思えばあたしは、出自からして異常だった。
あたしには両親がいない。ある日突然、道の真ん中に現れた。あたしの記憶はそこから始まる。
寒い夜だった。ちらちらと、曇天から雪が降っていた。あたしはぼんやりと、それを見上げていた。足もとの黒いアスファルトがやけに固くて、拒絶されているような感じがした。
両親はもちろん親戚縁者不在で、直前までの記憶もない。
覚えているのは『楓子』という名前と漢字だけだった。
あたしは児童福祉施設に送られた。
そこで18歳までを過ごし、バイトで稼いだ50万円と、神奈川県からの祝い金20万円を手に、県立大学の二部に入学した。家賃4万円のぼろアパートに住み、昼間のバイト代と奨学金で淡々と暮らしていた。
だからなのだろうか。
いつ、どこで、誰から産まれたのかすらわからない、異常な人間だから、こんな目に遭うのだろうか。
でもあたし自身は悪いことなんてなにもしていない。
ただ、自分の運命を受け入れて、波風をたてることなく、日々を暮らしていた。
神様から褒められこそすれ、このような仕打ちを受けるいわれはないはずだ。
でも、いくら嘆いたって現状が変わるわけじゃない。
それは今までの経験からよくわかっている。
大切なのは、あきらめること。そして、感情をなるべく乱さず、できる限り冷静でいること。
それが嵐の中をうずくまって耐える、ただひとつの方法なのだ。
*
「次の町は少し大きい」
馬の上で背中ごしに、シンの声が響く。
彼はスキンシップが多い人間だ。もうだいぶ慣れたけど、こうして背中から抱きしめられていると、向きあっているよりも強く、彼の存在を感じる。
「人も多いが、楓子。おまえは自分の出自を正直に人に喋るな。なにか聞かれたら、複雑な事情があって外国から旅しにきたというんだ」
太陽が山に沈みかけた時分、その町に辿りついた。エルトナ村と同じく、木柵に囲まれている。木造の家が建てられ、ところどころにゲルが併設されている。エルトナ村とちがうところは、大きな家と人通りが多いところだ。上衣(ディール)を着て帽子をかぶった老若男女が行きかっている。反対に、家畜の数は少ない。
楕円形の門には『カルリト町』とある。馬を降り、あたしたちは町へ入った。
「この町は、近くの地面から鉱物が取れる。だから定住民や、裕福な者が多い」
馬を引きながら、シンが説明した。確かに、エルトナ村より人々の表情が明るく、活気がある。
「今夜はこの町で宿をとる。明日も早いから、ゆっくり休むんだ」
「……別々の部屋はとれないの?」
一瞬シンは言葉につまったようだった。
「いや。同じ部屋にする。おまえは嫌だろうが、従ってもらう」
「どうして? 普通男女は別の部屋でしょ」
「……危険だからだ」
あたしは道の上に立ち止まって、シンを見上げた。
「あの狼、ちょっとおかしくなかった?」
「おかしいとは?」
「だって、目の前にシンがいたのに、狼はあたしの方に向かってきた。それにあの目――」
ずっと、気になっていたことだ。そして、シンの『危険』という言葉も、ひっかかる。
「狼の目が、青かった。村やゲルにいた家畜はみんな、黒い目をしていたのに、どうして狼の目だけ青いの? それにあの青、シンの目の色に似てる」
透きとおる氷のような青。見ているとすいこまれそうになる色あいだ。
シンは考えこむように眉をよせたのち、口をひらいた。
「おまえのいうとおり、先ほどの狼とオレには関係がある。そしてそれは楓子。おまえにも深く関わるものだ。狼は楓子を狙っている。しかしそれは狼だけではなく、この目を持つ者すべてが、おまえを狙う」
あたしは沈黙した。シンの言葉を咀嚼(そしゃく)しようと思っても、うまくできない。
「だが青い目の狼や男は、おまえを殺さない。捕えるだけだ。そのあたりは安心していい。だが」
シンはそこで、言葉を切った。唐突に、話を変える。