「とりあえず今回はこれで手打ちってことで。それにしても久しぶりだなぁシン。オレのこと覚えてる?」
「……リオウ」
苦々しい表情で、シンがうめくようにいう。
「たとえおまえであっても、楓子に害をなしたら容赦はしない」
「勝手な言い分だなぁ」
リオウと呼ばれた青年は苦笑する。その、細められた目を見てあたしは息をのんだ。……青い目。
「まあいいや」と軽くいって、その目があたしに向けられた。
「楓」
人懐っこい笑顔。
「オレを見ても逃げ出さないってことは、やっぱり記憶がないんだな」
あたしが反応できないでいると、リオウの表情に影がよぎった。
その時シンが、あたしとリオウの間を遮るように、立った。
「里へ早く帰れ」
刀で斬り捨てるような言い方だった。
リオウはうなずいて弓をしまい、ユーマを支えながら階段を下りていった。
冷気が流れこむ扉を、シンが閉じた。静まりかえる部屋の中で、ストーブの音だけが響いている。
あたしはそっと上体を持ちあげて、床に目を落とした。シンの刀と、ユーマの血だまりが落ちていた。それを踏みこえて、シンがベッドのわきに立った。
「シン」
名前を呼ぶ。それだけで、じわりと広がる暖かい何かがあった。
シンが片膝をついて、あたしと視線を合わせる。暗がりの中で、青い目が光っている。その奥に深い感情が見え隠れしている。
怒り? 悲しみ? わからない。
シンの武骨な指先が、あたしの頬に伸びた。流れっぱなしになっていた涙を、ぬぐった。そのまま髪にてのひらを差しこんで、優しくすいた。シンは何もいわない。震えるような静寂がある。今にも突き破るような激情が、シンの内に巡っている。
「シン。何かいって」
何でもいいから。
あたしを怒って。
なぜそばを離れたんだと。
どうして何も言わずに出ていったんだと。
「おねがい。シン……」
目の奥が熱くなり、さらに涙があふれて、あたしはうつむいた。ひと呼吸ののち、あたしはシンにきつく抱きしめられていた。
ゆるぎない、たくましい胸に顔をうずめる。眩暈がした。ぶつけられる感情に、かぎ慣れたシンの匂いに。
「楓子」
荒々しく抱きしめながら、絞りだすようにかすれた声で、シンが呼ぶ。
「楓子」
「シン……――んっ」
熱い唇が、押しあてられる。呼吸を奪うように激しく、貪られる。そのままベッドに押し倒されて、さらに深く、舌が入りこんだ。
理由なんて、わからない。
どうしてシンがこんなにも強い想いをぶつけてくるのか、知らない。
ただ、激しい熱源がシンの中にあって、それがあたしを揺らし、そして安心感をもたらすのだ。
シンのそばにいれば、大丈夫だと。
何があっても護られると。
シンはあたしの首すじに散った痕跡を見おろして、毒を飲んだように苦悶の表情を浮かべた。唸るように、いう。
「これは、ユーマがつけたのか」
「あ……うん」
あたしは両腕で胸を隠しながら小さくうなずいた。ユーマの舌の感触を思い出して、背筋が震える。
「やはり殺しておくべきだった……!」
引き潰すようにシンがうめく。その表情があまりにも苦悶に満ちていたから、あたしは思わずいった。
「シン。あたしは……大丈夫だから」
本当は大丈夫じゃない。でも、あたしよりもシンの方がダメージを受けているように見えてならなかった。
シンは苦痛の表情で口をつぐむ。彼をなぐさめるために、あたしは浅黒い頬にてのひらを当てた。
シンはびっくりしたように目を開いたのち、ふーっと長く息を吐いた。そして、熱のこもった青い双眸で、あたしを見おろした。
「オレはきっと、狂っている。おそらくおまえをこの目で見た瞬間から」
シンの体が、熱い。
――鋼(はがね)の王。
唐突に、その言葉が胸を貫いた。
――王は跪(ひざまず)く。
――唯(ただ)ひとり、蒼月(そうげつ)の巫女の御前にのみ。
何?
「どうした、楓子」
シンに頬をなでられ、我に返った。