32

エピローグ

 メルヴィンが持ち帰ってきた中和薬によって、フランセットはもとの体に戻ることができた。

 それからすぐに、レイスとフィーリア、アレンが王太子宮を訪れて、フランセットに深く謝罪した。フランセットは、「ものすごーく大変だったんですからね!」と言って、さらに謝るレイスとフィーリアを受け入れた。

 レイスがフランセットに薬を飲ませた理由は、やはりフランセットが子どものことを世継ぎとしか表現しなかったのを耳にしたかららしい。あのときレイスは厩に馬をみにいっていたはずだったのだが、手袋を忘れたことに気づいて戻ってきたのだそうだ。そこで偶然聞いてしまったとのことである。

 レイスは、幼いころにメルヴィンが苦しんでいたのを知っていたので、フランセットが許せなかったそうだ。権力者の妻となる者は世継ぎを産むという考えに取り憑かれるものなのかと、ショックを受けたらしい。

(口は災いの元……というか、言葉の使い方は慎重にしないといけないわね)

 王太子妃としての責務に囚われてしまった自分が軽率だった。フランセットは、身を引き締めることを決意した。
 また、あの薬について、フィーリアが話していたことがある。

「体を小さくする薬は、わたしが国王陛下に初めてお会いして個人的に招待を受けた夜に、曲芸団の団長が渡してくれたものなのです」

 団長は芸にとても厳しい人で、団員であれば子どもも大人も関係なく怒鳴り散らし、殴りつけるような人だったと言う。

「どうしても逃げ出したくなったらこれを飲めと。自分は都の宿にいるから、そこまで自力で辿り着いてみせろと。そうしたら、ウィールライトをすぐに出国し、国王から守ってやると言ってくださったんです」

 しかし、フィーリアは逃げなかった。国王の寵を受け入れ、アレンを身ごもった。

「翌朝に団長から中和薬をいただいたのはそのあとのことです。あれ以来、お会いしていません。あの薬は、自由を得るための翼でした。わたしは自分からそれを纏うのを放棄した。王太子殿下がわたしに先日おっしゃられたこと、深く胸に刻んで、贖罪の日々を生きていこうと思います」

 メルヴィンがフィーリアになにを告げたのか、フランセットは知らない。
 けれど、雨が降ってフランセットがもとの姿に戻れたとき、彼が言った言葉を思い出した。

『雨の日に、鳥は遠くへ飛べない』

 体が小さいときに雨が降っているほど危険なことはない。外へ出ることすら危険なので、遠くへ逃げることなど不可能だろう。

 あの薬が作られた真の目的は、牢獄から抜け出すためのものだったのかもしれない。フィーリアはそれを手にしながらも、一度も使うことがなかったのだ。国王を愛していないにもかかわらず、牢獄に居続けることを選んだ。そして、不幸と悲劇をもたらした。

 国王の罪も重いが、彼女の罪も、また重かったのだ。

 一方でメルヴィンは、エスターを説き伏せてふたりで国王宮を訪ねたそうだ。目的は母リヴィエラとの対面である。

「三人きりで会うのは本当にひさしぶりだったよ。エスターの態度はまだ硬くて、時間はかかりそうだったけれど、あきらめずにいこうと思う。母上が涙ぐんでいて……なんて言えばいいのかな。僕は、胸がいっぱいになったんだ。母上には今度こそ幸せになってほしい。安心感の中で暮らしてほしい。そんな思いでいっぱいになったよ。そのために僕も全力でがんばろうと思う」

「わたしももちろんお手伝いしますね! 嫁姑の仲を最高のものにして、家族みんなでパーティーを開くことを当面の目標にします。大人たちがギクシャクしだしたら、すかさず割りこんで話題を別の方向に持っていきますから、メルヴィンさまは大船にのった気持ちで家族の団欒を楽しんでくださいね」

「はは、頼もしいな。ありがとう、フランセット。本当にそんな日が来るといいんだけど……いまはまだ、手の届かない夢のようだ」

 テラスに用意されたティーセットを前に、メルヴィンはつぶやく。いすに腰かけた格好で、切なげな視線を中庭に向けた。緑の芝生が夏の日差しを浴びてまぶしいくらいだった。

「明日は父上に会いにいくよ。今回の件と、僕の気持ちと、今後の家族のことについて、話し合うつもりなんだ」

 メルヴィンはひどく緊張しているように見えた。

「長い話し合いになるかもしれない。僕は、父を責めるかもしれないね。けれど、それを乗り越えないことには先には進めないんだ」

「大丈夫です。メルヴィンさまなら、できますよ」

 テーブルを挟んだところに座っていたフランセットは、ほほ笑んだ。

「これはわたしの持論ですが、全力で信じて、全力で動けば、どんなに困難に見えても道は開くんです」

「あなたが言うと、どうしてか説得力があるなぁ」

 メルヴィンはフランセットに視線を戻してくすくすと笑った。フランセットも笑う。

「でしょう? だってそれが真理だと、わたしは信じているもの。根性論も捨てたものではないんですよ」

「うん、そうだね。じゃあ僕も、全力で信じて、全力で動くよ。みんなが笑顔でいられる未来のために」

 メルヴィンは、片手を伸ばしてフランセットの頭をそっと引き寄せた。身を乗り出して、くちびるに優しく口づける。

「あなたのことを、全力で愛して生きていくよ」

 王太子宮の寝室に、ゆりかごがひとつ置かれるようになったのは、それから一年後のことである。

Fin.