37

「ぐ……っ」

 低く呻きながら、ゆっくりと、アスカは腕をめりこませてゆく。
 じゅううと肉が焦げる音がする。
 ユルハさんの、あたしに縋りつく手に力がこもる。

「ち……!」

 苦悶の表情で、アスカは舌打ちした。
 手下たちは気圧された様子で見守っている。ユーマはアスカの背後で、わずかに眉をゆがめていた。
 アスカの太い腕が侵入するたびに、異臭が鼻をついた。ユルハさんが咳こむ。その肩を支え、あたしは素早く、ユルハさんに囁いた。

「彼の目的はあたしだけ。ユルハさんは離れてて」
「巫女様」

 ユルハさんは青い目を見開いた。
 アスカは苦痛の表情を刻みながらも、あたしたちへ辿りつく。ユルハさんを後ろへおしやると同時に、彼の大きな手があたしの腕をつかんだ。その瞬間、全身を悪寒が食い荒らした。
 強い力で一息に引き上げられる。
 光の膜はあたしの体を傷つけず、阻むこともなく、アスカに手渡した。

「巫女様!」

 ユルハさんが悲痛な声をあげる。
 あたしは彼女を安心させるために、なんとか微笑みをつくってうなずきかけた。そのあごを太い指がつかみ、無理やり上向かせた。

「余裕だな、楓子?」

 強い眼力が間近に迫り、怖気づきそうになる。お腹に力を入れて、睨み上げた。

「ユルハさんたちに、手を出さないで。目的はあたしだけでしょ」
「豪胆になったもんだ」

 不敵な笑みを浮かべて、あたしの腰をぐっと引き寄せる。瞬間、血の気が引いた。
 彼の下腹部から、固くそそり立つものが、あたしの腹部を突いている。

「いい月夜だなぁ、楓子。思い出さないか、昔を」

 体中が震える。
 ――嫌だ。思い出したくない。

「やめろ、アスカ」

 ユーマがアスカの肩をつかみ、氷のような目で射抜いた。アスカは肩をすくめ、ニヤリと笑った。

「まあ落ち着けよ。しかしそうだな、弟の前で犯されるつーのも、哀れだな。シンだけなら喜んで始めちまうところだが」
「アスカ」

 ユーマの声が怒気を孕む。
 彼の手を無造作に振り払って、アスカは言った。

「場所を変えるか。奥の横穴に行く。おいおまえら、ちゃんとこいつらを見張ってろよ」

 ――たとえばあたしがここで、抵抗せず従順に、彼らに従ったとしたら、シンたちを助けてくれるのだろうか。
 震える思考の片隅で、あたしは必死に考える。
 それだけが、正気を保つたった一つの方法だった。

 このままずっと、アスカのもとで生きることを決意したら、シンたちを解放してくれるだろうか。
 もう抵抗しない、逃げ出さない、全部アスカのいう通りにする。
 そういって懇願すれば、彼らの命を助けてくれるだろうか。
 腰にからみついて抱き上げる太い腕の中で、願うように思考する。

 谷を歩きながら、ユーマが口を開く。片手にたいまつを持っている。

「スオウを見失った。追撃した方がいい」
「知らねぇよ、あんな腰抜け。放っとけ」
「リオウを連れてこられたら厄介だぞ」
「あんな餓鬼、『闘士』の中で一番弱いじゃねぇか」

 ユーマは一度も、あたしを見ない。
 やがてぽかりと開いた横穴に辿りついた。漆黒の闇が溜まり、地獄の口のようだった。
 その中に入り、ユーマがたいまつで篝籠(かがりかご)に火をつけた。橙(だいだい)色の光が闇を薄め、冷気を追い出してゆく。

「約束だ、アスカ」

 こちらを振りかえり、ユーマがいった。

「月狼族を、昔のような体制に戻す。『蒼月の巫女』を頂点に、彼女から『闘気』を受けとり、一族を治める。そして巫女には敬意を払い、蒼月の夜(よ)にのみ、静かにことを為(な)す」
「ああ、覚えてるさ」
「では早く巫女を離せ。そのようにきつく抱いては、苦しめる」
「覚えては、いるがな」

 アスカが不敵な笑みを刻む。ユーマは厳しく眉を寄せた。何かを訴えようと口を開いた時、彼は唐突に、膝を折った。

「ぐ……っ!」
「ははっ。本当に馬鹿ばかりだな」

 ユーマの口から黄色い液体が吐き出された。苦悶に歪む双眸を必死でこちらに向ける。

「きさま毒を……っ」
「時間差でな。もう少し遅めに調整したはずなんだが、こういうのは難しいモンだな。おまえは貴重な幻術使いだから殺したくないんだがな。量は加減したつもりだが、こういうのは難しい。運を天に任せておけ」

 つま先でユーマのあごを蹴り上げる。ユーマはうめき声をあげて、固い地面を転がった。

「おまえのような巫女狂いは使いやすい。もし生きのびていられたら、楓子を餌に、これからも働いてもらうぞ」
「……くそ」

 視線だけで殺せそうなほど、アスカを睨み上げたのち、ユーマは力を失った。片頬を地面に押しつけて、動かない。

「見事なまでの捨て駒だろ? 爽快だな、楓子」

 アスカは残酷に、笑った。