07 炎の国王

 エルサは、ロキが自分を『この姿』に変えた時点で、彼らの企みを悟った。

 銀の髪の上にぴょこんと生えた、細長い耳にエルサはふれた。
 ため息をつく。

「浮かない顔だね、白兎さん?」

 おどけた声でロキが言う。
 カストルの部屋に向かって、薄暗い廊下を二人と一匹は進んでいる。

 カエルはエルサの腕に抱かれている。
 エルサのガウンを頭から被っている状態だ。
 エルサはというと、ロキのローブを借りていた。

 灯りは手燭ではなく、ロキの作り出した雷玉(かみなりだま)だ。
 小さく火花を散らしながら、宙にふわふわ浮いている。

「わたしはさっき、カストル兄様と言い合いをしてしまったの。
 その上こんなことをしたら、きっときつく叱られてしまうわ」

「大丈夫、そんなことにはならないよ。
 兄さんに叱られるとしたら、それは僕とカエルだけさ」

「カストル兄様を騙すのは心苦しいわ」

「いたいけな小動物を窓から投げ捨てるよりは、ずっと良心的だぞ」

 カエルの言葉にエルサは反論できない。
 白兎の耳がしょぼんと垂れた。
 それを見て、一人と一匹が感嘆する。

「ああ、なんて可愛いんだろう。
 この世のものとは思えない。
 自分の魔術が、僕は怖いよ」

「まったくもってそのとおりだ。
 エルサとウサ耳の組み合わせには非の打ち所がない。
 おまえの変身魔術は完璧だよ、ロキ。
 その栄誉を称え、後ほど褒美を取らせよう」

「もう、お二人とも、冗談ばかり言っていないで、もっと真剣に取り組んでください」

 エルサが咎めると、兎の耳がぴんと立った。
 ロキとカエルはうっとりとした目つきになっている。

 気を取り直すように、ロキが質問した。

「エルサ。
 兄さんと言い合いになったのは、アレスを窓から投げた件についてかい?」

「ええ。
 わたしがアレスさんを助けに行こうとしたら、カストル兄様が行くなと命じてきたの。
 わたしはそれに従わなかったの」

「それならカストル兄さんは、眠ることもできずに悶々としながら、部屋中をウロウロしてる真っ最中だろうな。
 よしエルサ、扉をノックしてくれ。
 打ち合わせどおりに頼んだよ」

 エルサは腹をくくった。
 カエルにガウンを巻きつけて、外側から見えないようにする。

 扉をノックすると同時に、ロキが蝙蝠(こうもり)の姿に変身して柱の影に隠れた。

「カストル兄様、エルサです」

 がたん、と室内で大きな音が立った。

 次いでカストルの呻き声が聞こえたので、エルサは心配になる。
 どこかに体をぶつけたのだろうか。

 勢いよく扉が開いた。
 カストルは、余裕のない表情でまくしたてた。

「すまなかったエルサ。
 おまえが出て行ってから、おまえに対して横暴だったと反省して――、!?」

 言葉の途中でカストルは絶句した。

 兎の耳を兄に凝視されて、エルサは居たたまれなくなる。

 もじもじすると、細長い耳がぺたりと折れた。
 その様(さま)を目撃して、カストルは歯軋りする。

「くそ、ロキめ……!!」

「あの、お兄様。
 お願いがあるのです」

 エルサは兄を必死に見つめた。
 ガウンで隠したカエルを腕に抱えている。

「どうかエルサの耳を元に戻してください。
 ロキ兄様にいたずらされてしまったのです。
 外側から見えないけれど、お尻にも兎のしっぽがついているのです。
 だから、全身に解魔術をかけてください」

「お尻に兎のしっぽ……だと……!?」

 さっきから兄は愕然とするばかりで、解魔術をなかなかかけてくれない。
 このままだと作戦がうまくいかなくなってしまう。

「さっきのことをまだお怒りなのですか?
 ごめんなさい、お兄様。
 どうかお許しください」

 兎の耳がますます垂れていく。
 動転しつつも妹の姿に見入っていたカストルは、はっと我に返ったようだった。

「そんな風に悲まないでくれ、エルサ。
 すべては僕の不徳の致すところだ。
 情けない兄ですまない……!」

 カストルは人差し指と中指を立てて、そこに吹き込むように呪文を詠唱する。

 黄金の光を帯びた指先をエルサのほうに払うと、金粉のような微光がキラキラとエルサに降り注いだ。

 すると、兎の耳がさあっと消えて、元の耳が現れた。
 同時に腕の中で「俺を離して、エルサ」とカエルが言った。

 指示通りにすると、カエルが着地する直前で、黄土色の体がまばゆい光に包まれた。

 光の中から炎が生じる。
 室内の温度が上がった。
 炎と光はどんどん大きくなり、渦巻く熱風に押され、エルサは怯えて後ろに下がる。

 肩に蝙蝠が舞い降りて、エルサにささやいた。

「アレスは軍神の現し身、炎の申し子だ。
 安心してエルサ。
 彼の炎はきみを焼かない」

 エルサは目を見開いた。

 それらの二つ名の所有者を、エルサは知識として知っている。

 炎と光を纏いながら、一人の青年が出現する。
 黒地の上下を長身に纏い、高い位置にある腰を革ベルトで締めている。
 鍛え上げられた肉体は、黒豹のように強くしなやかだ。

 雄々しい肢体を夜の保護色で包むのは、姿を目立たせぬようにという配慮かもしれない。

 けれど、光と炎を受けて輝く金色の髪と、明るく澄み切った青の瞳が、彼の存在感をひときわ大きくさせ、保護色の効果を打ち消していた。

 彼の双眸がエルサを捉えた。
 エルサは声も出せずに突っ立っている。

「エルサ」

 その声は、確かにあのカエルの声だった。
 しかし凛と響く低音は、より力強く聞こえた。

 炎と光の残滓を引きながら、青年はこちらに近づいた。
 そして、エルサの目前にひざまずいた。

 エルサは弾かれたように身を引いたが、彼の手がエルサの右手をつかんで引き止めた。

「きみの気高い勇気と慈悲に、敬意と感謝を。
 醜いヒキガエルであった俺をその腕に抱き、元の姿を取り戻すために尽力してくれた。
 元の姿に戻れたのはきみのおかげだ」

「アレスさん――、アレス様」

 エルサは狼狽から抜け出せない。

「国王様――」

 アレスはふと笑んだ。
 その美貌に、エルサは目を奪われた。

 彼の温かなくちびるが、エルサの手の甲にそっとふれる。
 女神を恭しく崇めるような仕草だった。

「俺の言葉を覚えているか?
 約束は必ず果たそう。
 きみが門の向こう側に光を見るのなら、俺がきみを外の世界に連れて行くよ」