12 ややこしい話になってまいりました

 その日のうちにフランセットは、懇意にしている帽子屋にフィーリアの帽子を注文した。
 フランセット自身が作ってもらうときはシンプルで品のある形をリクエストするのだが、フィーリア用のものには大人の可憐さを感じさせるようなデザインがいいだろう。

(フィーリアさまはとっても良いお方だったわ)

 彼女が自身の息子たちを大切に思い、また、メルヴィンやエスターにも親愛の情を持っていることが伝わってきた。フランセットにも良くしてくれて、好感しか持てないような感じの女性であった。

(国王陛下の……義父上の愛妾だと言うことが唯一にして最大の気がかりね)

 国王には正妃がいる。王妃リヴィエラとは何度か言葉を交わしたことがあるが、フィーリアに負けず劣らずの美女だった。相違点は、フィーリアは儚げな美女であり、リヴィエラは華やかな美女であるということだ。

 容姿の違いは、二人の性格をそのまま現していた。

 リヴィエラは、高潔な精神と厳格な思想によって、国民からの尊崇を受ける王妃だ。対面すると、相手に緊張感を与えると同時に、その者は身が引きしまって向上心を引き出されるのである。

 メルヴィンからちらっと聞いた話によると、レイスを身籠もる直前まで、リヴィエラはフィーリアにつらく当たっていたという。フィーリアが二人めの子どもを懐妊すると、今度はフィーリアの存在を消したいとでもいうように、無視を貫いたらしい。

(リヴィエラさまのお気持ちは、わからなくはないわ)

 フランセットだって、突然現れた美しい踊り子にメルヴィンの心を持っていかれたら、あまりの衝撃にズタズタに傷ついてしまうだろう。その娘がメルヴィンの子を二人も孕れば、すべての現実をなかったことにしたくなるに違いない。

(けれど、フィーリアさまはとっても良いお方だったのよね)

 高慢で権力主義的な妾であったほうが、もしかしたらリヴィエラは救われたのかもしれない。
 王妃の心情は、フランセットには察するにあまりある。
 その傷が少しでも癒えていればいいと願うばかりだ。

「レイスから手紙が届いたよ、フランセット」

 フィーリアの家を訪問した翌日のことである。
 そろそろ昼食にしようかと思っていたところで、メルヴィンが部屋の扉を開けながらそう言った。彼は、軍部関係の施設を午後から訪問する予定のため、軍服姿だ。

「ロロが元気になったから引き渡しに来るって。今日の昼過ぎくらいになるそうだよ。フランセットが不在なら、家令に預けておくと書いてあるけれど、フランセットの予定は晩餐会だけだよね?」

「はい。ご婦人方から届けられた招待状の数々の仕分けは先ほど全部済ませたので、晩餐会の身支度の時間までは空いています」

 たったひと晩でロロは回復したらしい。フランセットはほっとした。

「僕はいまから出かけなくちゃならないから、いっしょにレイスを出迎えられないけれど大丈夫?」

「もちろんです。ひと晩ぶりにロロをだっこできるのはもちろん、レイスに会えるのもとても楽しみです」

 レイスは、ウィールライトの兄弟王子の中では珍しくクセのないな少年だ。フランセットは可愛い義弟との朗らかな会話を楽しんでいた。

(とは言うものの、まだまだ油断はできないけれど)

 エスターと初めて会ったとき、紳士的でまともそうな王子だとフランセットは認識したのだ。それは大きな勘違いだった。このときの教訓が、フランセットの中にまだ生きているのである。

 メルヴィンを見送ってから、フランセットは急いで昼食をとった。客人を出迎えるための装いに着替えて、濃いめの化粧をちょっとだけ直す。寝不足はまだ解消されていなかった。

(アレンと国王陛下の口論を目にして、その上、フィーリアさまにお会いしたことで、考えに耽る時間が増えてしまったわ)

 ウィールライト王室に深く根付くこの問題は、フランセットが考えたってどうにもならない。世継ぎの懐妊という問題以上に、どうにもならないことだ。

 家令のジョシュアが部屋の扉をノックし、レイスの来訪を告げた。意外なことに、フィーリアもいっしょだという。

 フランセットはエントランスまで彼らを出迎え、「急の訪問だったのでお気遣いなく」と遠慮するのを笑顔で流しつつ、テラスに準備した茶会に招待した。

「ひと晩で元気になるとは思っていなかったからびっくりしたわ。どうもありがとう、レイス」

「薬がとても良く効いたんです。そうそう、傷口が塞がっていたので、ついでに抜糸もしておきました。本調子とまではいかないかもしれませんが、ほとんど回復していますよ」

「ああ、だから首のカサが外れていたのね。よかったわね、ロロ」

 フランセットは、籠からロロをとり出して、ひざに乗せた。仰向けにさせて耳の後ろをかいてやると、うっとりしたように目を細めている。

(ああ、これよ、これ)

