15 その話は聞きたくありません

(わたし、こんなに流されやすかったっけ?)

 またしてもドレス姿のままベッドにつっぷして、シュゼットは懊悩した。

(ちがうちがう。フィンの押しが強すぎるんだよ……!)

 シュゼットは慎重を期している。恋に落ちないよう、失恋しないですむよう、がんばっている。

 それなのに、あのフィン・ブルーイットとかいうイケメンは、紳士の皮をかぶりながら、獣のような強引さでもって、シュゼットを全力で陥落させようとしてくるのだ。
 敵うわけがないと白旗を揚げそうになるも、シュゼットは、崖っぷちで踏みこらえた。

 これ以上の侵攻を許すわけにはいかない。フィンを信用して恋に落ちたが最後、あとは失恋まで一直線の道のりだ。

(フィンを振ったあの女のひと。彼女がフィンのところに戻ってくるかもしれないし。そうなったら絶対に振られる)

 もしくは、シュゼットがフィンになびいた瞬間「ゲームは終わった」とばかりに興味を失われるかもしれない。

(フィンは、優しいひとだからそんなことしないって、わかってはいるけれど)

 しかし、恋愛感情がからむとひとはどうなるかわからない。
 フィンは、相当に情熱的な男性のようだから、どう動いてくるのかよけいにわからない。

「そもそもわたし、フィンのことぜんぜん知らないからなぁ……」

 名門侯爵家の嫡男で、不動の貴公子と呼ばれるほど社交界では一目置かれた存在で、立ち居振る舞いはスマートそのもの、それでいて性格にゆがんだところがなく優しい。

 絵に描いたような好青年である。でも、裏を返せば、絵に描かれた表の部分しかわからないということだ。

「フィンのこと、もっと知りたいな」

 無意識にこぼれたつぶやきに、我に返ったシュゼットは、また頭を抱えるのであった。

 しかしながら、フィンのことを知ることのできる機会は、思いもよらぬかたちで訪れた。
 お茶会から三日後、近隣の伯爵家でひらかれた午餐(ごさん)会の場である。

「フィンが女の子に入れ込んでるところ、初めて見たよ! ねえきみ、シュゼット。いったいどうやってこいつを落としたの?」

 この日はおだやかな晴天だった。伯爵夫人ごじまんの、花咲きみだれる庭園を眺めながらのパーティー会場である。

 フィンに誘われて(押しきられてとも言う)出席したこの場所で、シュゼットは、フィンの幼なじみであるという青年から声をかけられた。

 ひとなつっこい笑顔の彼は、シェイン・ベイカーというらしい。子爵家の三男で、歳は十八とのことだった。フィンより年下で、シュゼットよりは年上である。
 フィンは、渋面をつくりつつ口をひらく。

「こら、シェイン。初対面でそういうつっこんだ質問をぶつけてくるなよ。シュゼットが困るだろ」
「世間話じゃん。困らないよねぇ?」

 シェインはにこにこしながらそう問いかけてくる。シュゼットは、「困る」と思いながらもついうなずいてしまった。

「ほら、困ってないでしょ?」

「おまえのその笑顔はくせものなんだよ」

 ため息をつくフィンを、シュゼットはふしぎな気持ちで見上げた。

(男友だちとしゃべるフィンを見るの、はじめてかも)

 シュゼットに対する態度と微妙にちがう。

 明るい青空の下で、フィンの瞳は、いつもより澄みきっているように見えた。さらさらした金色の髪も、陽光に煌めいてとてもきれいだ。
 黒のモーニングコートをあわせているためか、フィン自身の持つ色彩がよりあざやかに見える。立食形式ということもあって、すらりとした立ち姿も目立っていた。

 あんまりすてきなので、たった三秒見つめているだけで、あっというまに恋に落ちてしまいそうだ。けれど、ふだん見ることのできないフィンの様子につい意識が向いてしまう。

「シェインを見ていると、三男坊のむじゃきな笑顔は最強の武器だってつくづく思うよ」

「フィンとちがって、俺の笑顔は天然ものなの。フィンはいつも作り置きのほほ笑みしか見せないじゃん」

「作り置きってなんだよ」

 思わず吹きだしたフィンに、シェインは笑う。

「だって、こういうときはこの笑顔、このひとに対するのはこっちの表情って、大昔に作ったのをいまでも使いまわしてるんだろ?」

「俺は面倒くさがりなんだ。そんな手間のかかることしないよ。いつも即興だ」

「めんどくさがりの男は恋人候補からはずれるよね、シュゼット? 恋人にするなら気遣いの細やかな男じゃないと!」

 軽口の言いあいを新鮮な気持ちで聞いていたら、突然、矛先を向けられてしまった。
 シュゼットは、まばたきをしたのちに聞き返す。

「えっと、恋人候補って?」

「そう! 恋人にするなら、フィンみたいなそっけない男じゃなくて、マメな男のほうが女の子にとっていい選択だと思うんだよね。それなのにフィンは、顔がいいからやたらモテて、女の子をよりどりみどりでさ、罪作りなやつなんだよ」

