16 王太子様の混乱

 茜色の空が、少しずつ紺碧に染まりつつある。

 フランセットは、テーブルの上までメルヴィンに運んでもらった。彼はソファに腰かけて、小さくなったフランセットをまじまじと見つめている。

「お人形さんみたいに小さくなったね、フランセット。宮に帰ってきたらあなたは昼寝中だと聞いたから、起こさないように寝室に入ったんだ。そうしたらロロがベッドの上にいて、あなたの悲鳴が聞こえてきて――思わずロロを捕まえたら、小さなあなたがうずくまって震えていたから、ものすごくびっくりしたよ」

「まさに危機一髪でした。ロロに押しつぶされてしまうところだったわ。ありがとうございます、メルヴィンさま」

 ロロは籠の中に戻されて、少し離れた絨毯の上に置かれている。どこかふて腐れたような様子で体を丸めて、こちらを横目で見ていた。
 メルヴィンは、指先でフランセットの髪をつまんだ。

「髪の手触りは以前のままなのに、体だけ小さくなったんだね。不思議だな。体調が悪かったりすることはないの?」

「はい、大丈夫です」

「とにかく、もとに戻る方法を見つけないとね。そのためにはこうなった原因を探らなくちゃ。それにしても――」

 メルヴィンは、水色のリボンを体に巻きつけた状態で佇んでいるフランセットをじーっと見つめた。あまりにも真剣な表情で見てくるものだから、フランセットは心配になった。

「あの、メルヴィンさま。もとに戻る方法を見つけるのは難しいなんてこと言いませんよね?」

「いや、そうじゃなくて。この世のものとは思えないほど、最上級に可愛いなって思って」

「へっ?」

 なんだかタチの悪い寝言を聞いたような気がする。フランセットが固まっていると、メルヴィンの目つきがうっとりした感じに変わっていった。

「可愛い……本当に可愛いな、手乗りフランセット……」

「て、手乗り?」

「これからはどこにでも連れていってあげるね。僕のポケットの中にいれば大丈夫だよ。四六時中、毎日二十四時間いっしょにいようね、フランセット……」

「邪念に支配されないでください、メルヴィンさま」

 夫の妄想があらぬ方向へ突っ走ろうとも、フランセットはもとに戻る方法を見つけなければならない。糸口がどこかにないだろうかと、あごに手を当てて考えこむ。

「昼寝から起きたらこうなっていたのよね。ということは、昼寝の前になにかがあったと予測するのが妥当ね。たとえば、体を小さくする魔法をかけられてしまったとか……」

「そういう魔法は存在しないよ。けれど、道具を使えばできないこともない」

 妄想から戻ってきたメルヴィンの言葉に、フランセットは注目した。

「ということは、わたしはその道具を使われたということですか?」

「うん。道具というか、薬だけどね。ものすごくめずらしい品だし、悪用ができてしまう類のものだから、使用するには国の認可がいる。味がしないし、少量で効果があるから、食べ物に混ぜてしまえば気づかれることがないんだ」

「……。薬?」

「そう、液状のね。僕も実物はあんまり見たことがないんだけど、だいぶ前に一度だけ、フィーリアさまに見せてもらったことがある。所属していた曲芸団を離れて王宮に入るときに、団長さんが渡してくれたと言っていたよ。それでフランセット、昼寝の前になにかを食べた記憶は?」

「…………」

「フランセット?」

 いつまで経ってもフランセットが答えないものだから、メルヴィンが上体を屈めてこちらを覗きこんできた。やがてフランセットは顔を上げて、黒水晶のように綺麗な瞳を見返す。

「メルヴィンさま」

「ん?」

「わたしは、メルヴィンさまが弟さんたちを目に入れても痛くないほど溺愛していることを、充分に知っています」

「ああ、うん。そうだね、あの子たちのことは本当に大好きだよ。でもどうしたの、いきなりそんな話をするなんて」

「けれど、いいですか。ひとつ忠告をさせてください。エスターをはじめ、メルヴィンさまの弟さんたちは、そろいもそろってクセ者ばかりです。ひと筋縄ではいかない子たちしかいません。このことをしっかりと頭に入れておいてください」

「うーん、そうかなぁ。言われてみれば、ちょっとだけひねくれている子が多いかな」

「とはいうものの、わたし自身は過去、エスターやアレンに助けられたことがありますし、いまでも親切にしてもらっています。他国から嫁いできたわたしに気兼ねなく接してくれたからこそ、この国に早くから馴染めました。レイスもロロを助けてくれて、とても感謝しています。――でもですね」

「どうしたの、フランセット。目がものすごく真剣だよ?」

 メルヴィンは心配そうに眉を寄せた。最愛の弟たちを褒められたというのに、いつものように乗ってこないのは、フランセットヘの気がかりが優ったからかもしれない。

「小さなあなたも可愛いけれど、あなたがいろいろと不便な思いをするだろうから、早く直してあげたいんだ。弟たちの話をするのも楽しいけれど、いまは別のことを話題にしようよ。この状況を解決するために必要なことはなんなのかを徹底的に考えて、その中で最善の策をいますぐにでも――」

「こうなる薬をわたしに飲ませたのは、レイスです」

 事実だけを伝えるような口調で、フランセットは告げた。

 メルヴィンは、自身の言葉を遮られる形になったのだが、それにはまったく気づかなかったようだった。フランセットの発言が衝撃的で、それどころではなかったのかもしれない。

 三秒ほどの沈黙ののち、メルヴィンはぽつりと言った。

「……。え?」

 フランセットは、かわいそうな夫の目を覚まさせるためにふたたび告げた。

「わたしを小さくさせたのは、レイスです」

「ええと……。ちょっと待って。ちょっと待ってね、フランセット」

 ここまで動揺するメルヴィンを見るのは珍しい機会だった。喜怒哀楽が表情に出やすい夫ではあるのだが、気持ちの切り替えは早いほうなので、予想外の出来事が起こっても、驚くと同時に次の行動を考えているようなタイプなのだ。

 夫の動揺が収まるのをフランセットはじっと待っていた。やがてメルヴィンが、自身の両ひざに腕を置くようにして、こちらに身を乗り出してきた。

「レイスがあなたを訪れたのはいつ?」

 最初の質問がそれだったことに、フランセットは感動した。

 メルヴィンは、フランセットの言葉を疑わなかった。「レイスが犯人だと思う明確な理由はある?」や「フランセットの勘違いという可能性は?」などといった、こちらの言葉を疑ってかかるようなことをメルヴィンは言わなかったのだ。

 フランセットは、安堵のあまり涙ぐみそうになりながら答えた。