05 王太子様は、なにかにお悩みのご様子です

 夜も更けてきたので、フランセットは湯浴みをして一日の汚れを念入りに落とした。今日は手負いのロロットを介抱したこともあり、土埃が体に付着しているような気がしたからだ。

(明日はアレンとエスターが訪問する予定だから、汗臭いままで会ってしまったら絶対に突っこまれてしまうわ)

 王太子宮には毎日のように来客がある。フランセットとメルヴィンはともに上流階級の交友関係が広く、なおかつ王太子とその妃として、国政に関与する際の人脈が豊富だからだ。

 それゆえ、訪問者は何日も前からアポを取り、ひっきりなしにやってくる。執務室や書斎で一対一で話し合うこともあれば、午餐会や夜会を開いて大人数を招いたりもする。夜会は日付が変わる時間まで続くことが珍しくないので、王太子宮はいつも煌々と灯りが焚かれ、人々の話し声や笑い声に満ちていた。

 フランセットは、そういうにぎやかな雰囲気は嫌いではない。どちらかというと、好きなほうだった。
 だからこそ、皆が帰ったあとの、しんと静まりかえった宮をとてもさびしく感じてしまう。

 とくに今日は、ロロットを挟んでレイスと楽しい会話を交わしたあとだったので、いつもの静けさがよりいっそう深く感じた。

(たくさんの使用人に囲まれていても、大好きな夫と暮らしていても、さびしくなる瞬間はどこにでもあるのだわ)

 この穴は、どうしたら埋まるのだろう。

 ふと、アレットの幸せそうな顔が頭の中に浮かんだ。フランセットは眉を寄せて、それを振りきるように湯船を出る。脱衣所で侍女からタオルを受けとって、水分をゴシゴシと拭った。考えても仕方のないことを悩んだってどうしようもないことは、ちゃんとわかっているのだ。

 籠の中で眠っているロロットを今後どうするのかという議題については、レイスの助言を考慮した結果、怪我の予後を見て、臨機応変に考えるという結論に至った。

 レイスの見立てでは、このロロットは恐らく二歳くらいだろうということだった。十年生きれば大年寄りというロロットにとって、二歳は充分大人である。

 この歳まで野生で生きてきた動物を、愛玩用として飼いならすことは不可能に近い。本来なら、怪我が治り次第手放すべきなのだ。

 けれど、怪我の後遺症がどれほど残るかということは、いまの段階ではわからない。もし、野生に帰してすぐに捕食動物にやられてしまうような状態であれば、帰すのは可哀想だ。
 それが自然の掟なのだから仕方がないと言えばそれまでだが、そこまで割りきれていたのならば、怪我をしたロロットをフランセットはそのまま放置していたはずである。

(偽善かもしれないけれど、助けられる命が目の前にあるのであれば、助けないよりは助けたほうがいいはずよ)

 夏用のネグリジェを身に纏い、夫婦の寝室の扉を開けた。すでに湯浴みを終えていたメルヴィンは、ガウン姿で籠を覗きこんでいる。籠はテーブルの上に置かれていて、ロロットは体を丸め寝入っているようだった。
 ソファに座っていたメルヴィンは、フランセットに気づいて顔を上げた。

「ねえ、フランセット。この子の名前はもう決めた?」

「名前ですか」

 フランセットは、メルヴィンのとなりに腰を下ろした。湯上りの夫からは、いつも優しい匂いがする。

「そうですね……いつか手放すのであれば、名前はつけないほうがいいのかもしれないですよ」

「一理あるけれど、最短でも一週間は面倒をみるわけでしょう? 呼び名がないと不便なんじゃないかな」

 鉄柵のあいだに指を入れて、メルヴィンはロロットの背中をそっと撫でる。ロロットはヒゲをぴくんとさせ
たが、起きることはなかった。その様子が可愛くて、フランセットはほほ笑む。

「じゃあ、ロロという名前はどうですか? ロロットだから、ロロです」

 すると、メルヴィンは吹き出した。

「いくらなんでも、単純すぎない?」

「覚えやすくていいじゃないですか」

「それはそうだけど」

 笑いながら、メルヴィンはロロットを見る。

「うん、呼びやすくていい名前だね。ロロ。今日からおまえはロロだよ」

 優しく呼びかけながら、メルヴィンはロロットの耳の下を撫でる。そのまなざしに、フランセットは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。

 無意識のうちにメルヴィンを見つめていると、ふいに彼と目が合った。黒水晶のように深い色合いをした瞳がやわらぐ。

「どうしたの、フランセット」

「いえ……、あの」

「ん?」

 メルヴィンの手が伸びて、フランセットの頬にふれる。包むように撫でられて、心地よさが広がった。

「わたしたちは結婚して一年になりますので、そろそろお世継ぎができてもおかしくない時期かな、と思ったんです」

「――」

 メルヴィンは目を見開いた。
 ややあって、視線を落とすようにフランセットから目をそらす。その反応に、フランセットは心の深いところで傷ついてしまった。

 その傷口に自分でフタをするように、口早に言う。

「でも、まだ授かっていなくてもおかしくない時期ですよね。アレットも、結婚して二年目に妊娠したのだし」

「アレットさまに御子ができたの?」

 メルヴィンはフランセットに視線を戻して言った。フランセットはうなずく。

「はい。今日の訪問はその話でした。旅行中に判明したから、安定期まではウィーリィに滞在したいのだそうです。そのための屋敷の手配を頼まれました」

「ああ、そうなんだね」

 メルヴィンはほほ笑んだが、漆黒の瞳には迷いが揺れているようにも見えた。しばらく沈黙が落ちて、気まずくなったフランセットは、空気を振りきるように立ち上がる。

「そろそろ寝ましょうか。明日はエスターとアレンが来る予定ですしね」

「うん」

「おやすみなさい、ロロ」

 籠の中で眠るロロに語りかけてから、フランセットはベッドに向かう。天蓋から下がるカーテンは半ばまで閉じられていた。それを端のほうに寄せたところで、背後から伸ばされたたくましい両腕に抱きすくめられた。

「フランセット――」

 強く焦がれるような声がうなじにふれる。そのまま熱いくちびるが素肌に押し当てられた。
 声を上げる間もなく、フランセットはベッドに押し倒される。仰向けにされた体にメルヴィンが覆いかぶさってきて、くちびるを奪われた。

「ぅん、ん……っ」

 性急に貪ってくるような口づけに、フランセットは戸惑う。この戸惑いは、ネグリジェをむしり取るように彼がフランセットを全裸にしたところで、混乱に変わった。

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