ジーナが婚約する。それも、フィンではないひとと。
では、フィンはジーナにやっぱり振られていたということなのだろうか。
(じゃあ、どうして公園で抱きあってたの?)
どう考えても恋人同士だという会話を交わしながら、抱きあっていたではないか。
(わたしが勘ちがいしてるって、フィンは言ってた。本当に、ふたりはなんでもなかったの?)
話を聞いてほしいと、フィンは言っていた。
それを聞かなかったのはシュゼットだ。
(でも、あんなシーンを見せられてしまって……。わたしはいつも、そうやって振られ続けてきたんだし)
わからない。なにがどうなっているのか、シュゼットにはぜんぜんわからなかった。
なにしろ、シェインがどうして自分にエスコートを申し出てきたのかがまず理解できないのだ。
シェインは、そういう目でシュゼットを見ていなかった。二度ほど会って話したので、これは絶対に言いきれる。
ひとなつっこく話しかけてくれたけれど、あれは友だちのノリ以外にありえない。
(いったいどうなってるの)
けれど、ジーナの婚約パーティーならフィンも出席するかもしれない。
そこに思い至ったとき、シュゼットの鼓動がとくんと跳ねた。
――会えるかもしれない。
いろんなことがありすぎて、頭のなかがごちゃごちゃになっていた。
傷つきすぎて、もうこれ以上はむりだと思っていた。
それなのに、フィンに会えるかもしれない、姿をひとめ見られるかもしれないという予感に、シュゼットはついにあらがえなかった。
「わたしは、ほんっとーにばかだなぁ……」
馬車に揺られながらため息をつくと、正面に腰かけていたシェインが首をかしげた。
「どうしたのさ、いきなり」
「ひとりごとだから気にしないで」
この馬車は、シェインの家が所有するものだ。
彼から申し出を受けてから一週間後の今夜、ジーナの婚約パーティーがひらかれるのである。
「でもシュゼット、ぜんぜん元気ないよ。ちょっとやせたみたいだし、大丈夫?」
「大丈夫、じゃ、ないかも……」
シュゼットは、壁に頭を預けてふたたびため息をつく。
少しでもいいから、ひとめだけでもいいからフィンに会いたい。その一心でパーティーに出席することを決めてしまった。
前世から、シュゼットはこうだった。ひとを一度好きになると、恋心にブレーキをかけることができなくなる。
(だから、今世では絶対に恋愛をしないように、男のひとを避けてたのにな)
いまの状況が、いったいどういうことになっているのか、シュゼットにはまだわからない。
公園で、フィンとジーナが抱きあいながら愛をささやきあっていて。
そのあと十七日間、フィンから連絡はひとつもなくて。
そして今日、ジーナは、フィンとはちがう男性と婚約をする。
シュゼットが、事実としてわかっているのはこれらのことだけだ。
(ふつうに考えたら、フィンが二回もジーナさんに振られたっていうことなんだろうけど……)
そこに自分がどうからんでいたのか、シュゼットには想像することができない。
きっと、傷つきすぎてしまったからだろう。
(もし、本当にフィンがわたしのことを好きでいてくれていたとしたら)
そんな夢みたいなことを考えてしまうと、ちがっていたらと思い直したときのゆり戻しがきついのだ。
正面で、シェインが心配そうな顔をしている。
「あのさ。シュゼットを迎えにいったとき、きみのお父さんがものすごい目で俺のことにらんでたけど、もしかして俺、きらわれてる?」
「ごめんね。そうじゃなくて、ちょっと最近、男のひとのことでいろいろあったから。だれが来ても、父はああやって警戒したと思う。気にしないで」
男のひとのことでいろいろと、と言ってごまかしたが、先日の公園にはシェインもいた。フィンとシュゼットの仲がだめになったということは、彼も知っているだろう。
シェインは「そっか」とため息まじりにつぶやいたあと、また、シュゼットを気遣うように言う。
「シュゼット、眉間にしわがよってるよ。むずかしいことを考えすぎなんじゃないの?」
「うん、そうかもしれない。考えすぎて、頭のなかが真っ白になっちゃってる」
「俺もさ、このことに関しては、かなり罪悪感を覚えてるんだけど……」
小さな声でつぶやいて、それからシェインは身を乗りだした。
