46 エピローグ I ――罪の裁可

エピローグ

 あれから一年と三ヶ月の月日が経ち、今朝の空は晴れ渡っている。

 季節は春、やわらかい色彩の花々が、木にも大地にも咲き誇っている。

 王都にある大聖堂の貴賓室に、エルサはいた。
 純白のウエディングドレスを着付けてくれたのは、侍女のマイアだ。

「ありがとう、マイア。
 ドレスも、髪も、とても素敵に仕立ててくれて」

「とてもお綺麗でございます、エルサ様」

 マイアは、ほほ笑みながら涙ぐんだ。

 と、貴賓室に二人の青年が入ってきた。
 ロキとカストルである。二人は、今日ばかりはローブではなく、モーニングコートを身につけていた。

「やあエルサ、とても綺麗だね。
 さすがは僕らの妹だ」

「今日はいたずらは控えてくださいね、ロキ兄様」

「新郎をヒキガエルに変えるなんてことはしないさ。
 お尻に猫の尻尾を生やすくらいに留めておくよ」

 相変わらずの兄に、エルサはくすくすと笑う。

 一方で、カストルは押し黙っており、目元を少しだけ赤くしていた。
 どうやら昨夜は眠れなかったようだ。

 エルサは居住まいを正して、長兄の前に立った。

「これまでわたしを愛情深く育てていただき、どうもありがとうございました。
 カストル兄様には、感謝してもしきれません。
 心より、お礼を申し上げます」

「やめてくれ、エルサ」

 うめくように言って、カストルはうつむいた。
 しばらくそうして動かないので、エルサは心配になって彼を覗き込む。
 すると、ふいに抱き寄せられた。

「幸せになるんだぞ」

「――はい」

 カストルの腕の中はひどく温かくて、しかも彼の声に涙が混じっていたものだから、エルサも涙を滲ませてしまった。

「はい、幸せになります。
 お兄様もどうか、お体にお気をつけて」

「こんな晴れの日に、僕のことなんか気にしなくていい。
 本当に綺麗だ、エルサ。
 あの小さかったおまえが、こんなにも綺麗な大人の女性になるなんて、信じられないよ」

「口を挟んで申し訳ないけれど、カストル兄さんは、少しは自分のことを気にしたほうがいいよ」

 ロキが茶化すように言う。

「だってもう二十六歳でしょう?
 この歳になって恋人の一人もできたことがないなんて、異常だよ。
 妹を溺愛しすぎた結果、寂しい独り身の老後なんてことにならないように気をつけてよね。
 ルイスにはあっさり先を越されちゃうしさ」

「こらこら、ロキ。
 そういうことを、尊敬する兄に対して言うものじゃないよ」

 次に入ってきたのはルイスとアイリスだった。
 ルイスはモーニングコート姿で、アイリスは空色のふわふわしたドレスを纏っている。

 アイリスは、頬を上気させて喜んだ。

「わあエルサ、とっても綺麗ね。
 まるで天女様みたい」

「ありがとう、アイリス。
 体調は大丈夫? 大変なときに来てもらってごめんね」

「わたしが来たかったの。
 もう安定期に入ったし、体調はばっちりだから大丈夫」

 アイリスのドレスはハイウエストになっていて、ふっくらと目立ち始めたお腹を優しくカバーしている。
 二人の子供は、夏の終わり頃に生まれる予定だ。

 妊娠が分かった時点から、ルイスの子煩悩っぷりは早くも発揮されていた。
 これはまあ、皆の予想していたところなので、新婚夫婦の幸せな期間を周囲は見守っているという状況である。

 アイリスとルイスが結婚式を挙げたのは去年のことだ。
 アイリスたっての希望で、式は森の湖畔で執り行われた。

 初夏の新緑が目に眩しく、湖面は光り輝いて、アイリスの友達だと言う動物たちが、幸福な結婚式を見学しに来ていた。

 彼らの結婚式が執り行われる前――アイリスがまだ硝子の棺で眠っていたとき、ルイスは自ら王城に赴き、自身の罪を明らかにして、王に裁決を求めたのだという。

『この度の一連の事件は、すべて私の行動から端を発したものにございます』

 玉座の前に跪き、王の重臣たちが居並ぶ中で、ルイスはそう告げた。

 腹部の重傷が癒えていない状態で、カストルが止めるのを押し切って、単身アレスに謁見を求めたのだ。

『私はセーレの魔術師という己の立場をわきまえず、身勝手な我欲によって森の魔女を監禁し、彼女の魔力の暴走を看過して、その行為を隠匿しました。
 森の魔女アイリス・シトリーは、当時、極度の心神耗弱状態にあり、自身の魔力の発現に無自覚でした。
 彼女は、劣悪な生育環境を余儀なくされた被虐待児であり、重度の対人恐怖症を患っており、少しのきっかけで精神状態が大きく傾く傾向にありました。
 そのため、本人も知らないうちに理外の魔力を暴発させ、恐れ多くも国王陛下の御身を傷つけました。
 一連のことを私はすべて把握しており、それでも彼女の身柄を隠避し続けました。
 森の狩小屋から出ないよう彼女にきつく言いつけ、結界内に閉じ込めました』