 毛並みがふわふわしていて、触っていて癒される。フランセットは幸せな気持ちになった。
 抜糸の痕は黒ずんでいて痛々しかったが、傷口はきちんと塞がっているようだ。フランセットはレイスにあらためて礼を言い、それから三人で会話を楽しんだ。

 こうして話していると、レイスは好感の持てる少年以外何者でもなかった。エスターやアレンのように、一癖も二癖もある兄弟と同類なのではないかと身構えていた自分が恥ずかしくなる。

 白く細い指でレモネードのグラスを持ち上げながら、フィーリアはふと眉をひそめた。

「昨日も感じたのですけれど、フランセットさまのお顔の色が悪いような気がします。体調を崩されているのではないですか?」

 レイスは気づいていなかったようで、びっくりした顔をこちらに向けた。フランセットは、厚化粧気味の頬に片手をやりながら言う。

「いえ、体調が悪いのではなく、ただの睡眠不足なのです。寝れば直るものなので、お気になさらないでくださいね」

「まあ、睡眠不足。いつごろから眠れていないのですか?」

「ええと……そうですね、ロロを拾ったあたりからかしら」

「それでしたらもう六日目ですね。長引いていらっしゃるようで、心配だわ。このお茶会も早々に切り上げていただいて、すぐにお休みください」

 フィーリアは心底危惧している様子である。フランセットは両手を振った。

「病気というわけでもないので大丈夫ですよ。ごらんのとおり、わたしの体は頑丈にできているのです」

「聡明でお美しくいらっしゃるけれど、線が細くて華奢でいらっしゃいます。頑丈そうには見えません。ですからどうかお休みになってください」

 フィーリアが強い口調で言ったので、フランセットは面食らった。いつもおっとりしている女性だけれど、こだわりのある部分では頑固な性格をしているのかもしれない。

(こだわり――睡眠不足についてのことかしら、それとも顔色が悪いこと?)

「母さま、あんまりしつこく言うから姉さまがびっくりされているよ」

 たしなめるレイスの声に、フィーリアは我に返ったようだった。陶器のような頬をほんのり赤くする。

「そうね、ごめんなさい。つい勢いこんでしまいました」

「いえ、お気になさらないでください。体調管理を疎かにして公務に身が入らなくなったらどうにもならないですものね。重々気をつけます」

 フランセットがほほ笑むと、フィーリアは安堵したように表情をゆるませた。

(とっても純粋な女性なのね)

 感心していると、そわそわした様子でレイスが言った。

「姉さま。突然ですけれど、王太子宮の厩を見せていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構わないけれどどうして?」

 言葉どおり突然の申し出に、フランセットは首を傾げた。

「メルヴィン兄さんはたくさんの馬を飼っておられる上に、馬丁はみんな一流の者を雇っているので、様子を見るだけで勉強になるんです。ですから、こちらにお邪魔するたびに厩を見せてもらっているんです」

「そういうことだったのね」

 ロロのような小動物だけでなく、大きな動物にもレイスは親しんでいるようだ。フランセットが「どうぞ、好きなだけ見ていってね」と言うと、レイスは顔を輝かせて礼を言い、テラスから庭に直接下りて、厩のほうに駆け出していった。

 その背中をほほ笑ましく見送っていると、フィーリアが言った。

「すみません、フランセットさま。あの子にはまだまだ子どもっぽいところがあって、好きなものを前にすると抑えがきかなくなるのです」

「とんでもありません。とってもしっかりした王子殿下ですわ。まだ十五歳でいらっしゃるとは思えないくらいです」

「そう言っていただけるとありがたいです。男の子はいつまで経っても子どもっぽいところがあると言いますけれど、アレンやレイスを見ていると、その説は間違っていないとつねづね感じます」

 フィーリアは苦笑しつつ言う。フランセットは「そういうこともあるかもしれないですね」と同意して、笑い合った。

「――フランセットさま。睡眠不足のことですけれど」

 ふと、フィーリアが真剣な顔つきになる。どうやら彼女は、先ほどの話題が気になって仕方ないようだ。フランセットは続きを促した。

「はい、なんでしょうか」

「話を蒸し返して申し訳ないのですが、どうしても気になることがあるのです。睡眠不足になったのはロロを拾ったときからとおっしゃっていましたが、その日にフランセットさまはレイスにお会いになったのですよね?」

「ええ。ひさしぶりにレイス殿下にお会いできた上に、ロロの手当てまでしていただけて、素晴らしい一日でした」

 睡眠不足の原因を作ったのは、その再会の前後にあった出来事である。アレットが訪問して懐妊を告げたことと、メルヴィンに世継ぎの話題をそらされたことだ。

 フィーリアは、深刻そうに眉を寄せて、こちらに身を乗り出してきた。声をひそめて尋ねる。

「レイスにお会いになって、長時間話されたことで、もしかしたらフランセットさまは王妃殿下に――リヴィエラさまに、お叱りを受けたのではないでしょうか」

「え?」

 フランセットはまばたきをした。