02 嘲笑

 エルサは、「おはようございますロキ兄様」と挨拶を返す。

 セーレ家の三男を前に、マイアはスカートをつまんで一礼し、後ろに下がった。

「それで今朝は、なにに変身してあたりの様子を窺っていたの?」

「さあ、スズメだったか、カエルだったか。
 季節外れの渡り鳥の姿が空にあれば、それは僕で間違いないだろうけどね」

 ロキはローブを脱ぎ、それでエルサを肩から包んだ。

「園丁とのおしゃべりは充分楽しんだだろう?
 もう部屋に戻りなさい。
 僕や兄さんたちの雷魔術では、きみを温めることはできない。
 悔しいけれど、暖炉とミルクティーにその役目を託すことにするよ。
 あと、このローブにもね」

「はい、お兄様。
 ありがとうございます」

 エルサはほほ笑んだ。

 ロキの長いローブを地面に引きずって歩くのは躊躇われる。
 しかし、替えは何枚もある上に、脱いで返しても彼は受け取ってくれないだろう。

 エルサは踵を返しかけた。
 そのとき、裏門のほうから車輪の音が聞こえてきた。恐らくは荷馬車だろう。

 やがて車輪の音がやみ、雑多な話し声に取って変わる。

「やあ、おはよう。
 注文された品物を持ってきたよ」

「食材から衣服まで、まとめて持ってきたから荷馬車三台分だ。
 この冷え込みだと、夜あたり雪になるかもしれないからな。
 そうなると二日間はここに来られなくなる。
 なにしろこの『城塞』は、森の中を縫う長ーい坂の上にあるもんだから」

「助かるよ、ありがとう」

 街から来た商人らの荷馬車を、門番が出迎えているようだ。

 エルサの居場所からは、本館の外壁が邪魔をして、商人らの様子を窺うことはできない。
 あちらからも、エルサの姿を視界に入れることはできないだろう。

 それをわかっていても、エルサはとっさに近くの木に身を隠した。

「エルサ」と呼び止める声をロキが発した。
 そこに商人の声が被さる。

「ご兄弟のいつものローブに、お好みの食材や香辛料。
 新聞にたくさんの書物、紙とインク、日用品。
 あとは使用人の衣類や、その他もろもろ、まとめてチェックを頼むよ」

 商人はどうやら二人いて、どちらも中年くらいの年齢だと思われた。

 裏門の門番は一人で、こちらは二十代の若者である。

「お嬢様の新しい防寒具は積んでくれているか?
 カストル様がご注文されているはずなんだが」

「ああ、用意してるよ」

「最高級の毛皮をたっぷり使ったコートやら帽子やら手袋やら。
 頑丈なスーツケースの中に、丁寧すぎるほど丁寧に畳んで入れてある。
 雑に扱うと、どんな大目玉を食らうやら」

 商人の声が揶揄(やゆ)を含んだ。

「公爵様は、末の妹君を猫可愛がりしていらっしゃる。
 セーレ家に生まれながら、ひとかけらの魔力も持たない妹君だもんな。
 哀れで仕方がないんだろうな」

「はは、そりゃそうだろうよ。
 セーレの女児は、強大な魔力を持って生まれてくるというのが通例だった。
 それを、あの妹君は裏切っちまったんだからな」

 笑い混じりのため息が聞こえる。

「『セーレの魔女一人は魔術師千人に匹敵する』なんていう大層な言い伝えまであったもんなぁ」

「エルサさまご誕生の知らせを聞いたときは、みんな諸手を挙げて喜んだものだよ。
 この王国はますます繁栄するってな。
 それがまあ、期待はずれもいいとこださ」

「おい、お嬢様に関する話はそこまでにしておけよ」

 門番の声が怒りを孕んだ。
 セーレ家に仕える人たちは、エルサの味方をいつもしてくれる。

 商人たちは笑い声を上げた。

「お屋敷の面々は、ご当主から召使いに至るまでお嬢様贔屓だな」

「お人形みたいに愛らしいお顔立ちをされてるからか?
 若い男はああいう感じの、同情を誘うような美少女にとことん弱いからなぁ」

「いい加減、もう黙れ!」

「ああそうそう、見た目と言えば、あの銀髪――」

 エルサの全身が強張った。

「三人の兄君たちに似ても似つかないじゃないか。
 目の色も全然違う。
 街ではもっぱらの噂だぜ。
 末のご令嬢だけ、実は種が違うんじゃねえかって。
 セーレの娘じゃないんじゃねえかって」

「おまえたち、お嬢様へのこれ以上の冒涜は――」

 門番がいっそう声を荒げたとき、エルサの隣でロキがぱちんと指を鳴らした。

 直後、商人らの悲鳴が上がった。

 いや、悲鳴と言うには語弊がある。
 その声は、鳥のけたたましい囀(さえず)りだったからだ。

 キーキーと混乱しきったような甲高い鳴き声に、エルサはあっけに取られた。

 門番から「ロキ様の変身魔術だ、ざまをみろ」と喜色の声が上がる。

 エルサはロキを見咎める。
 ロキは、悪びれもせず片目をつむった。

「うるさい口を嘴(くちばし)に変えてやったんだ。
 でも、余計にうるさくなってしまったよ」

「早く戻して差し上げて、お兄様」

「奴らが街に逃げ帰る頃には元に戻っているさ。
 ああ、変化させたのは口だけだ。
 荷馬車を操縦して帰れるよ」

「やりすぎだし、お兄様の偉大な魔力を意趣返しに使うなんて」

「正当な使い道だろう?」

 荷馬車が坂を転がるように駆け下りていく音が響いた。

 あの商人らがここでエルサの噂話をすることは、もう二度とないだろう。

 背後に控えていたマイアが、当然のようにうなずいた。

「至極正当な使い道でございますわ」