 ルイスの告白を、アレスはただ黙って聞いていたという。

 この当時王城内では、誉れ高きセーレ公爵家の次男であるルイスの咎を追求するよりも、アイリスの罪を糾弾する声が噴出していた。

 森の魔女は、セーレの魔術師を誘惑、もしくは脅して意のままに操り、国王へ大逆を犯した稀代の悪女であると。
 その罪は歴史上類を見ないほどに重く、車裂きの刑に処してもまだ足りないほどであると。

 しかしながら現在、森の魔女は、セーレの当主によって硝子の棺に封印された状態であるため、刑の執行が困難である。
 いつ目覚めるかもわからぬため、この悪しき存在を、国王の聖炎によって溶かし切るか、セーレの天雷によって粉々に砕き尽くすか、そのどちらかの刑罰が相当である、と。

『アイリスは――彼女は、小屋から出たがっていました。
 しきりに私に懇願していました。
 ここから出たいと。
 小屋を出て、城塞に戻っていく私を、いつも悲しそうに見つめていました。
 それでも私は彼女を解放しなかった。
 すべての罪は私にあります。
 彼女に罪はありません。
 ――陛下』

 ルイスは顔を上げて、アレスを見上げた。

『すべての罰を謹んで賜ります。
 極刑の裁きをこの私に。
 この身での贖(あがな)いで以って、彼女を――アイリスを、どうか』

 淡々としていたルイスの声が、ここで初めて震えを帯びた。

『どうか、お赦(ゆる)しくださいますよう。
 元より陛下にお願い申し上げることの叶う身ではございませんが、不敬を承知の上で嘆願いたします。
 アイリスをお赦しください。
 彼女をお救いください。
 どうか――どうか、お願いいたします』

 ルイスの声は大きくはなかったのに、まるで叫んでいるかのように聞こえた。
 波打ったように静まり返る謁見の間において、アレスは静かに口を開いた。

『森の魔女の罪を無にはできない』

 その言葉に、ルイスの体が固く強張った。

 弟のために声を上げかけたカストルを、隣にいたロキが押しとどめた。

 アレスは続けた。

『この度の事件は大逆である。
 森の魔女アイリス・シトリー及び、『黄金の魔術師』ルイス・セーレには、それ相応の罰が必要と判断する。
 よって、処罰は王国法に則り、国王である俺が断ずる。
 まずはルイス。おまえは、王土守護の使命を負うセーレの魔術師であるにも関わらず、王の命を脅かし、王都とそこに住まう民を危険に陥れた。
 実行犯はアイリスであるものの、裏にいたのはおまえであり、その罪は主犯に相当する。
 よって、磔刑(たっけい)に処する』

『アレス――陛下!
 それは、あまりに……!!』

 悲痛な声を上げたのはカストルだった。

 磔刑とは、衆人環視の中、はりつけにして槍で刺し殺す処刑法である。
 アレスはカストルを一瞥した。

『黙れ、カストル。
 貴様も不敬罪に処されたいか』

『しかし、弟は、ルイスは、これまで王国のために――民のために、身を粉にして働いてきたではありませんか。
 どうか慈悲を――減刑を……!!』

『いいんだ、兄さん』

 ルイスがカストルを見つめながら、静かに言った。

『ありがとう』

『……っ』

 カストルは顔を歪め、それからがくりと両膝を床につき、うなだれた。
 ロキがその肩を隣で支えた。

 ルイスがアレスに視線を戻す。
 アレスは告げた。

『次に、アイリス・シトリ――。
 一連の実行犯はこの者ではあるが、犯行はすべて心神喪失状態の中で行われたものであり、『嘆きの魔女』に変貌したという特殊な状況下において、善意のうちに実行されたものである。
 よって、車裂きや磔刑といった過酷な刑を用いるのに相応でないと判断する。
 その上で、極刑は到底まぬがれ得ぬものではない』

 ルイスの喉が引き絞られた。

『彼女に対しては、苦痛を強いる処刑法を禁ずる。
 アイリス・シトリーには、術殺刑が相当と判断し、これを裁決とする。
 現在彼女は硝子に封印されている状態であるため――』

