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 こういう宿は、けっこうお金がかかると思う。懐具合は大丈夫なんだろうか。
 でも今まで、シンがお金に苦労しているところは見たことがない。むしろ羽振りがよくて、頼めば何でも買ってくれそうな勢いがある。でもどう見ても職なしのプータローだ。資金源が謎だ。

 オウルを宿の厩番の少年に預け、中に入る。
 長い廊下は、ランプがともされ華やかな雰囲気だった。床は磨かれ、柱は朱に塗られていた。今まで泊まった安宿とはひと味違う。女性の細い腰を抱いた男性が、部屋の中へ吸いこまれていく。
 泊まる部屋は一番奥のところにあった。おばあさんがしわがれた声で「お客さまだよ」と声をかけ、扉を開く。果たして部屋の中央に一人、艶やかな女性が佇んでいた。

「今宵はよくいらしてくださいました。わたくしはヘレムと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。さあ、こちらへ」

 赤く潤んだ唇を笑みの形に引き上げて、女性は手を差しのべた。発光するように白く、たおやかな腕だ。宝石のように輝く瞳が、あたしの姿を映して丸くなる。

「あら。女性のお客さまもいらっしゃるのですね」
「ひひ、そういう趣向でもいいよ。このヘレムは売れっ子でね、どんなことでもうまくやるよ。もちろん料金上乗せさせてもらうがね」
「ま、待て。そうではない。オレたちはただ、一晩ゆっくり眠れるところを借りたいだけだ」

 女性の目が、シンの腕に移る。シンはあたしを支えるように、腰を抱いてくれていた。
 彼女は静かに笑みをのせた。

「そういうことなのですね。わかりました。どうぞご自由にお使いください」
「助かる」

 扉を閉める前に、おばあさんが「それでも料金は正規分いただくよ」といい残した。抜け目がない。
 室内はストーブがたかれ、暖かい。まず目に飛びこんできたのはとても広いベッドだった。キングサイズくらいあるだろう。部屋の真ん中には仕切りがあって、左側にベッド、右側がテーブルと椅子になっていた。茶器(ちゃき)が置かれている。

「間もなく夕餉をお運びします。それまで粗茶を」

 ヘレムさんが動くたびに、細い手首に巻かれた飾りがしゃらんと音を響かせた。白くやわらかな肢体を、目の覚めるような赤い上衣(ディール)で包んでいる。上衣には遊びがなく体の線をなまめかしく強調し、肩のボタンは外されて華奢な鎖骨がのぞいていた。ズボンははいておらず、歩くたびにすそがはだけ、長く艶めいた足が見え隠れする。
 豊かな黒髪は美しく結い上げられ、耳元を白い花が飾っていた。

「緊張しておいでですか?」

 やわらかな笑みを浮かべながら、ヘレムさんがいった。
 椅子に座り、お茶を飲みながら――ハーブティーのようにふくよかな香りがする――シンは固まっている。彼女の指摘どおり、なぜかシンは緊張している。
 シンがこたえないから、あたしが口を挟んだ。

「あたしはこういうところは、当然ですけど初めてで。でも今ちょっと酔っぱらっちゃってて頭がフワフワするので、実はそんなに緊張してないです」
「まあ。ふふ、確かにお耳が少し赤いですわね」

 ヘレムさんが、細い指先であたしの耳たぶに触れた。その仕草が色っぽくて、ドギマギしてしまう。

「お疲れに見えましたので、体を鎮める効果のあるお茶をお出ししました。普段は熱くするお茶を出しますのよ」
「あ、そ、そうですか。そうですよね」

 この綺麗な女性が、あの広いベッドの上で行うことを想像してしまって、頬が熱くなった。せっかく鎮めるお茶を出してもらったのに、台無しだ。

「でも殿方様の方は緊張していらっしゃいますね。このような宿は初めてですか?」
「あ、ああ……。世話になったことはない」
「残念ですわ。とてもたくましいお体をしていらっしゃいますのに」

 ヘレムさんは艶っぽく微笑んで、シンの腕に白い手を這わせた。あたしはドキリとする。そこから目が離せない。
 シンは触れられていることにすら気づいていないように、いっきにお茶を飲みほした。