「女の子の人形用のドレスが欲しい?」
翌朝の朝食室で、向かいの椅子に座る長兄に対して、ものすごーく訝しげな顔をしたのは三男坊であった。
彼のとなりで、次男であるところのエスターは、朝食後のコーヒーを口に含みつつ優美にほほ笑む。メルヴィンの胸ポケットに潜んでいたフランセットは、エスターの微笑に面白がるような色が滲むのを見逃さなかった。
「なるほどね。新しい趣味に目覚めでもしたのかな。俺はいいと思うよ。趣味は人生を豊かにするからね」
「いやいや、おかしいだろ。よくないだろ。人形だよ? 女の子の着せ替え人形だよ? どう考えてもヤバいだろ」
「そういう偏見はよくないよ、アレン。どんな分野にも専門的かつ微細な数々の技巧が存在し、そしてそれを愛してやまない人々がいる。人形の世界も同様に奥深いものだと俺は思うよ。つまりは芸術だ」
「俺は丸めこまれないぞ。エスター、おまえは面白がってるだけだろ」
「さてメルヴィン。その人形というのは、愛しの奥方に似た姿をしたものなのかな。それとも、まったく違う容姿を?」
「似ているというよりも、そっくりそのままだよ。大きさはこのくらいかな」
テーブルの上に手をかざして、だいたいのサイズをメルヴィンは示した。アレンが深刻そうな顔をする。
「フランセット型の人形をオーダーメイドするとか、もう末期だろ」
「エスターは女性の知り合いが多いし、アレンは城下に出る機会が多いから、人形の服を調達しやすいかと思ったんだ。すぐに手に入りそうかな」
フランセットは、そういう理由でこの二人に人形の服を頼もうとしていたのかと納得した。義弟二人がお人形さん遊びを趣味にしているわけではなかったようだ。
フランセットは現在、若草色のリボンを身に纏っている状態だ。これはこれで涼しくていいとも思うが、下着類をいっさいつけられない上に、肩と脚を出しているのは落ち着かない。
エスターは、コーヒーカップをソーサーに戻しつつ答える。
「兄上の頼みとあらば。正確には何時頃までに揃えればいいんだい?」
「午前中にレイスを訪ねる予定なんだけど、それまでに欲しい。できるかな」
「人形収集が趣味のご婦人と知り合いなんだ。いますぐに当たってみるよ」
「ありがとう」
メルヴィンが安堵の声で言った。フランセットも、ポケットの中で小さく礼を口にする。
「けれど、メルヴィン。やはり実物を見てみないことには、どういったドレスを持ってこればいいのかイメージが湧かないよ。フランセットにそっくりだというその人形を見せてもらってもいいかい?」
エスターの瞳が好奇心に光っている。アレンの言ったとおり、いまの状況を面白がっているに違いない。
メルヴィンは困ったように唸った。
「見せなくちゃだめかな。フランセットがいつも着ているようなドレスでいいんだけど」
「見せてもらったほうが確実だよ。これくらいの大きさといっても、体のラインなどの細かいところがわかったほうが選びやすい」
「そうかもしれないけど……」
迷うメルヴィンの前で、アレンは苦悩している様子だ。
「俺は見たくない……ような、見たいような……。王太子が、妃そっくりの人形で着せ替え遊びするとか……大丈夫かよこの国……」
アレンの心配はもっともである。と、メルヴィンの指先が胸ポケットを開いた。目が合う。
「出してもいいかな、フランセット」
メルヴィンは小声で聞いたのだが、耳ざとい弟たちにはばっちり聞かれていたようだ。胸ポケットに人形を入れているばかりか、その人形に話しかけている兄を目前にして(しかも妻と同じ名前をつけている)、さしものエスターも顔色を変えたようだった。
「メルヴィン。深刻な悩みを持っているのなら相談に乗るよ。打ち明けるだけでも心が軽くなるはずだ」
「そうだよ兄さん、一人で悩むのはよくないって。俺たちが聞くからなんでも話してくれよ。フランセットとけんかでもしたの?」
心を病んで妻そっくりの人形に癒しを求める哀れな兄、という設定ができあがったようである。このままではまずいので、フランセットはメルヴィンにすかさず「出してください」と言った。
メルヴィンの指に包まれて、テーブルの上にフランセットは下ろされた。胸の高さまでティーカップが来ていることにいまさらながらびっくりしつつ、正面の義弟たちを見上げる。
フランセットと目が合い、エスターとアレンは文字通り固まった。
「これは、フランセットにそっくりという次元を超えているような気がするんだが」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。そっくりっていうか、そのものじゃん」
アレンが、メルヴィンに似た端整な顔を近づけてくる。
