「そうやって……っ」
手管にからめとられそうになっているのはこちらのほうだ。油断していると、あっといまに持っていかれてしまう。
シュゼットは、扉に背中を貼りつけたまま攻勢を試みる。
「そうやって、きざなことをぺらぺらしゃべるひとは、信用できない……!」
「じゃあ、シンプルに言おうか」
ふと、フィンの声音が低まった。
シュゼットの顔に影がさして、目をそらしていても、彼が近づいてくるのがわかる。
心臓が壊れてしまいそうだ。
「きみのかわいいくちびるに口づけたい」
熱いささやきがふれて、ぞくりと肌がざわめいた。
フィンの指があごにかかり、軽く上向かされて、くちびるが重ねられる直前――
「だめ」
ふたりのあいだにてのひらを差し込んで、シュゼットは弱々しく訴えた。
てのひらの前で、フィンは動きをとめる。その、宝石みたいな青い瞳を必死の思いで見つめ返しながら、シュゼットは、苦しい反抗を示した。
「『かわいい』が、余分だったから、だめ……」
「……。なるほど」
言って、フィンは、シュゼットのてのひらにちゅっと口づけた。ついでのように軽くなめられて、その濡れた熱にシュゼットは腰が抜けそうになる。
「フィ、フィン……!」
「なるほどね。まったく、困ったな」
さりげないしぐさで片腕をシュゼットの腰にまわしながら、フィンは、真剣な目つきで見下ろしてくる。
「困ったことになった。きみがかわいすぎる」
「へっ?」
「まさか自分が、真面目な心持ちでのろけを口にする事態が起きようとは夢にも思わなかった。けれど、こういうのも悪くないな。あとはきみが俺を愛してくれればすべてがうまくいくんだけど」
じーっとシュゼットを見つめてから、フィンはふと、甘くほほ笑んだ。
「でも、前にも言ったように、俺は、きみが振り向いてくれるのをいつまでも待つよ」
「ま、待たなくてもいいから――、っん」
唐突にあごをつかまれ、くちびるをふさがれた。
シュゼットの頭が真っ白になる。
「……シンプルなのがお好みだと聞いたから」
甘く食むように口づけてから、ごく間近でフィンがささやく。
「事前予告なしにキスをしてみたんだけど、悦(よ)かった?」
「そういう意味で、言ったんじゃ……、だめ、待っ――、ぅんんっ……!」
きつく抱きよせられながら、ふたたびくちびるを奪われる。
やりかたは強引そのものなのに、愛でるような口づけは甘く優しくて、シュゼットは混乱してしまう。
やわらかなくちびるの表面を、熱く濡れた舌で丹念になめられる。ぞくぞくした官能が生まれていき、思わずひらいた口のなかにフィンの舌が入ってきた。
「ァ……っ、ん」
口腔内の粘膜や、震える舌を、じっくりとなぶられる。腰から力が抜けてしまって、シュゼットは、まわされたフィンの腕に支えられていた。
「ん……っ」
くちびるの端からこぼれた唾液を、フィンがなめとる。ざらついた熱い感触に、愉悦が呼び起こされてシュゼットは肩を震わせた。
「気持ちよさそうだ」
「ちが……っ」
「なら、こんなことをきみにし続けている俺は、近いうちにきらわれてしまうな」
キスのあいまに、フィンがせつなげに言う。
「けれどやめられない。どうすればいいか俺に教えて、シュゼット」
熱くささやかれながら、深く口づけられる。いいように口内をかきまぜてくるフィンに、あらがえない。
とろけるような快楽に体が崩れて、フィンのコートに指をかけたとき、背後の扉がノックされた。
「フィンさん、シュゼット。お茶の準備ができましたよ」
母だ。口づけから解放されないままそれを聞き、シュゼットは混乱に陥る。
フィンは、自分のなかに招き入れて愛でていたシュゼットの舌を甘く噛んで、それから口づけをゆっくりとほどいた。
胸のなかにくたりと倒れ込んでくるシュゼットを、両腕で抱きとめながら、
「わかりました。すぐに行きます」
と、完全にきり替わったさわやかな声で答える。
口のなかが甘いしびれに侵されているシュゼットとは、まったくちがう。
「じゃあ行こうか、シュゼット。……立てる?」
ふと、心配そうな瞳でフィンは見下ろしてきた。
(だれのせいだと……!)
文句をぶつけたかったが、そんなことより体を立て直すほうが先である。シュゼットは弱々しく「三分待って」と返した。
両親とフィンをまじえたお茶会は、ほがらかなまま終わりを告げた。
とくに両親は、フィンの、いやみのない賢さがかいま見えるおだやかな話術と、ときおり挟み込まれる情熱にあふれた愛娘への賛辞を前にして、フィンをすっかり気に入ってしまったようだ。
「きみのような男性が、娘の夫になってくれたら非常に喜ばしいことだよ」
「身にあまる光栄です。もしそうなることができたら、僕は、この国一の果報者です」
「シュゼットは本当に奥手で、少々がさつなところもあるから、フィンさんはがっかりするかもしれなくてよ?」
「そのようなことはありません。シュゼットは、なにをしていても最高にかわいらしいレディです」
「まあ、ふふ。お口がうまくていらっしゃること」
「まごうことなき本心です」
「…………」
針のむしろの上にいるような時間がやっと終わって、シュゼットは、見送りに出たがる両親を屋敷に押し込め、前庭の馬車留めでフィンと向きあった。
「あのね、フィン」
「ん?」
フィンにはいろいろと言いたいことがあるけれど、とりあえずこれだけは伝えておこうと思う。
「うちの両親が、ごめんね。ものすごくはしゃいでたし、フィンのことを上から目線で検分してたし。失礼なことばかりして、ごめんなさい」
娘かわいさのあまり両親は、フィンに根掘り葉掘りいろんなことを聞いていた。趣味や特技ならまだしも、寄宿学校時代の成績やら、有力貴族との親交状況、はたまた過去の女性関係まで聞きだしていたのだ。
さすがに女性関係については、フィンは、うまいこと話をそらしていたが、それ以外は求められるままに答えてくれていた。
「ああ、そんなこと気にしないで。俺も楽しい時間をすごさせてもらったしね」
「楽しい時間……?!」
あの針のむしろを楽しいと感じられるフィンはやはり変わっている。男性にとって、女性の両親からいろいろとつつきまわされるのはうっとうしいはずだ。
フィンはうれしそうに笑みを浮かべる。
「楽しかったよ。とてもあたたかいご家庭だなと思った」
このとき、フィンの表情にせつないような憧憬がよぎった気がした。
「ご両親はシュゼットを心の底から想っているということが伝わってきて、身が引きしまったしね。あとは、きみが俺のことを、ご両親が望むように恋人として見てくれたらうれしいんだけど」
恋人は、つくらない。
喉まで出かかった言葉が、声にならずに消えてしまう。
フィンは、優しくほほ笑んで、少しだけ身をかがめた。シュゼットの頬にキスをする。
「また会いにくるよ」
早まる鼓動を、とめられない。
みるみるうちに熱を帯びる両頬をてのひらで覆って、シュゼットは、小さくなっていく馬車をずっと見送っていた。