「外見の特徴がぴったり当てはまる。それに兄さんとローゼは混乱しきっていて気づかなかったかもしれないが、彼と一緒に馬車へ乗り込んだ時、竜族が拍手喝采を送ってきたんだ。中には涙ぐんでいる竜もいた。『おめでとうございますヴァル様、ばんざいヴァル様』って感動の声限りなしというありさまだったよ」
ハンネスの顔色がみるみる青くなった。
「ヴ、ヴァル……? まさか」
「そう、竜王リンドヴァルムの呼び名だ。間違いないですか、ヴァル陛下」
レイの問いに、竜の青年は居心地悪そうにため息をついた。
「それは正しい。が、今は関係のないことだ。それに、番いのご家族から尊称で呼ばれることに違和感がある。普通に呼んで頂きたい」
「竜は番いの親族を大切にすると聞いていたけれど、まさか竜王陛下もそうだとは。愛が深いんだか、真面目なのか、よく分からないな」
レイは苦笑した。一方ローゼはそれどころではない。
竜王とは竜族の長だ。雄々しき竜族の頂点に立つ存在であり、人間にとっては畏敬の対象でもある。
人間の王家が竜族を敬う方針を取るようになって久しい。民もそれにならい、竜を世界の覇者として尊重してきた。
その竜王が、目の前にいる青年だというのか。
(もし竜王からの求婚を断ったら、この家は――お父様はどうなるの?)
ローゼはぞっとした。王家からなんらかのペナルティを与えられるかもしれない。そこまではいかなくても、貴族たちの批判の的(まと)になることは避けられないだろう。
「し、しかし、竜王であろうとなかろうと」
ハンネスが震えながら告げた。
「娘は渡せない。この子は大切な妻の、イリーネの、たった一人の忘れ形見なんだ」
「俺の称号など考えなくていい。この件に関して、他の人間たちに関与させるつもりは一切ない。この家への不利な計らいは許さないと、人間の長に伝えよう」
ヴァルは強く言い切った。確信のある響きに、ローゼは安堵する。
(このお方が仰ったのだから、大丈夫だわ)
ローゼは、先ほど会ったばかりの竜を信じ切っている自分に気づいた。
「な、ならばもう、頼むから、あきらめてくれ。このとおりだから」
ハンネスは深々と頭を下げた。肩が震えている。
「娘は妻が遺してくれた、たった一人の大切な宝物なんだ。頼むから、奪っていかないでくれ。この子を失ったら私はもう生きていけない」
「……。申し訳ないが、その理由では納得できない。男爵の言い分は、親の権限を逸しているように見受けられる」
「お、おまえに、おまえに私たちの何が分かる!」
「お父様」
ローゼはいてもたってもいられず立ち上がった。ハンネスの背にそっと手を添える。
「そうだ、『私たち』だ」
ヴァルは立ち上がった。強い双眸で、まっすぐにローゼを見つめてくる。
「男爵だけでなく、ローゼの気持ちも聞きたい。俺はまだ彼女の言葉をなに一つ聞いていない。これではあきらめられない」
強い視線に、ローゼの肌がピリピリと焼け付くようだった。ローゼは小さく喉を鳴らした。彼の目線の引力から、努力して自分のそれを引き剥がす。
半ば放心状態のハンネスに、声を掛けた。
「お父様、お座りください。朝からずっと緊張し通しでお疲れでしょう?」
「ローゼ、わ、私は」
「大丈夫。あとはわたしに任せて、少しお休みになってください」
ローゼが微笑むと、ハンネスはよろけるようにソファに沈み込んだ。そのまま頭を抱え込むのを、レイが励ましている。
ローゼは深呼吸したあと、竜の青年――ヴァルに向き直った。
「ヴァル様」
「――ああ」
ローゼから目を合わせると、ヴァルはわずかに動揺したようだった。耳が少し赤くなっている。
本音を言えば、ローゼはこれ以上彼を見ていたくなかった。言葉を交わしたくなかった。そうでないと、とりかえしがつかなくなるような気がするからだ。
けれどヴァルの主張には理(り)がある。人間の世界では、父親がノーと言えばそれで終わりだ。断られた男性は、次の女性を探す。けれど竜は違う。竜の番いは生涯にただ一人だと聞く。ヴァルに次の女性は存在しない。
だからこそ、ローゼ自身がきちんと向き合うのが礼儀だと思えた。
「少しだけでかまいません。わたしと二人で、お話をする時間を頂けませんか」