「今日の夕方です。薬を飲むように言われて、そうしたら唐突に眠気が来て、目が覚めたらこのような姿になっていました」
「その薬を、レイスは『体が小さくなる薬です』と説明はしなかったんだよね? 栄養剤とでも言われたの?」
言いづらかったが、フランセットは素直に答えた。
「睡眠薬だと、言われました」
メルヴィンはわずかに眉を寄せた。
「レイスがなぜ、睡眠薬をあなたに?」
「悩みごとがあって、それをフィーリアさまにご相談したんです。最近の寝不足はそのせいもあって……。途中までは同じ席にレイスもいたので、心配を掛けたのかもしれないと思ったんです。でも結局は、まったく別の効果のある薬だったので、レイスがなにを考えているのかわからなくて。まだ十五歳なので、もしかしたら騒動になるという想像が働かなかったのかもしれないですね」
「睡眠薬は、それ自体は悪いものじゃない。だけど――」
メルヴィンは、険しい目つきで言った。
「やり口が悪質だ。簡単に許せることじゃない」
静かな怒りを孕む声に、フランセットの背すじがヒヤリとした。メルヴィンは、フランセットと目を合わせる。
「レイスと話をする。あなたもいっしょについてきてくれるかな」
「も、もちろんそれは構わないですけれど」
目の前に彼の手が差し出されたので、フランセットはその上に乗った。安定を得るためにしゃがみこむと、てのひらがそっと浮いてメルヴィンが立ち上がる。
「馬に乗りたいから、フランセットを安全に運べるものが必要だな。ちょうどいい大きさの箱を持ってこさせなくちゃ」
「わたしなら、メルヴィンさまの胸ポケットの中で充分ですよ」
怒りのオーラを発したままの夫に、フランセットは慌てて言い添えた。
「どうしてあの薬を飲ませたのかをレイスに答えてもらうことと、もとの大きさに戻ることがわたしの望みです。大きな事情がレイスにあったのかもしれないので、あの子に説教をするおつもりなら、ほどほどにお願いします」
「弟を叱るのは、兄の大切な役割のひとつだよ」
メルヴィンはさらりと言った。
それから、てのひらにの上にしゃがんでいるフランセットをあらためて見つめる。
「けれど、出かける前にあなたの服をなんとかしないといけないね。空色のリボンを巻きつけている姿は、妖精みたいでとっても可愛いけれど、体の線がくっきり出ているし、肩や脚が見えてしまっているのはよくないよ」
「はしたない格好ですみません。でもどうしようもなかったんです」
フランセットが顔を赤らめてうつむくと、メルヴィン指先で頬を撫でてきた。
「はしたない? とんでもない。あなたを目にするのが僕一人だけなら、いまの姿のままでずっといてほしいくらいだよ。けれどいまからレイスに会わなきゃいけないから、そうも言っていられないでしょう?」
「そ、そうなのですか。では、ミニサイズのドレスをどこからか調達しなければいけませんね」
「うん、そうだね。人形用のドレスならぴったりのものがあるかもしれない。僕はそういうものを持っていないけれど、アレンやエスターなら持っているかもしれないな。この時間なら王太子宮にいると思うから、探して聞いてみよう」
「着せ替え人形を持っていそうなのがその二人なんですか? その認識で本当にでいいんですか?」
フランセットが大いに動揺したとき、部屋の扉がノックされた。メルヴィンが返事をすると、家令のジョシュアの声が聞こえてきた。
「お寛ぎ中失礼いたします。メルヴィン殿下にご来客でございます」
「ごめん、急ぎの案件ができたから、お客さまには後日訪ねてもらうように伝えてくれないか。それとジョシュア、きみに聞きたいことがあるんだ」
答えながらメルヴィンは、フランセットをテーブルに戻して乗馬用のコートを羽織った。それから、コートの胸ポケットに慎重な手つきでフランセットを入れる。
ポケットの底には上質なハンカチが敷いてあって、意外と居心地が良かった。立ち上がれば顔が出せるので、圧迫感はほとんどない。
「どう、フランセット。痛かったり怖かったりしない?」
「問題ないです。快適です」
「よかった。不自由をさせて申し訳ないけれど、しばらくここにいてね。揺らさないように気をつけるよ。まずはエスターたちの居場所をジョシュアに聞こう。あなたが小さくなったことを知られると大事になってしまうから、しばらくポケットの中に身を隠していて」
フランセットはうなずいて、敷いてあるハンカチの上に座った。メルヴィンが扉を開ける気配がして、彼と家令の会話が上から聞こえてくる。
「エスターとアレンがどこにいるか知らない? あの子たちに用があるんだ」
「両殿下なら、正餐室で夕食をとられています。しかしながらメルヴィン殿下。ご来客の件なのですが、大変申し上げにくいことに、後日のご来訪をお願いすることが難しいお相手でございまして」
「難しい?」
メルヴィンが訝しげな声を出した。
それもそのはず、事前の連絡もなしに王太子に会おうとするのは無謀な行為である。断られて当たり前の来訪なので、門前払いを受けても客人は納得するだろう。
(追い返せない相手、ということかしら)
フランセットの脳裏に、先日会ったばかりの国王の姿がよぎった。
その予想は、当たらずとも遠からず、といったものであった。
「恐れ多くもお客人はリヴィエラ王妃殿下でございます。殿下は、メルヴィンさまといますぐの面会をご希望になられております」
「母上か」
メルヴィンの声が曇った。
「わかった。短時間だけ応対するよ。王妃殿下を貴賓室にお通しして。あまり長居されても困るから、お茶の用意はしなくていいよ」
「かしこまりました。奥様もご同席されますでしょうか」
「いや、フランセットは体調を崩して寝ているんだ。最近顔色が悪かったのを、きみも知っているだろう?」
ジョシュアは心配そうな声で首肯し、貴賓室の用意をするために下がっていった。メルヴィンが、ポケットを指でそっと開いてフランセットを見下ろす。
「ごめんね、フランセット。すぐにすませるから、もう少し待ってもらっていいかな」
「わたしのことなら気にしないでください。せっかくお義母さまがいらっしゃったのに、お茶の用意もしないなんて良くないですよ。もう少しお時間をとったほうがいいと思います」
フランセットの言葉に、メルヴィンは困ったように口の端で笑った。
「ありがとう、フランセット。でも、それこそ気にする必要のないことだよ。母上との会話の内容は毎回同じなんだ。あなたに聞かせるのは初めてだと思うけれど、びっくりしないでね。僕たち家族は――、少しだけ変わっているんだ」