第三部 01 性悪ないとこが爆弾を落としていきました

 ウィールライト王国の夏は、にわか雨が多い。
 そのためフランセットは、庇(ひさし)のあるテラスで本日のお茶会を催していた。お茶会といっても招待客は一人だけである。例によって、夫との旅行中にここに立ち寄った、いとこのアレット・グリムだ。

「フランセットに報告があるの」

 同い年の悪友でもある彼女は、整った顔立ちに得意げな笑みを広げながら告げた。

「わたし、妊娠したわ。お腹の中に赤ちゃんがいるの。産婆の見立てでは、四ヶ月目に入ったところだそうよ」

「えっ?」

 予想だにしなかった言葉に、フランセットの動きが止まった。
 冷えた紅茶のグラスを持ち上げた格好のままで、正面に座るアレットを見る。彼女は続けた。

「妊娠がわかったのは|ウィールライト《こちら》に入国してからなの。夫が、安定期に入るまではこの国に滞在したほうがいいって言うから、しばらくはそうさせてもらおうと思っているのよ。だから申し訳ないのだけど、フランセット。二、三ヶ月のあいだ、落ち着いて住めるような屋敷を紹介してくれないかしら。家財と、使用人を何人か用意してもらえると助かるわ。あんたはこの国の王太子妃さまなんだから、それくらいお安い御用でしょう?」

「え、ええ……それはもちろん、引き受けるわ」

 フランセットに現実感がやっと戻ってきた。ぎこちなくうなずきながら、グラスをソーサーに戻す。
 アレットは、自分の顔に扇で風を送りながら言った。

「妊娠しているせいか、体がやたらと火照るのよね。ああ暑い。ロジェ王国の夏も暑いけれど、ウィールライトも相当なものね。運のいいことに、わたしはつわりがない体質のようなのよ。その代わり、喉がとっても乾くの。あら、わたしのグラスがもうカラだわ」

 フランセットは、控えていたメイドに言って、アイスティーを注ぎ足させた。アレットは鷹揚に「ありがとう」と告げる。

「喉も乾くし、お腹も空くのよね。食欲が増えたから太ってしまうのが最近の悩みよ。でも、主人やお義母さまは『二人分食べなさい』と言って、どんどん料理を持って来させるの。そのせいで、ドレスの寸法を計り直す羽目になったのよ」

「そ、そうなの……。言われてみれば頬がふっくらしたように見えるわね……」

「やっぱりそう見える? これが本当の幸せ太りというものかもしれないわね」

 アレットは、嬉しそうに手で頬を覆った。そうしながら、きらりと光る目でフランセットを見返す。
 その瞬間フランセットは、性悪のいとこからの攻撃に備えて身構えた。

「わたしのお腹に赤ちゃんがなかなか来てくれなくて心配していたけれど、やっと身ごもれて良かったわ。わたしはもちろん、主人もお義母さまもほっとしているの。お義母さまなんて、妊娠がわかった次の日には親戚をおおぜい呼んで、晩餐会という名の報告会を盛大に開いたのよ。――ところでフランセット。あんたは確か、結婚して一年経つわよね?」

「もうそんなに経つかしら。毎日忙しいから意識していなかったわ」

 フランセットはすっとぼけたが、アレットは鼻で笑った。

「お妃さまを溺愛してやまないあの王太子殿下が、結婚一周年を祝わなかったわけがないと思うんだけど。そんなことより、どうなのよ」

「言われてみたら、記念旅行に連れていってくださった気がしてきたわ」

「あいかわらずお熱いことね。これ以上王都の気温を上げないようにしてよ。で、どうなの?」

 ストロベリージャムを載せたスコーンを片手に、テーブルの向こうのアレットが顔を寄せてきた。フランセットは空を見上げる。

「さっきまでかんかん照りだったのに、もう曇ってきたわ。にわか雨が来そうね。そろそろお開きにしましょうか」

「……。ふうん?」

 ガーデンチェアの背もたれに身をあずけて、アレットは扇で口もとを隠した。その奥のくちびるは、恐らく笑みの形をしているに違いない。彼女は、フランセットよりも優位に立つことに快感を覚えるという悪癖を持っているのだ。

「なるほどね。よーくわかったわ」

 フランセットは眉を寄せる。牽制のまなざしをアレットに向けた。

「アレット。あんたは今日、滞在用の屋敷の手配をわたしに頼みに来たのよね?」

「|まだ《・・》というわけね」

 牽制をものともせず、アレットは告げた。フランセットはぐっと言葉に詰まる。

「朝も昼も夜も王太子殿下から愛されまくって毎日大変です、体を休めるひまなんて少しもありません!っていう顔をしているのに、まだというわけなのね」

「そんな顔、わたしがいつしたっていうのよ」

「まだ一年、されど一年よ、フランセット」

 扇を優雅に扇いで、勝ち誇った表情でアレットが言う。

「お悩みならいつでも相談に乗ってあげるわ。身ごもりやすい体質になりやすい食べ物から、当たりやすい日どり、受精しやすい体位にいたるまで、どんなことでもね」

「べ、別に、悩んでなんかいないわ」

 手にしていたグラスをテーブルに置いて、フランセットは強がりを言った。アレットは猫なで声を上げる。

「意地を張らなくていいじゃない。わたしとあんたの仲なんだから」

「わたしの弱音を聞くことが三度の食事よりも好きなアレットに、話すことなんてなにもないわ」

 アレットをにらみつけつつ言い返すと、彼女は扇でこちらに風を送ってくる。

「あら、言うじゃない。いいわ、わたしはしばらく王都に滞在する予定だから、気が変わったらいつでも訪ねに来て。王太子妃さまのお悩み相談室を用意をしておくから」

「アレットが自分のおもちゃをいじくり回すための部屋というわけね。そういう小部屋を持たない屋敷を探しておくことにするわ」

「ところで才色兼備のお妃さまは、なにかをお忘れではないかしら?」

 からかうように笑いながら、アレットは閉じた扇の先で、フランセットのあごを持ち上げてくる。フランセットはアレットをにらみ続けていたが、しかし、三秒後には肩から力を抜いた。
 椅子の背もたれに身をあずけつつ、自然とこぼれた笑みのままに告げる。

「妊娠おめでとう、アレット。あなたの赤ちゃんに会える日を心待ちにしているわ」

「ありがとう、フランセット。そう言ってもらえてとっても嬉しいわ」

 フランセットが掲げたグラスに、アレットが自身のそれをカチンと当てた。言葉どおりアレットは、子を宿した幸福を噛みしめているような表情をしていた。