「まったくこいつは……。シュゼット、まともに聞かなくていいよ」

 フィンは、好き勝手言われているのに怒るでもなく、あきれたように肩をすくめている。
 シュゼットには、シェインがだんだん、兄に甘える世わたり上手な弟のように見えてきた。
 シュゼットは、フィンを見上げて言った。

「フィンは面倒見がいいんだね」

「理解してもらえてうれしいよ。最近で、いちばんたいへんだった仕事はこいつの尻拭いだからね」

「あっ、なんだよふたりして」

 シュゼットはくすくすと笑った。

「だってシェイン、まちがっているもの。フィンはそっけなくないし、めんどくさがりでもないよ。気遣い屋さんだし、マメだし、優しいよ」

「なるほどなるほど! そういうところをもっとくわしく!」

 シェインが、わくわくした様子で身を乗りだしてくる。思わずシュゼットがあとずさると、フィンが、シェインの首根っこをつかんで遠ざけた。

「シュゼットを質問攻めにするなよ」

「ごめんごめん、調子に乗った。だって、フィンがマメで優しいっていうものすごいセリフを聞いたからさ。このあたりをジーナにも聞かせてやりたいよ」

 ジーナ。
 その名前に、シュゼットは体をこわばらせた。
 忘れようもない。あの夜、フィンを振った少女の名だ。

「シェイン」

 フィンの声音が変わった。シェインを低くしかる。

「しゃべりすぎだ。もうやめろ」

「ご、ごめん……」

 重たい雰囲気を感じ取ったのか、シェインが元気をなくしてしまう。
 シュゼットは、声が震えそうになるのを抑えながら、シェインに向けて口をひらいた。

「あの……ジーナさんというのは、フィンの友だち?」

「うん。俺たち三人は、幼なじみなんだ。都の屋敷が近くて、シーズンには家族ぐるみでよく遊んでたんだ」

 幼なじみ。
 シュゼットの胸がずきりと痛んだ。
 つまり、ただの友人ではなく、家族のように深いつながりがあるということだろう。

(フィンは、幼なじみのジーナさんに恋をして、告白して、振られてしまって……)

 傷心でいたところに、偶然居あわせたシュゼットを抱いた。
 事実だけを並べれば、つまりはこういうことだ。フィンがどれだけ情熱的に愛をささやいてくれたといっても、事実はこれなのだ。

 ここに、特別な意味をつけ加えようとして――そして、ことごとく振られてきたのが、前世のシュゼットだった。

「シュゼット」

 うつむいていたシュゼットの肩を、優しくつかんだ手があった。フィンだ。

「大丈夫か、シュゼット。顔色が悪い」

「へいき……大丈夫」

 シュゼットは、フィンから逃げるようにうしろに下がる。
 肩から手を離して、フィンはしばらく沈黙したのち、口をひらいた。

「シュゼット。きみに話したいことがある」

「いいの。ジュースがなくなったから、もらってくるね」

「聞いてくれ。俺はきみに、隠していたことがあって――」

「聞きたくない」

 断ちきるように言って、シュゼットはきびすを返した。しかし、もつれた足でスカートを踏みそうになってしまう。
 それを、フィンがすばやく抱き支えてくれた。

「いきなり走ったら危ないよ、シュゼット」

 頭の上から聞こえてくる、しかるような低い声に胸がしめつけられる。
 抱きとめる腕を振りほどきたいのに、体が動いてくれない。

(だって、フィンのにおいがする)

 まだこのひとに、落ちきっていないはずなのに。

「シュゼット。ジーナのことだけど」

 その名前が彼の口から聞こえたとき、シュゼットは体をひどくこわばらせた。それに気づいたのか、フィンの声がとまる。
 そこへ、弱りきったシェインの声が投げ込まれた。

「ごめん、シュゼット、フィン。俺、なにかまずいこと言った……?」

 ややあってから、フィンは長くため息をついた。あたたかい手がシュゼットの背中をそっとなでる。

「まずいどころの話じゃないよ、シェイン」

 シュゼットは、フィンに抱きしめられたままでいるから彼の顔を見ることができない。それでも、冗談めかした口調ほど、フィンが笑っていないことはわかった。

「けれど、これだけで終わる話でもなさそうだ。シュゼット、きみは――」

 独白のように言って、フィンは、シュゼットの頬にふれてくる。言いかけた言葉をそこできって、気遣うようなほほ笑みを浮かべた。

「今日はもうおいとましようか。送るよ」