『陛下』

 引きつった声をルイスが発した

『陛下、お願いです。
 僕はどんな残虐な刑でも受けます。
 車裂きでも凌遅でも、鋸引きでもいい。
 大逆の大罪人として、すべての民に石を投げられ、鞭打たれたって構わない。
 けれどどうか、アイリスだけは』

『こうなる結果を予測しながら、おまえはアイリスを匿い続けていたんだろう』

 冷え冷えとしたアレスの声に、ルイスは声を失った。
 アレスは玉座から立ち上がる。

『謁見はこれにて終了とする。
 ルイスを監獄に連れて行け。
 カストルとロキの兄弟は、城砦にて待機するように。
 追って処刑の日時を連絡する』

『ちょっと待ってくれないか、アレス。引っ掛かることがあるんだ』

 穏やかな声を上げたのは、王兄のマルスだった。
 水を差された形のアレスは、片眉を上げて双子の兄を振り返った。

『なんだ、マルス。
 おまえも俺の決議に異を唱えるつもりか』

『そうじゃないよ、アレス。
 俺も国王の裁が相当だと考えている。
 引っ掛かったのは、刑の執行についてだ』

 微笑を浮かべているマルスに、アレスは告げた。

『疑問があるならさっさと言え』

『磔刑と術殺刑に関しては、すでに執行済みであるのではないかと』

 さらりと告げたマルスに、重臣たちはざわつき始めた。
 アレスは、口端を引き上げて笑う。

『執行済みとは?』

『まずはルイス。
 彼は、国王直属の魔術師らによって氷槍に貫かれ、生死の境を彷徨ったという経緯がある。
 王国法によれば、磔刑は、ひとつかみの太さの氷もしくは炎の槍で、腹もしくは胸を突くという刑罰だ。
 これをもって執行完了となす。
 ほとんどの場合、これによって罪人は死に至る。
 事実、これまでに命を落とさなかった者は存在しない。
 けれどセーレの次男坊は、幸運にも一命を取り留めた。
 文面どおりに法を遵守するのであれば、すでに彼の刑罰は終了していると考えられるんだが、どうかな、アレス?』

『ああ、なるほどな。
 俺としたことが、これは盲点だった』

 ルイスが息を飲んだ。
 カストルは放心している。

 マルスは続けた。

『もう一人の罪人、アイリスについても同様だ。
 彼女は『黄金の魔術師』筆頭の魔術により、全身を硝子質に変えられて、心臓の鼓動も確認できない状態だというじゃないか。
 どう考えても、これは死んでいるだろう。
 カストル・セーレの魔術によって、アイリスは死亡した。
 これを術殺刑と言わずしてなんという。
 そう思わないか、アレス?』

『そう言われてみればそうだな。
 全身をあんな風に変えられて、生きていると言うほうがおかしい』

『磔刑も術殺刑も、すでに成っている』

 マルスは笑みを引きながら、ルイスを見た。

『一つの罪で、二度裁かれることはない。
 これを一事不再理の原則という。
 王国法の定める鉄則だ』

『マルス殿下――』

『マルスは実に賢いな。
 さすがは俺の兄だ。
 危うく王自ら法を破ってしまうところだったよ』

 アレスとマルスの兄弟は、同じ笑みを浮かべながらルイスを見下ろした。

『王命により、一連の大逆事件の裁断と刑執行をこれにて完了とする。
 以後、当該事案に関しての議論の一切を禁ずる』

『国王陛下の御裁可だ。
 セーレの当主はもとより、忠臣の方々も、文句を言わずに従うように』

 厳罰を求めていた重臣たちは、苦り切った表情をしながらも、面を伏せて平服した。

 ルイスは茫然としたのちに、崩れるように深く頭を下げ、声にならない礼を告げた。

 ロキは安堵したように息をつき、それからカストルは、涙に濡れた面を上げた。
 その横を、アレスが通りがかりにささやく。

『いじめて悪かったな、カストル。
 けれど、ルイスにはこれくらいのお灸を据えてもバチは当たらないだろう?』

『――アレス』

 カストルは跪き、恭順の礼をとった。

『おまえに――国王陛下に、生涯の忠誠を誓う』

『その忠誠は、俺ではなく王国の民に。
 おまえはこれまでどおり、国を守り続けてくれればそれでいい』

 アレスは笑った。
 それから、かすかな寂しさを瞳に混ぜた。

『先ほどは建前上ああ言ったが、俺は、アイリスが……エルサが死んだとはつゆほども思っていない。
 彼女たちは必ず戻ってくる。
 俺は、それを信じている』