すべてを聞き終えたあと、ヴァルは愕然とした表情になった。やがて怒りを碧(みどり)の瞳によぎらせる。
「おのれ、どこの蛇だ。俺の番いをよくも」
「わたしが悪かったのです。みんなから離れて遊んでいたから。こういう過去があったので、花嫁探しの場にずっと行けなくて……。だから長い間ヴァル様のお目に止まらなかったのだと思います。お時間を掛けさせてしまって、申し訳ありません」
「いや、花嫁探しの場に来ない娘は多くいる。島国などに住んでいれば無理な話だしな。だから竜は番いを、自分の翼で渡り探す。見つけられなかったのは俺の落ち度だ」
竜は匂いで番いを探し当てる。ローゼはほとんど屋敷の中で暮らしていたから、余計に見つかりにくかったのかもしれない。
ヴァルは悔しげに眉を寄せた。
「くそ、その当時に俺がおまえを見つけていれば、蛇に噛まれるような目には遭わせなかったものを。本当にすまない。怖かっただろう?」
痛みを含んだ目で、ヴァルはローゼを見つめた。
(このお方は、人の心をていねいに見てくださる方(かた)だわ)
同情した表情の裏で、他人の不幸を味わうような人ではない。母を幼くして亡くしたローゼは、そういう感情に敏感だった。
ヴァルの温かい心は、ローゼの身の内に深く染み込んだ。ローゼはまた涙が零れるのを、抑えることができなかった。
(わたしはそんなに泣き虫ではなかったのに)
悲しみ以外で涙を流すことなど、なかったのに。
ローゼの涙に、ヴァルが動揺した表情を見せる。ローゼはそっと微笑んだ。
「ヴァル様、あなたは素敵なお方です。とても優しくて、温かくて。あなたと一緒になれたら、どんなに」
ヴァルは目を見開いた。
「俺との未来を考えてくれるのか」
「それは……。わたしは、さっきもヴァル様に失礼な態度を取ってしまいました。もし未来があるのなら、きっとこれからも同じことをしてしまうかもしれません」
「そんなことは気にしなくていい。俺のことより、おまえのことを考えたい。もちろん男爵の説得に労を惜しむつもりもないし、少しでも望みがあるのならあきらめたくない。ほら、こうして腕に布を巻くだけでおまえは怯えないだろう? おまえが楽になるような方法を、もっと他にも考えるから」
「方法を?」
「そうだ。腕はちょっとしたきっかけで鱗が出やすいから、こうして普段から亜麻布(あまぬの)で隠しておく。次に出やすいのは顔だが、これは意志の力で抑え込むことができるはずだ。いや、必ず抑え込む。周囲の竜が怖いなら、俺がおまえのそばにいて守る。鱗が見えそうになったら見えないように抱きしめるから」
ローゼの頬をこぼれ落ちる涙。それをヴァルは、指でそっと拭った。それから反対の腕で、彼女を優しく抱き寄せる。
ローゼのさらさらした髪に唇を押し当てて、切なげに囁いた。
「ローゼ……俺のかわいい番い。決して不自由な思いはさせないと約束する。寂しい思いも、辛い思いも、怖い思いも。俺はおまえのためだけに生きたい。それを許してほしい、リーヴェローゼ」
竜は溺れるように番いを愛する。
その言い伝えどおり、ヴァルはまっすぐにひたむきに、ローゼに想いを向けてくれている。
彼の胸の中で、ローゼは唇を噛んだ。ヴァルは抱く腕に力をこめる。
「もし本当に……駄目だったときは、ちゃんとおまえを男爵のところへ帰そう。だから一度でいい。俺とともに、竜大陸へ来てくれないか。もう少しだけでいい、おまえのそばにいさせてほしい」
きっと自分は、この情熱的で優しい竜に惹かれ始めている。
これまで恋をしたことがなかったから、この想いがそれだと、はっきりとは分からないけれど。
でもこのまま彼とお別れをしたら、きっと自分はとても後悔するだろう。それだけは分かった。
父を裏切ることはできない。けれど、あともう少しだけなら。
「……はい、ヴァル様」
ヴァルの温かな腕の中でローゼは答えた。彼の肩が、小さく震えたような気がした。
「もう少し、ヴァル様といっしょにいさせてください」