「……!!」
夢からさめたシュゼットは、ベッドからがばっと起き上がった。
空が白み始めたばかりの時分、見慣れた室内はまだ薄暗い。
シュゼットは、ぼう然としつつ口をてのひらで覆った。
「待っ……て」
あれは夢? それとも現実に起こったこと?
シュゼットは、固まったまま大混乱に陥った。
(あの夜お持ち帰りされて、えっちしちゃったことは確かだから――)
あれはただの夢じゃなくて、そう、記憶だ。
シュゼットは、頬が熱くなるのを感じた。いたたまれなくなって、くちびるを噛みしめる。
あんなふうに抱かれたのだ。
フィンに、この上なく優しく、そして情熱的に。
「あー……もう」
シュゼットは、両ひざを引きよせて顔を伏せた。
思いだしたくなかった。
きっと二度と、忘れることはできないだろうから。
「もう、自分が最低だよ……」
月のものは、ちゃんときた。
覚えている。あの夜の数日後のことだ。つい二日前に終わったばかりだった。
思えば昨日、馬車のなかでフィンがシュゼットの体調を重ねて聞いてきたのは、このせいもあったかもしれない。
(軽率すぎる……!)
ネグリジェの上から、自分の脚をぎゅうっとつねる。できることなら、だれかに思いきり頬をたたいてほしかった。
妊娠していなくて、ほっとしている。
けれど――落胆も、している。
本能の部分で。
(軽率以上に、ばかすぎる)
「なにやってるの、わたし」
瞳の奥が痛んで、視界が潤んでいく。
同時に、前世の記憶がよみがえってきた。
自分が死ぬことになったあの日の朝、シュゼットは泣きはらした目でコンビニにいた。なぜそんな状態だったかというと、付きあっていた男性のとんでもない事実を昨日知って、ひと晩中ベッドにつっぷして泣いていたからだ。
昨夜、仲のいい女友達から電話があり、言いにくそうに、けれどとても心配そうに彼女は告げた。
『あんた、――くんと付きあってるって聞いたんだけどさ』
その彼は、高校時代の同級生だった。同窓会で再会し、付きあい始めたのは三ヶ月前のことだ。
恋の相談をしているうちに少しずつ距離が縮まって、お互いに好意を持つようになった。恋人同士になれたきっかけは、ふたりで呑んでいたあとに酔った勢いでホテルへ行ってしまったことだけれど、そのあとも週に一度はデートを重ね、愛を深めていた。
シュゼットが彼にしていた恋の相談の内容は、例によって失恋がらみのことだった。シュゼットは当時社会人一年目で、頼りになる会社の先輩に憧れと淡い恋心を抱いていた。先輩が既婚者だということは知っていたから、淡い恋の進展など、シュゼットは考えもしていなかった。
けれどある日、その先輩からとんでもないことを言われて落ち込んでいたのだ。
『きみ、いつも一生けんめいでかわいいね。よかったら今度呑みにいかない? ふたりきりでさ』
シュゼットのデスクまで来た先輩は、小声でそう声をかけてきた。シュゼットは、「そんなこと言ったら奥さんに怒られますよー」とやんわり断った。誘ってくれたのはうれしかったけれど、さすがによくないと思ったからだ。
きっと先輩も、社交辞令で言ってくれただけだろう。そう軽く考えつつパソコン作業に戻ろうとしたら、ふいに先輩が距離をつめてきた。
『妻のことは気にしないで。最近うまくいっていないんだ』
キーボードをたたく手が止まった。
『金曜の夜、空けておいて』
シュゼットの、憧れと淡い恋心が砕け散った瞬間だった。
これ以降ことあるごとに先輩から誘われてストレスになっていた。社会人一年目で仕事だけでいっぱいいっぱいだったのに、おなじ課の先輩のあしらいかたなんてまったくわからず、どうにもならなくなっていた。
高校の同級生である彼にそのことを相談しているうちに、いつしか付きあうようになっていった。だから彼は、シュゼットが不倫なんてまったく考えられないということを充分に知っていたはずだった。
心配して電話を掛けてきてくれた友達は、告げた。
『――くん、結婚してるよ。そのこと、ちゃんと知ってる?』
その翌日、シュゼットは車の事故に遭って死んだのだ。
月光の差し込む広いベッドの上で、シュゼットは、ネグリジェに包まれた両ひざを引きよせて両手で抱え込んだ。
前世の自分は愚かだった。流されやすいし、さみしがりだし、自分の意見をはっきり言えない。そんな臆病な人間だった。けれど、それ以上に男はずるい生き物だ。
だからもう恋愛はしない。
『結婚しよう』なんて言葉は、絶対に信じない。
けれど、舞踏会のあの夜に、体の奥深くにフィンを受け入れたとき、自分はそれを信じたのではないだろうか。
フィンに抱かれながら、彼にどうしようもなく惹かれながら、彼の想いを信じたのではないだろうか。
だからこそ、こうすることはごく自然のことなのだと思ったのだ。
このひとは、これまでの男性とはちがう。
今度こそ本物だ、と。
(けれど、そんなことはこれまで毎回思ってきた)
何度くり返してもわからない、ばかな自分がいやだ。
シュゼットは、両ひざにひたいを押しつけて、声を殺して泣いた。