18 王妃リヴィエラ

 メルヴィンは、輿入れ当初から|こう《、、》だった。

 国王・王妃とフランセットの距離が近づくことを好まない。だから結婚して一年が過ぎるも、プライベートな場でフランセットが国王たちと言葉を交わした回数は、片手の指で数えられる程度しかない。

(義両親との距離が必要以上に近いと、嫁にとっては息苦しいという話を聞くから、そのあたりは気楽なのかもしれないけれど)

 加えてウィールライト王家は家庭事情が複雑だ。気を遣いつつの会話になることは間違いないため、夫が遠ざけてくれるのはありがたいとも言える状況なのかもしれない。

(でもわたしは、王太子妃なのよね)

 将来的に国王として立つ夫を支えるべき存在なのだ。だからこそ、義両親は偉大な先輩でもある。いまのうちからよく話をするようにして、距離を縮めておいたほうがいいに決まっている。

 このあたりのことも、メルヴィンと話し合わなければと思っていた。ポケットの中でフランセットはため息をつく。世継ぎのこといい、どうにも話題に出しにくい内容だ。

 しかしながら、当面の問題は体が小さくなってしまったことである。義両親との距離を縮めることも、世継ぎを授かることも、もとに戻ってからじゃないと解決できない問題だ。

「ようこそいらっしゃいました、母上。お会いできて嬉しいです」

 王妃リヴィエラは、先に応接室に通されていた。フランセットは、胸ポケットに空けられたごく小さな穴から室内の様子を見る。

 ここに来る前に、針の先で布地にメルヴィンが穴を空けてくれたのだ。上質な生地にそのうような仕打ちをするのは心が痛んだが、おかげで狭い視界ながらも辺りの様子をフランセットは知ることができるようになった。

「突然訪れてごめんなさいね。あなたにどうしても話したいことがあったの」

 リヴィエラは立ち上がって、メルヴィンからのあいさつの抱擁を受け入れる。それから、テーブルを挟んで二人とも腰かけた。

 彼女は十七歳で嫁ぎ、第一子であるメルヴィンを一年後に産んでいる。現在は三十八歳、四人の男児を産んだ王妃はいまだ若々しく、美しい肌と洗練された体つきをしていた。あでやかに咲く花を思わせるような美貌の持ち主で、栗色の豊かな髪は丁寧に結い上げられ、訪問用のドレスは深みのあるワインレッドである。凛とした光を内包する瞳は濃いブラウンで、内面の強さを表しているようだった。

「話というのは?」

 やわらかい声で促したのはメルヴィンだ。最近の互いの状況を聞き合ったりするような雑談をせず、早々に本題に入るつもりのようである。

 リヴィエラもそれに気づいたのか、紅を引いたくちびるに微苦笑を滲ませた。

「あいかわらず忙しくしているのね、メルヴィン。あなたが国王宮を訪れるのはいつも公務や執務のときだけですもの」

「申し訳ありません」

「あなたが結婚してもう一年になるのかしら。フランセットさまとは仲良くしているの?」

 自分の話題が出てきて、フランセットは嫌な汗をかいた。これは心臓に悪い状況かもしれない。

 それにしてもメルヴィンは、母親に対してずいぶんとそっけない態度だ。声音は優しげだが、言葉自体が短すぎる。これでは、会話をしたくないと言っているようなものではないか。

 普段の様子から、母子(おやこ)仲はよくないのだろうと予想していたが、それ以上である。
 メルヴィンが、おだやかな声で言った。

「仲良くしていますよ。妻にはいつも感謝しています」

「それはよかったわ。あなたともそうだけど、フランセットさまとお話しする機会はほとんどないもの。ちゃんとうまくやっているのか気になっていたのよ」

 メルヴィンは、ひと呼吸置いてから告げる。

「僕たちなら大丈夫ですよ。気にかけていただく必要はありません」

「そうね。夫婦生活に関して、わたくしに心配されるのもおかしな話だものね」

 自虐的なほほ笑みが、綺麗な形をしたくちびるに浮かぶ。

 ここはメルヴィンがフォローを入れる場面だとフランセットは感じたし、メルヴィンは絶対にそうすると思った。けれど、メルヴィンはなにも言わなかった。
 リヴィエラは言う。

「忙しいのよね。ごめんなさい」

「いえ」

「あなたに聞きたいことというのは、エスターについてなの」

 ふいに、メルヴィンの体が動いた。脚を組んだようだ。

「本人に直接聞くことのできない話ですか」

「あの子には何度も言っているわ。でも、あなたも知っているように聞く耳を持ってくれないのよ」

「エスターの女性関係に関しては、僕のほうからもなにも言えないですよ」

 メルヴィンが先手を打つように言った。
 リヴィエラの表情が曇る。

「あの子のことを心配しているのよ」

「わかりますよ。僕も気にはなっています」

「結婚相手の候補を紹介しても、まったく興味を示さないの。釣書(つりがき)を見もしないのよ。あの子はこのまま独身を通すつもりかしらと思うと、心配で仕方がないわ」

「僕は、エスターのことを気に掛けていますが、本人の意思を無理に動かそうとは思いません」

「エスターのことを信じていると言いたいのでしょう? あなたたち兄弟はいつもそうね」

 リヴィエラの声にさびしさが滲んだ。フランセットは、この場に自分がいてはいけないのではないだろうかという思いに苛まれた。

「わたくしは昔、エスターに対してひどい態度をとっていたわ。あの子が、母親よりも兄のあなたを頼りにするのは当然のことよ。申し訳ないと思っているわ」

「これ以上は僕が聞く話ではないですね。エスターに直接おっしゃられたほうがいいですよ」

 ポケットの中がゆれた。メルヴィンが、組んでいた脚をほどいて立ち上がったのだ。
 彼の声はあいかわらず優しげだったけれど、言葉は辛辣だし、態度が「早く帰ってください」と言わんばかりである。

「……あなたの言うとおりね。あなたにも謝罪をしなければならないわ。ごめんなさい」

 さびしさの深まった声が聞こえてきた。メルヴィンの体がこわばるのをフランセットは感じとる。
 リヴィエラが言った。

「時間をとってくれてありがとう。たまにはわたくしの部屋にも顔を出して、メルヴィン」

「はい」

 メルヴィンは、リヴィエラの手をとって口づける。それから「母上」と呼びかけた。

「あなたが僕に謝る必要はありません。これはもう、僕個人の問題なんです」

「けれど、メルヴィン。あなたが幼いころに、わたくしはあなたを――」

「母上が苦しんでいたことは知っています」

 メルヴィンの言葉に、リヴィエラの体が小さく震えた。メルヴィンは、いつもどおりの優しい声音で告げる。

「もう少し時間をください。僕にも、エスターにも、アレンにも、そしてレイスにも。僕が真っ先に問題を乗り越えないといけないことはわかっています。長男ですからね」

 リヴィエラの目から、こらえかねたように涙が零れた。メルヴィンが、胸ポケットをそっと開いたので、フランセットは慌てて、ハンカチを両手で持ち上げてメルヴィンに渡す。

「今度国王宮に参ります。近いうちに、必ず」

 差し出されたハンカチで涙を拭いながら、リヴィエラはうなずいた。