エルサは、ロキが自分を『この姿』に変えた時点で、彼らの企みを悟った。
銀の髪の上にぴょこんと生えた、細長い耳にエルサはふれた。
ため息をつく。
「浮かない顔だね、白兎さん?」
おどけた声でロキが言う。
カストルの部屋に向かって、薄暗い廊下を二人と一匹は進んでいる。
カエルはエルサの腕に抱かれている。
エルサのガウンを頭から被っている状態だ。
エルサはというと、ロキのローブを借りていた。
灯りは手燭ではなく、ロキの作り出した雷玉(かみなりだま)だ。
小さく火花を散らしながら、宙にふわふわ浮いている。
「わたしはさっき、カストル兄様と言い合いをしてしまったの。
その上こんなことをしたら、きっときつく叱られてしまうわ」
「大丈夫、そんなことにはならないよ。
兄さんに叱られるとしたら、それは僕とカエルだけさ」
「カストル兄様を騙すのは心苦しいわ」
「いたいけな小動物を窓から投げ捨てるよりは、ずっと良心的だぞ」
カエルの言葉にエルサは反論できない。
白兎の耳がしょぼんと垂れた。
それを見て、一人と一匹が感嘆する。
「ああ、なんて可愛いんだろう。
この世のものとは思えない。
自分の魔術が、僕は怖いよ」
「まったくもってそのとおりだ。
エルサとウサ耳の組み合わせには非の打ち所がない。
おまえの変身魔術は完璧だよ、ロキ。
その栄誉を称え、後ほど褒美を取らせよう」
「もう、お二人とも、冗談ばかり言っていないで、もっと真剣に取り組んでください」
エルサが咎めると、兎の耳がぴんと立った。
ロキとカエルはうっとりとした目つきになっている。
気を取り直すように、ロキが質問した。
「エルサ。
兄さんと言い合いになったのは、アレスを窓から投げた件についてかい?」
「ええ。
わたしがアレスさんを助けに行こうとしたら、カストル兄様が行くなと命じてきたの。
わたしはそれに従わなかったの」
「それならカストル兄さんは、眠ることもできずに悶々としながら、部屋中をウロウロしてる真っ最中だろうな。
よしエルサ、扉をノックしてくれ。
打ち合わせどおりに頼んだよ」
エルサは腹をくくった。
カエルにガウンを巻きつけて、外側から見えないようにする。
扉をノックすると同時に、ロキが蝙蝠(こうもり)の姿に変身して柱の影に隠れた。
「カストル兄様、エルサです」
がたん、と室内で大きな音が立った。
次いでカストルの呻き声が聞こえたので、エルサは心配になる。
どこかに体をぶつけたのだろうか。
勢いよく扉が開いた。
カストルは、余裕のない表情でまくしたてた。
「すまなかったエルサ。
おまえが出て行ってから、おまえに対して横暴だったと反省して――、!?」
言葉の途中でカストルは絶句した。
兎の耳を兄に凝視されて、エルサは居たたまれなくなる。
もじもじすると、細長い耳がぺたりと折れた。
その様(さま)を目撃して、カストルは歯軋りする。
「くそ、ロキめ……!!」
「あの、お兄様。
お願いがあるのです」
エルサは兄を必死に見つめた。
ガウンで隠したカエルを腕に抱えている。
「どうかエルサの耳を元に戻してください。
ロキ兄様にいたずらされてしまったのです。
外側から見えないけれど、お尻にも兎のしっぽがついているのです。
だから、全身に解魔術をかけてください」
「お尻に兎のしっぽ……だと……!?」
さっきから兄は愕然とするばかりで、解魔術をなかなかかけてくれない。
このままだと作戦がうまくいかなくなってしまう。
「さっきのことをまだお怒りなのですか?
ごめんなさい、お兄様。
どうかお許しください」
兎の耳がますます垂れていく。
動転しつつも妹の姿に見入っていたカストルは、はっと我に返ったようだった。
「そんな風に悲まないでくれ、エルサ。
すべては僕の不徳の致すところだ。
情けない兄ですまない……!」
カストルは人差し指と中指を立てて、そこに吹き込むように呪文を詠唱する。
黄金の光を帯びた指先をエルサのほうに払うと、金粉のような微光がキラキラとエルサに降り注いだ。
すると、兎の耳がさあっと消えて、元の耳が現れた。
同時に腕の中で「俺を離して、エルサ」とカエルが言った。
指示通りにすると、カエルが着地する直前で、黄土色の体がまばゆい光に包まれた。
光の中から炎が生じる。
室内の温度が上がった。
炎と光はどんどん大きくなり、渦巻く熱風に押され、エルサは怯えて後ろに下がる。
肩に蝙蝠が舞い降りて、エルサにささやいた。
「アレスは軍神の現し身、炎の申し子だ。
安心してエルサ。
彼の炎はきみを焼かない」
エルサは目を見開いた。
それらの二つ名の所有者を、エルサは知識として知っている。
炎と光を纏いながら、一人の青年が出現する。
黒地の上下を長身に纏い、高い位置にある腰を革ベルトで締めている。
鍛え上げられた肉体は、黒豹のように強くしなやかだ。
雄々しい肢体を夜の保護色で包むのは、姿を目立たせぬようにという配慮かもしれない。
けれど、光と炎を受けて輝く金色の髪と、明るく澄み切った青の瞳が、彼の存在感をひときわ大きくさせ、保護色の効果を打ち消していた。
彼の双眸がエルサを捉えた。
エルサは声も出せずに突っ立っている。
「エルサ」
その声は、確かにあのカエルの声だった。
しかし凛と響く低音は、より力強く聞こえた。
炎と光の残滓を引きながら、青年はこちらに近づいた。
そして、エルサの目前にひざまずいた。
エルサは弾かれたように身を引いたが、彼の手がエルサの右手をつかんで引き止めた。
「きみの気高い勇気と慈悲に、敬意と感謝を。
醜いヒキガエルであった俺をその腕に抱き、元の姿を取り戻すために尽力してくれた。
元の姿に戻れたのはきみのおかげだ」
「アレスさん――、アレス様」
エルサは狼狽から抜け出せない。
「国王様――」
アレスはふと笑んだ。
その美貌に、エルサは目を奪われた。
彼の温かなくちびるが、エルサの手の甲にそっとふれる。
女神を恭しく崇めるような仕草だった。
「俺の言葉を覚えているか?
約束は必ず果たそう。
きみが門の向こう側に光を見るのなら、俺がきみを外の世界に連れて行くよ」
07 炎の国王
