき、フランセットは思ったのだ。
 言葉とか、態度とか、服装とか。そういったものではないのだと。好きなひとに好かれようと、愛されようとがんばった結果、愛されるのではなく、自分の想いをそのまま表にだすことが、いちばんの方法なのだと。

 だから、もしかしたらクリストフは、メルヴィンの言葉だけに説得されたわけではないのかもしれない。メルヴィンの言葉を受け入れたのは、きっと、メルヴィンの瞳を見たからだ。

 メルヴィンはとても誠実なひとだ。賢くて、素直で、優しいひとだ。自分の夫をベタ褒めするのは気が引けるが、フランセットにとってそれが真実なのだからしかたがない。

(だからこそ、幼なじみのわたしですらクリストフを納得させられなかったのに、メルヴィンさまはすぐにできてしまうのだわ)

 少しだけくやしいが、それよりも誇らしかった。メルヴィンを好きになり、彼と夫婦になったことは、フランセットの人生でいちばんの大正解だったのかもしれない。

(だって、こんなにうれしいもの)

 メルヴィンを好きな気持ちがうれしくて、これから先もずっといっしょにいられることが幸せだ。

 フランセットは、クリストフからの手紙をしばらく眺めたのちに、ていねいに折りたたんで封筒にしまった。この手紙はたいせつにとっておこう。そう思って、戸棚をふり向いたとき、扉がノックされた。

「フランセット、いる?」

 メルヴィンだ。なんだか急いでいるような声である。フランセットが扉をあけると、メルヴィンがいきなり肩をつかんできた。

「メルヴィンさま?」

「手紙はどこ!?」

 せっぱつまった様子でメルヴィンが言う。フランセットは面食らいつつも、メルヴィンを室内へ促して扉を閉めた。

「手紙ならここにありますけれど。そんなにあせったご様子で、どうしたのですか?」

「きみの侍女に、クリストフから手紙が届いたって聞いたんだ。彼がまた、フランセットを口説こうとしてるのかと思って」

 フランセットはびっくりする。

「まさか。そんなはずないじゃないですか。メルヴィンさま、それだけの理由で慌てて来られたのですか?」

「うん。だって、いてもたってもいられないよ。もしその手紙に『話があるので、今夜、城下の宿に来てください』って書いてあったら、僕に内緒でフランセットは行ってしまうでしょう?」

「なっ、なんでそうなるのですか。わたしは夜にフラフラ出歩いたりはしません」

「フランセットは前科持ちだし」

 そこを指摘されるとどうにも弱い。

「そ、そうですね。あのころよりは、わたしもだいぶ成長したというか」

「クリストフからの手紙はそれだよね?」

「中身はお見せできませんよ」

「さすがに見せてとは言わないけど」

 メルヴィンは、それから安堵したようにため息をついた。

「その様子だと、クリストフに口説かれたわけじゃなさそうだね。よかった……」

「その逆です。クリストフは、メルヴィンさまの深い愛情に感銘を受けたようで、殿下との幸せを祈っていますと書いていましたよ」

「えっ、そうなの?」

 メルヴィンは、意外そうに目を丸くした。フランセットはほほ笑む。