「どうして深山君の目は青いの? 前は普通の色だったよね」
「ああ。でもこれは仕方のないことなんです」
「シンが――青い目の人間には、気をつけろって」
警戒しながら一歩、後ろに下がる。どうしてシンは起きないのだろう。
深山君は苦笑した。
「彼が君になにを吹きこんだかわからないけれど、それは嘘だ。彼は君を手に入れるためだったら、どんな嘘だってつく。そう、ずっと昔から」
「……嘘?」
「それに、青い目の男が危険だというなら、彼だってそうでしょう。彼のいうことは支離滅裂だ」
確かにそうだ。でも――嘘?
シンはあたしに嘘をついていたのだろうか。
どこからどこまでが、嘘だったのだろうか。
言葉だけじゃなくて、楓子と切なく呼ぶ声や、抱擁や、口づけも、すべて嘘だったのだろうか。
「どうしてシンは起きないの」
「僕が『眠らせた』からだ」
あたしは深山君を見た。
彼の笑みが、得体のしれないものに見えてくる。
でも、彼は『帰れる』と言った。
脳裏に、昼間の光景がよぎった。雪原に散った狼の血、ヒクヒクと痙攣する喉と脚、それらはただ、恐ろしかった。
もう一度、深山君はあたしの方へ手を差しのべた。あたしはよろよろとけつまづきながら、その手をとった。シンのとはちがって、しなやかな指だった。
「さあ、ショールを巻いて。帽子と、手袋、ブーツも。夜は昼よりももっと冷えます」
いわれたとおりにして、部屋を出る最後に、あたしはシンを見た。彼は青い目を閉じて、深く、眠り続けている。
*
外は恐ろしいほどに寒かった。寒いというより、ひたすらに冷たい。帽子を深くかぶり、ショールを目の下まで引きあげる。それでもガタガタと体は勝手に震えだした。
「み、みやまくん、寒い」
「大丈夫ですか? ひとまず、すぐ近くの別の宿に移動するだけだから、安心して」
深山君に抱えられるようにして、雪の道を歩く。人影はない。いつの間にか、彼の手にはランプがぶら下がっていた。あたしはそのランプでささやかな暖をとりながら、別の宿に辿りついた。
あらかじめ話をつけてあったのか、扉をノックすると、眠そうな中年男の主人がカギを開けた。彼に紙幣を握らせ礼をいい、深山君はあたしを二階の奥まった部屋に連れていった。
深山君はランプを古ぼけたテーブルに置いた。
「すぐにストーブをつけます」
やがてあたしは赤々としたストーブへ、命の綱(つな)とばかりにとびついた。まだ防寒具を脱ぐことができない。深山君が小さな椅子を持ってきてくれたので、それに腰かけた。
「ムリをさせてしまったかな。すみません。でもあの男のスキをつくには夜しかなかったんです」
「こんな近くの宿にいて、シンにバレないの?」
「大丈夫。彼は明日の昼まで目覚めない。その時にはもう、僕たちは遠くにいる」
深山君は微笑みを浮かべ、あたしの隣に椅子を置き、腰をおろした。ストーブの火の光が、チラチラと彼の頬を照らす。
聞きたいことがたくさんある。ありすぎて、何から聞いたらいいのかわからない。
思い出してみれば、深山君は最初から不可解だった。季節はずれの――5月だった――編入生だったこと、いつもあたしを尾(つ)けていたこと、そしてこの世界に来る直前に、一番近くにいたのも深山君だった。
彼は一体、何者なんだろうか。
どうして、青い目をしているのだろうか。
「深山君は……『この世界の人』なの?」
「そうです」
涼しげな青い双眸をやわらげて、深山君はこたえた。
あまりにもあっさりといわれたから、「そう」と納得するしかなかった。
「そうなの……。だから青い目をしているの?」
「それはちがう。こっちで青い目をしているのは『ある一族』だけだから」
「深山君が? シンも?」
「君もだよ、楓子さん」
深山君は、しなやかな手であたしの髪を撫でた。優しい仕草だった。
「僕は――僕達は、君の崇拝者だ」
あたしは言葉につまった。
「それを、あの男が壊した。すべてを捻じ曲げ、混乱ばかりを残して、逃げた。この罪は、未来永劫許されるべきものではない」
穏やかな目の奥に、激しい炎を見た。微笑みを保ってはいるけれど、けして彼が微笑んでいるわけではないことがわかった。暗く滾(たぎ)る怒りが、彼の奥底に凝(こご)っているのだ。
その時ふいに、思い出した。シンと、「青い目をした男たち」の話をしたときだ。
シンは言っていた。「青い目に、栗色の髪をした男を見たら、すぐにオレに言え」と。危険だから、と。
深山君の髪は色素が薄く、いつも光に透けて綺麗だった。
――栗色と、いえなくもない。栗色の髪なんて耳慣れない言葉だから、確信は持てないけれど。