結局、この宿に3泊することになった。
4日目の朝はとても気持ちが良かった。快晴の空を窓ごしに見上げて、あたしは伸びをした。
「そろそろ出るぞ」
見送りに来てくれたヘレムさんにお礼を言った。ヘレムさんは優しくたおやかに微笑んで、良き旅を祈ってくれた。おばあさんは夜伽なしの3泊4日という上客に、「ぜひまた来ておくれ」とホクホク顔だった。
店を回り準備を整え、オウルに乗る。キラキラ光る雪原を駆けながら、あたしは前から気になっていたことを聞いてみた。
「シンって、お金けっこう持ってるよね」
「そうか? まあ一人の時はそんなに使い道がなかったからな。仕事もしていたし」
「仕事してたの? ずっと無職だと思ってた」
シンは苦笑した。
「それだと食べていけないだろう。転々とはしていたがな。給金のいいところを回っていた」
「どんなことをしてたの?」
「商人の護衛や、要所の見張りだ。たまに腕試しに出て賞金を獲ったりもした」
「あー、なんかわかる」
素人目のあたしから見ても、シンは腕がたつ。この世界は治安が悪そうだし、きっと職には困らないだろう。
しばらく駆けると、地面の雪が凹凸になってきた。オウルの蹄がカツカツ、とたまに鳴る。雪原を抜け、岩場に入ったのだ。
「岩場を抜けて、あの山のふもとまでいく。そこに那岐が居を構えている」
シンがまっすぐ西を指さした。
遠くになだらかな山肌がかすんでいる。すそ野がどっしりと太い。辿りつく前に、いったいどれくらいの日数がかかるんだろう。
ひとまず昼食をとることにした。オウルからおりて皮の敷物の上に腰を下ろす。今日のメニューはヘルムさんからいただいたものだ。包みの中にはゴツゴツしたひと口ドーナツみたいなパンと、羊肉の塩ゆで、そしてチーズが入っていた。素朴な味で、どれもおいしい。水で喉を潤していると、シンが鋭い目を遠方に向けた。
「シン?」
「荷物をまとめろ」
シンはかたわらの弓と矢筒をつかんで立ちあがる。矢筒を背に負って、荷物をまとめたあたしを振り向いた。
「それをオウルに乗せて、おまえはオウルの近くから動くな」
「また狼が来たの?」
あたしは動揺をおさえるためにオウルのたてがみに触れた。雄馬は静かに、シンを見つめている。
「狼、といえなくもない」
シンは剣呑な目つきで先を見る。
やがてそこに、乗馬した人影が現れた。遅れて3匹の狼が姿を現す。彼らはゆっくりと近づいて、顔が見える距離で止まった。あたしは息をつめて、オウルにひっついた。
「よう、シン。元気そうじゃねぇか」
短く刈り込んだ黒い髪に、精悍な顔立ち。30代前半くらいだろうか。がっしりとした肩と、深緑の上衣(ディール)の上からでもわかる太い腕が、頑健さを物語っている。飄々とした笑みを浮かべたその男の目は、青かった。
見覚えはない。だが最初あたしはユーマの顔も覚えていなかった。もしかしたらこの人も、知り合いなのかもしれない。
男の目線があたしの方へ流れ、止まった。
「楓子は少し肉がついたか? いい女になったな」
なにげに失礼なことを言う。
シンは弓につがえた矢を下に向けたまま、口を開いた。
「ユーマから聞いたのか。オレたちのことを」
「ああ、まあな。あの傷、おまえがやったんだろ? あれは酷かった。あと少しで一生右腕が使い物にならなくなるところだったぜ。相変わらず凶暴だな」
「次に会った時は右腕だけではすまさない」
背中ごしに、ピリ、と殺気が伝わる。警戒したのか、狼たちが歯をむきだして低く唸った。