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「それに、オレたちが本気で楓子をとりもどそうと思ってんだとしたら、こんな回りくどいことしないで、飼ってる狼総動員していっきに襲っちまえばいいだけだろ。ユーマがやらかしやがったせいで変な誤解を与えたかもしれないが、オレたちも色々と考えてんだよ。平和的な方法ってやつをさ」
「――わかった。話を受けよう」

 シンが短くいった。

「おっ、いい返事だ」
「だが条件がある。ともに行動するのはおまえだけだ。ユーマやリオウはいらん」
「当然だ。今度こそユーマの体を壊されちゃたまらん。あれは貴重な幻術使いだからな」
「それともうひとつ。絶対に楓子とふたりきりになるな」

 スオウは口をゆがめるように笑んだ。

「過保護だな、『鋼の王』サマは」
「おまえの気性は知っている。少なくとも、ユーマのように己を見失うようなことはない。だがおまえはやはり『月狼』だ」

 シンが鋭い目でスオウを見ている。あたしは不安になって、自分のてのひらをきゅっと握った。

「楓子の気が乱れる。泣かせたくない」
「へえ」

 スオウの目があたしを見た。青い双眸が、心を覗くように細められる。あたしは思わず目をそらした。

「ま、仕方ない。因果ってやつだ」

 スオウが立ちあがった。緊迫した空気がほどけた。彼は雰囲気を塗り替えるのがうまい。地面に置いた刀と弓矢を身につけ始めている。
 シンも荷物をまとめて、あたしをオウルへ促した。シンはずっと帯刀していたようだ。弓矢も背から外していない。あたしはスオウの度胸に舌を巻いた。

「狼の谷はどこにあるの?」
「岩場を北へ行く。谷までは集落がない。運よくゲルを見つけられればいいが、そうでなければ2回ほど野営が必要だろう」

 オウルの背に乗り、あたしは3匹の狼を見おろした。スオウの馬の後ろをピタリとついている。よく懐いている。

「シンは狼を飼っていないの?」
「オレはオウルだけで充分だ。遊牧民の中には飼っている者もいるだろうが、あんなふうに指示に従う狼はめったにいない。月狼の民は特別なんだ」

 なぜ特別なのか、聞くのが怖かった。理由はわからない。
 オウルとスオウの馬は、風を切って走り始めた。

 シンのいうとおり、夕日になるまで集落はなく、ゲルが見つかることもなかった。
 赤い空が遠くかすむころ、2頭の馬はたずなを引かれ、足をとめた。

「このあたりで野営するか。見通しがいい場所だ」

 シンはうなずいて、オウルからおりる。彼の手に捕まりあたしも地面に足をつけた。
 狼たちがねだるように、鼻先をスオウにすりつけている。スオウは革袋から干し肉をとりだし、狼たちに食べさせてやった。
 オウルたちに積んだ枯れ枝でたき火をする。赤く燃える熱が、冷えた頬を炙った。 

 包みからチーズを取りだしながら、スオウは口を開く。

「アスカのことなんだが」

 その名が出たとたん、シンを包む空気が怒気を孕んだ。よほど嫌いな相手らしい。いったい何があったんだろう。
 スオウが苦笑する。

「そんなにピリピリするな。ちょっと話をしようとしただけじゃねえか」
「もうその名を出すな。もとはといえばあいつが」

 そこでシンは口をつぐむ。スオウはチーズを口に放りこんだ。

「しかし今からアスカを襲撃するんだろ。名前を出さないわけにはいかないぞ」
「奴の相手はおまえがしろ。オレと楓子はそのスキに那岐と側仕えの――ユルハだったか。彼らを解放する」
「オレひとりかよ。あー、リオウも連れてくるべきだったな」

 スオウは天をあおいで溜息をついた。あたしは思わず口を挟む。

「でも、シン。アスカという人は手下がたくさんいるし、変な術も使うんでしょ? 加勢したほうがいいような気がするんだけど」
「おっ楓子、いいこと言うな」

 シンがスオウをにらみつけ、あたしの方に視線をうつした。

「いいか楓子。気狂いばかりの月狼の中でも、アスカは最悪だ。あいつの目におまえを晒すわけにはいかない。これだけは絶対に駄目だ」
「でも、失敗したら那岐を助けられないじゃない」