「しかも動いてない? これ、ほんとに人形?」
「動く上に喋るわよ。アレンの言うとおり、わたしはフランセットそのものよ」
フランセットが告げると、兄弟は愕然と目を見開いた。
「え? えええ!? フランセット!?」
「いったいなにがどうなっているんだ、メルヴィン」
混乱しているエスターの問いに、メルヴィンは答えた。
「簡単に説明すると、フランセットは体が小さくなる薬を飲まされてしまったんだ」
言いながら、ハンカチを取り出してフランセットの肩に掛けてくれる。
「中和薬をいまから取りに行く予定なんだけど、この格好じゃ宮の外に出せないでしょう? だからおまえたちに服を用意してもらおうと思ったんだよ」
「なるほど、そういうことか」
「確かにちょっとアレな格好だけど、ポケットの中に入れておけば人目にふれないんじゃないの?」
さすがの順応力で、エスターとアレンは状況を飲みこんだようだった。メルヴィンは、難しい顔をする。
「けれど、犯人にフランセットの姿を見せる必要があるんだ。自分がしたことをきちんと目で見て理解させたい」
フランセットは、体の前でハンカチの両端を引き寄せつつうなずいた。
「ええ、そうなの。だからドレスが必要なの。お願いできるかしら、エスター」
「ああ、それはもちろん任せてくれ。しかし、驚いたな。まるで小人のような――いや、妖精と表現したほうがふさわしい。その姿もとても美しいよ、フランセット。琥珀色の宝石が人の姿を象ったかのようだ」
社交界きっての色男は、こんなときでも美辞麗句を忘れない。一方でアレンは、こちらをまじまじと見つめてくる。
「そういう薬が存在するっていう話は聞いたことがあったけど、ほんとに小さくなるんだな。体の調子は大丈夫なの、フランセット」
「ええ、問題ないわ。心身ともに元気そのものなのだけど、体だけが小さくなってしまったの。こんな状態じゃなにもできないから、一刻も早くもとの姿に戻りたいのよ」
「だよね。執務に精を出せない状態が続くと、フランセットは病気になっちゃうもんね」
「ひとつ聞いてもいいかい、メルヴィン」
エスターが、真剣なまなざしでメルヴィンを見た。
「フランセットに薬を飲ませたのは誰だ?」
アレンがはっとしたように息を飲む。それから、こわばった声で言った。
「そういう薬を母さんが持ってるって、聞いたことがある。まさか、母さんを疑ってるの? 絶対に違う。違うよ、メルヴィン!」
「落ち着いて、アレン。そう、フィーリアさまじゃないよ。犯人は別の人間だ」
エスターが、眉を寄せつつ椅子の背もたれに身を預けた。短く言う。
「レイスか」
アレンは眉をゆがめたが、フィーリアにしたように弟を庇う言葉を発しなかった。メルヴィンはうなずく。
「そう、レイスだ。フランセットにドレスを着せたら、あの子のところに行く予定だよ」
「少年のいたずらというには度が過ぎている。たっぷりとお説教だな」
エスターが、深いため息をついてからフランセットを見た。
「すまない、フランセット。弟がきみにたいへんな迷惑を掛けた。心から謝罪しよう」
頭を下げるエスターに、フランセットは慌てて首を振った。
「謝らないで、エスター。わたしも軽率だったのよ」
「本当にごめん、フランセット……」
傷ついた目をして、アレンはメルヴィンに向き直る。
「俺もいっしょに行くよ、メルヴィン。あいつのこと、叱らないと」
「あんまり大人数で行くのもよくないからね。アレンはいつもどおりの仕事についていて。レイスのところには、僕とフランセットだけで行ってくるよ」
やんわりと言うメルヴィンに、アレンは渋々うなずいた。エスターが速やかに立ち上がって、「ドレスを調達してくる。少しのあいだ待っていてくれ」と朝食室から出ていく。
重たい空気の立ちこめる室内で、アレンがぽつりと言った。
「あの薬は……母さんが大切に持っていたものなんだ。俺を身ごもったことがわかったとき、父親がわりだった曲芸団の団長が渡してくれたものだって言ってた。だから、危険な薬だけどどうしても捨てられないんだって、言ってた」
「うん、その話は僕も聞いたことがあるよ」
メルヴィンが優しく言う。肩を落としたまま、アレンは続けた。
「中和薬は母さんが持ってるよ。フランセットはすぐにもとの姿に戻れるはずだ。ごめんね、フランセット。レイスはいい子なんだけど、少し……思いつめてしまうところがあるんだ」
「そうなのね。わかったわ、アレン。レイスがなにを思いつめてしまったのか、聞けるようであれば聞いて、力になれることがあるのならそうしたいわ」
「ありがとう、フランセット」
アレンは、泣きそうな表情でほほ笑んだ。