「ねえ、シュゼット。フィンとはいま、うまくいってないんだよね?」
「……うまくいってないもなにも」
シュゼットは力なく笑う。
「わたし、失恋したんだよ。シェインも見てたでしょう? フィンはやっぱり、ジーナさんを忘れられないんだよ」
「……あー。本当にごめん。でも、いまは口どめされてるから俺からは説明できないんだよ」
「え?」
シュゼットが首をかしげると、シェインはじっとこちらを見つめてきた。
「ねえシュゼット。きみは本当に、フィンに失恋したの? きみのことはもう好きじゃないって、フィンから言われたの?」
「……言われてない、けど。でも、男のひとってそういうものでしょ?」
ガタガタと馬車が軽快に揺れている。小さな窓からは、満天の星が見えていた。
シュゼットは、藍色のドレスをきゅっと握り込んだ。
「別れたいってはっきりと言わないで、少しずつ会話を減らして、連絡を減らして、自分が悪者にならないように、慎重に自然消滅を狙うものでしょう?」
「シュゼットは男についてよく知ってるみたいだね。もしかして、フィンがいちばん最初の恋人じゃなかったりする?」
「……そんなことは、ないけれど」
「隠さなくていいよ。でも、気をつけてね。あいつ、涼しそうな顔してるけど中身は激情家だし、絶対にやきもちやきだと思うからさ」
ふいに、フィンに力強く抱きしめられた感覚を思いだした。
シュゼットは眉をよせてうつむく。痛む胸をこらえながら、声を絞りだした。
「だから、わたしは失恋してるんだってば」
「でもフィンは、そういうずるい男じゃないよ」
シュゼットは目を上げた。まっすぐに見つめてきながらシェインは言う。
「不動の貴公子って悪く言われたりしてるけど、フィンは誠実な男だよ」
――俺は、いっときの感情でこんなことはしない。
初めて体を重ねたときに、フィンが言った言葉をシュゼットは思いだした。
情熱的に抱かれて、何度も愛をささやかれて、――なによりフィンの心のあたたかさにふれて、シュゼットはこのひとなら大丈夫かもしれないと感じた。
だから、前世のトラウマをねじ伏せて、フィンと幸せになろうと思ったのだ。
沈黙が落ちて、それからシェインが、気遣わしげにハンカチを差しだしてきた。
「本当にごめんね、シュゼット」
「……なんでシェインが謝るの」
ハンカチを受け取って、シュゼットは、少しだけこぼれてしまった涙をぬぐう。
「いまここで、理由をぜんぶ言ってシュゼットに謝り倒したい気持ちでいっぱいなんだけどさ」
ゆっくりと馬車が停まった。パーティー会場に着いたようだ。
「でも俺、これ以上状況を引っかきまわしたくないんだ。だって、フィンは俺のたいせつな友だちだし、きみはフィンのいちばんたいせつな女の子だから」
婚約パーティーの会場だというのに、不思議と屋敷のまわりは静まり返っていた。
屋敷の窓からはあかりが焚かれているのが見えるので、無人ではないようだ。
けれど、あまりにもひとけがない。門衛がいるだけで、ほかの使用人や招待客の姿はひとつもなかった。
「本当にここであってるの?」
馬車から降りたあと。ぽつぽつとあかりのともる庭園の道を縫ってく。
シェインはうなずいた。
「うん、あってるよ。大丈夫」
「ルガート卿のお屋敷なのよね? 門衛すらいないなんて……」
シェインは、ひとけのまったくないエントランスに足を踏み入れる。玄関の両開きの扉を迷いなく引き開けた。
「ち、ちょっとシェイン、案内もないのに勝手に――」
「お姫さまを連れてきたよ、フィン!」
シェインの言葉に、シュゼットは目を見開いた。
彼に背を軽く押されて、そのせいで玄関ホールによろけ出てしまった体を、力強い腕に抱き上げられる。
「どうもありがとう、シェイン」
耳を打った鮮明な声に、シュゼットは息を飲んだ。
見上げると、端整な顔立ちがそこにあった。青い瞳はシュゼットのほうを向いてはいなかったけれど、ずっと会いたくて、けれど会うことが怖かったひとに、シュゼットは横抱きにされていた。
「フィ――、っ」
とっさに上げかけた声は、口づけによってとぎれてしまう。目を見開くシュゼットを、くちびるを離しながらフィンは見つめてきた。
「話は別の部屋でしよう。おいで、シュゼット」