16

 あたしは思わず、腰を引いた。
 そして、一番謎だったことが、口をついて出た。

「あたしはあなたたちの、『何』なの?」

 沈黙が満ちた。
 それはどうしてか、「凄絶」という形容が合うほどの、恐ろしい沈黙だった。
 深山君の表情からいつのまにか微笑みが消え、能面のような無表情が現れていた。ただ青い双眸だけが、あたしを射抜いていた。怖くなって、あたしはさらに腰を引こうとした。けれど深山君の手が、それを許さなかった。あたしの二の腕をきつくつかんで、乱暴に引き寄せた。椅子が高い音をたてて倒れた。あたしは喉の奥で悲鳴を上げた。

「――何もかもを、」

 深山君は椅子に座ったまま、あたしの腕を押しこんで、汚れた床にひざまずかせた。あたしは深山君の両膝の間で、震えながら彼を見上げた。長身を折り曲げるようにして、深山君は顔を近づけた。
 彼の、色素の薄いサラリとした髪が、ひたいに触れた。

「何もかもを、忘れてしまったというのか」
「忘れたって、何を――」

 震える声を絞りだす。それも彼の気にくわなかったらしく、片手で首をつかまれた。力はこめられていない。だから息苦しくはない。けれど、いつでもそうされる可能性がある。
 怖い。
 だって本当に、なにもわからないのだ。

「では思い出させてあげましょう」

 深山君の唇が、酷薄に歪んだ。それが笑みの形だと理解するのに、数秒かかった。

「かつて君がいつも、していたことだ」

 あたしはベッドに投げ出された。ゴワついたシーツが頬をこする。起き上がろうとしたところを、強い力で押しかえされた。ベッドが軋む。顔の両側に、深山君が肘をついた。彼の片膝があたしの足を割る。至近距離で、氷のような青い双眸に見下ろされ、あたしは震えた。

「怖いのか?」

 酷薄に問いながら、毛皮のショールを剥ぎとる。

「そうだ、君はいつも憂いていた。昼間はとても明るく、草原を駆けまわっていた君が、いつの間にか憂いをふくんだ表情を月明かりにうかべるようになった」
「……やめて」

 あたしは首をふる。目の端から涙が零れた。
 それを舌ですくいとり、上衣のボタンをはずしていく。首すじから、脇へ。腰のベルトもほどかれた。深山君はあたしを少し持ち上げて、上衣を脱がせた。体が震えて、動かない。まだ部屋が暖まっていないのにも関わらず、深山君は中綿の下着もためらいなく脱がせてしまった。小ぶりな胸がこぼれて、羞恥に顔が熱くなった。
 それとは逆に、むき出しになった肌を容赦なく冷気が刺す。鳥肌がたつ肩に、唇が押しあてられた。

「いや……!」

 枷(かせ)が外れたように、あたしは暴れた。深山君は細身なのに、びくともしない。薄く笑んで、指先であたしの唇をなぞる。羽のような刺激に、あたしはゾクリとした。その時、彼の唇が、あたしの胸の先をふくんだ。

「あ……!」

 びくりと全身に電流が走った。お腹の下のほうが熱い。深山君を押しかえそうとするけれど、引き締まった体は動かない。
 ゆっくりと、こねるように舌先で押される。そのたびに、あたしの口から声がもれた。深山君はそうしながら、自分の上半身の服を器用に脱いでいく。
 唇を撫でていた指が、口腔に差しこまれた。

「ん、ふ…ゥ……っ」
「大丈夫。声を出してもいいですよ。今夜の客は僕たちだけだ。宿の主人は眠っている。……深く」

 頭の中が熱い。
 それだけじゃない、全身が熱い。
 深山君が胸から唇を離し、耳元でささやいた。

「君の肌は、すいつくように心地いい。昔と少しも変わらないよ」
「し、らない……昔なんて、しらない……!」

 指先が口から引きぬかれ、胸のふくらみをもんだ。腰が思わず浮く。

「いや……! みやま、くん、やめて……っ」
「深山、じゃない。ユーマだ」

 唇にキスを落としながら、彼はいう。

「僕の本当の名前はユーマだ。呼んでごらん」
「ユー、マ……?」
「いい子だ」

 笑みをふくんだ唇が、あたしのそれを奪う。胸の先を親指で押しつぶされた。彼の舌が口腔に入りこみ、無残に犯していく。

「ん……ん……っ」

 ――とけてしまいそうだ。
 体が熱すぎて、おかしくなりそうだ。お腹の下の熱源が、もうどうにもならないくらいになっている。怖い。怖い。
 シン。
 どうしてここへ来てしまったのだろう。
 シンのそばにいればよかった。シンのことを信じればよかった。だって、あんなに優しかったのに。激しい後悔に押しつぶされて、あたしは深山君の――ユーマの舌と指に蹂躙され続けた。