エルサは、「おはようございますロキ兄様」と挨拶を返す。
セーレ家の三男を前に、マイアはスカートをつまんで一礼し、後ろに下がった。
「それで今朝は、なにに変身してあたりの様子を窺っていたの?」
「さあ、スズメだったか、カエルだったか。
季節外れの渡り鳥の姿が空にあれば、それは僕で間違いないだろうけどね」
ロキはローブを脱ぎ、それでエルサを肩から包んだ。
「園丁とのおしゃべりは充分楽しんだだろう?
もう部屋に戻りなさい。
僕や兄さんたちの雷魔術では、きみを温めることはできない。
悔しいけれど、暖炉とミルクティーにその役目を託すことにするよ。
あと、このローブにもね」
「はい、お兄様。
ありがとうございます」
エルサはほほ笑んだ。
ロキの長いローブを地面に引きずって歩くのは躊躇われる。
しかし、替えは何枚もある上に、脱いで返しても彼は受け取ってくれないだろう。
エルサは踵を返しかけた。
そのとき、裏門のほうから車輪の音が聞こえてきた。恐らくは荷馬車だろう。
やがて車輪の音がやみ、雑多な話し声に取って変わる。
「やあ、おはよう。
注文された品物を持ってきたよ」
「食材から衣服まで、まとめて持ってきたから荷馬車三台分だ。
この冷え込みだと、夜あたり雪になるかもしれないからな。
そうなると二日間はここに来られなくなる。
なにしろこの『城塞』は、森の中を縫う長ーい坂の上にあるもんだから」
「助かるよ、ありがとう」
街から来た商人らの荷馬車を、門番が出迎えているようだ。
エルサの居場所からは、本館の外壁が邪魔をして、商人らの様子を窺うことはできない。
あちらからも、エルサの姿を視界に入れることはできないだろう。
それをわかっていても、エルサはとっさに近くの木に身を隠した。
「エルサ」と呼び止める声をロキが発した。
そこに商人の声が被さる。
「ご兄弟のいつものローブに、お好みの食材や香辛料。
新聞にたくさんの書物、紙とインク、日用品。
あとは使用人の衣類や、その他もろもろ、まとめてチェックを頼むよ」
商人はどうやら二人いて、どちらも中年くらいの年齢だと思われた。
裏門の門番は一人で、こちらは二十代の若者である。
「お嬢様の新しい防寒具は積んでくれているか?
カストル様がご注文されているはずなんだが」
「ああ、用意してるよ」
「最高級の毛皮をたっぷり使ったコートやら帽子やら手袋やら。
頑丈なスーツケースの中に、丁寧すぎるほど丁寧に畳んで入れてある。
雑に扱うと、どんな大目玉を食らうやら」
商人の声が揶揄(やゆ)を含んだ。
「公爵様は、末の妹君を猫可愛がりしていらっしゃる。
セーレ家に生まれながら、ひとかけらの魔力も持たない妹君だもんな。
哀れで仕方がないんだろうな」
「はは、そりゃそうだろうよ。
セーレの女児は、強大な魔力を持って生まれてくるというのが通例だった。
それを、あの妹君は裏切っちまったんだからな」
笑い混じりのため息が聞こえる。
「『セーレの魔女一人は魔術師千人に匹敵する』なんていう大層な言い伝えまであったもんなぁ」
「エルサさまご誕生の知らせを聞いたときは、みんな諸手を挙げて喜んだものだよ。
この王国はますます繁栄するってな。
それがまあ、期待はずれもいいとこださ」
「おい、お嬢様に関する話はそこまでにしておけよ」
門番の声が怒りを孕んだ。
セーレ家に仕える人たちは、エルサの味方をいつもしてくれる。
商人たちは笑い声を上げた。
「お屋敷の面々は、ご当主から召使いに至るまでお嬢様贔屓だな」
「お人形みたいに愛らしいお顔立ちをされてるからか?
若い男はああいう感じの、同情を誘うような美少女にとことん弱いからなぁ」
「いい加減、もう黙れ!」
「ああそうそう、見た目と言えば、あの銀髪――」
エルサの全身が強張った。
「三人の兄君たちに似ても似つかないじゃないか。
目の色も全然違う。
街ではもっぱらの噂だぜ。
末のご令嬢だけ、実は種が違うんじゃねえかって。
セーレの娘じゃないんじゃねえかって」
「おまえたち、お嬢様へのこれ以上の冒涜は――」
門番がいっそう声を荒げたとき、エルサの隣でロキがぱちんと指を鳴らした。
直後、商人らの悲鳴が上がった。
いや、悲鳴と言うには語弊がある。
その声は、鳥のけたたましい囀(さえず)りだったからだ。
キーキーと混乱しきったような甲高い鳴き声に、エルサはあっけに取られた。
門番から「ロキ様の変身魔術だ、ざまをみろ」と喜色の声が上がる。
エルサはロキを見咎める。
ロキは、悪びれもせず片目をつむった。
「うるさい口を嘴(くちばし)に変えてやったんだ。
でも、余計にうるさくなってしまったよ」
「早く戻して差し上げて、お兄様」
「奴らが街に逃げ帰る頃には元に戻っているさ。
ああ、変化させたのは口だけだ。
荷馬車を操縦して帰れるよ」
「やりすぎだし、お兄様の偉大な魔力を意趣返しに使うなんて」
「正当な使い道だろう?」
荷馬車が坂を転がるように駆け下りていく音が響いた。
あの商人らがここでエルサの噂話をすることは、もう二度とないだろう。
背後に控えていたマイアが、当然のようにうなずいた。
「至極正当な使い道でございますわ」